第五話 舞妓の神様(6)

 ──うわ、どうしたんですかっ。

「すまないが、私からうつくし御前に働きかける力は大きいほどいい」

 意味不明だが、腕をつかむのもやむなし、と言いたいらしい。そのまま晴明は、美容水をたたえた水盤の元へとうつくし御前を連れていく。

「見ていろ。水に呪符を書く」

 ──水に書けるんですか、それ?

 桃花は足元に広がる小さな水面を見下ろした。

 晴明が人さし指を立て、水面に正方形を描く。その中央に記された文字は、

     蚕

 桑の葉で育つ、繭が絹の原料となる、あの虫を表す一字であった。

「口を開けろ、うつくし御前」

 晴明の指が水面から跳ね上がる。

 飛んだ水しぶきがいくつかのたまになり、開いたうつくし御前の唇へ飛びこんでいくのを桃花は見た。

 ──な、なんだろう、いけないものを見ている気がする……。

 水を飲んだうつくし御前は、首の付け根に手を当ててうっとりと目を閉じている。

 晴明は、うつくし御前の顔を間近から見下ろしていた。

「蚕はすさまじい量の桑の葉を食べる。成長し、美しい繭を紡ぐために」

 ──この人は今、まじないをかけているんだ。

 桃花は晴明の姿に見入った。

 うつくし御前の声が水晶のかけらなら、まじないをかけている晴明の声はこくようせきだ。暗さと、いくばくかの透明さをともなって闇に溶けこむ。

「うつくし御前よ、蚕のように喫するがいい」

「はい……」

 女神に体質があるならば、今、それが書き換えられている。

「ありがとう、存じます……」

 うつくし御前が目を開いた。

 晴明は何歩か下がると、女神に向かってうやうやしく一礼した。

 今までのいささか乱暴な態度は、まじないをかけるために必要だったのかもしれない、と桃花は思った。



 四条通は賑やかな大通りだが、市街の西部、おおみやどおりと交差するじようおおみやあたりへ来るとやや落ち着いてくる。

 古いビルが並ぶのを見下ろしながら、桃花は笑みとなってあふれ出る期待感をこらえきれずにいた。ビロードのソファに座っていても、体がふわふわと浮いてしまいそうだ。

「湯に漬けた餅のように溶けているぞ、顔が」

 晴明のたとえは相変わらずひどい。転んだ舞妓だのふぐだのと、ろくなものにたとえない。しかし桃花は怒らない。高校生だけでは入りづらい、大人っぽい老舗のフルーツパーラーに付いてきてくれたのだから。

「まだかなあ、初夏の宝石パフェ」

 紫のブドウ、黄緑のブドウ、白い桃に黄色いオレンジ。色とりどりのくだものを宝石になぞらえて、そんな名前が付いているのだった。

「初夏のパフェではだめなのか」

 晴明が不思議そうにつぶやいた。

「だめってわけじゃないけど、夢が足りないと思います」

 ふ、と小馬鹿にしたように晴明が笑った。

 何が言いたいのか、桃花には一応分かる。

「そりゃあ一週間前、真夜中にうつくし御前と出会ったことの方が夢っぽいですけど。でもそれとこれとは別なんですっ」

「まだ何も言っていない」

 晴明の口調はめていたが、桃花は確信した。このよわい千年の陰陽師は、自分をからかって遊んでいる。

 ──どうしてこんな意地悪な人と、おいしいもの食べに来てるんだろ。よくよく考えたら学校の友だちで、大人っぽくて静かな感じの子と来ても良かったのに。

 実のところ、答えは分かっている。

 自分は晴明と一緒にいる時間を楽しんでいる。恋かと誰かに聞かれれば、全力で首を左右に振って否定したいけれど。

「昭和の面影がある」

 晴明はぽつりと言い、四条大宮の街を眺めている。

「ピンとこないです。わたし、生まれる前ですもん」

「ああ。私も詳しくは知らない。休暇の時以外はほとんど冥府で働いていたからな」

 桃花には詳細の分からない話をして、晴明は窓の外を見続けている。

 手持ち無沙汰になって、桃花は手元の薄い雑誌を開いた。

 このフルーツパーラーを知るきっかけになったタウン誌だ。巻頭特集は「地元の旅行会社・みやむらみやこツーリストがオススメする 京の甘いもん10選」というタイトルで、このフルーツパーラーや四条河原町のケーキ屋、かみ神社の焼き餅などが紹介されている。

