第四話 おサル戦線異状なし(2)



 桃花が問題を解いている間、晴明はだいたい好きなことをやっている。

 日本史資料集を読んで「なぜこの程度しか史料が残っていないんだ」と不満を言って桃花に「応仁の乱で焼けたからです」と返されたり、式神の双葉に立体パズルを渡して解かせたりと、表情はいつも通り沈んでいるもののどことなく楽しそうだ。

 ──だから、時々からかいたくなるんだよね。

 桃花は日本史の穴埋め問題と記述問題を終えると、シャープペンシルを置いた。

 座卓の対面に座る晴明に向かって、話しかける。

「晴明さん、動物園が」

「勉強はいいのか」

 文庫本から目を離さずに、晴明がさえぎった。

「制限時間三十分の問題、二十分でできました。残りの十分は休憩ですよー」

「ならば良