 ──観光で見る京都は「和風! みやび! 高級!」って感じだけど、住んでみるとちょっと違う。洋風の物や、安くて気楽に買える物がいっぱいあって。

 先ほど注文した「初夏の宝石パフェ」の紹介記事を見ながら、まだかなあ、まだかなあ、と思っていると、重厚な木の扉が開いた。

「三時に予約しました、初花です」

 まろやかな声で言ったのは、あのうつくし御前だった。薄手のニットに細身のパンツを合わせている、現代風の装いだ。一緒にいるのは上品な着物姿の女性で、年齢は六十歳過ぎに見える。置屋・初花の女将だろう。

 こちらに気づいたうつくし御前は、晴明を見てあるかなきかの微笑を浮かべた。

「お待ちしておりました。すぐご用意いたしますので」

 店員が、カウンターに近いテーブル席へ二人の女性を案内する。

 すぐに二人前の大きなパフェが置かれたのを見て、桃花は内心であっと叫んだ。

 ──予約! お得意さんが予約すれば、ちゃんと時間通りにパフェが作られて出てくるんだ! うらやましいっ。

「見過ぎだ」

 晴明に短く指摘され、慌てて視線をタウン誌に戻す。あせってはいけない。自分にだって、そのうちパフェは届くのだ。

「そやけど心配したえ、メグミちゃん」

 女将がうつくし御前に話しかけた。気になって、桃花はそっと二人の席を盗み見る。

「女将さんには、えらい気苦労かけてしもて」

 うつくし御前は、パフェスプーンを手にしたまま申し訳なさそうに微笑む。

「かまへんのんえ。かんざし屋さんのお知り合いがあれしてくれはって、効いて良かったなあ」

 女将はクリームを控えめにすくい、口に入れた。

 ──本当は、「古い占いやまじないを研究している先生が、何だか分からないけど何かをしてくれて解決した」……ってことなんだろうけど、お店の中で他の人も聞いているから「あれしてくれはって」で済ませたんだ。

 そこに気づくと、人の会話とは面白く、少し怖い。

「おいしおすなあ」

 女将がまた一口、パフェをすくう。

 はい、と応える「メグミちゃん」ことうつくし御前も、ためらいのない動きでパフェを口に運んでいる。

 ──良かった。あの、水面に「蚕」と書いたまじないが効いてるんだ。

 気がつけば、晴明も窓の外から目を離し、二人の花街の女性に注目している。

「上々だ。うつくし御前に宿った『蚕』のけいそうが、栄養を本人の代わりにむさぼり食ってくれる」

 晴明のつぶやきは難解だったが、木漏れ日のように暖かい響きを伴っていた。

「あ、ひょっとして。晴明さんっ」

 桃花はつい前のめりになる。

「どうした」

「栄養を食べてくれるってことは、あのまじないはダイエットに効くんですか? たくさん食べちゃった時にお願いしていいですか?」

「断る」

 晴明は嫌そうに言うと、ソファにぐったりと背中を沈めた。

 店員がこちらにパフェを運んでくる。

 初夏の宝石パフェと、桃花が半ば強引に晴明にすすめた抹茶フルーツパフェだ。

「ああいう甘味は初めて食べる」

 晴明のかすかなつぶやきが聞こえた。静かに感じ入っているような響きであった。

 その表情を壊したくなくて、桃花はしばらく黙っていることにした。

 本当は、いつまでお隣さんでいてくれますか、と聞いてみたいのだけれど。


第五話・了


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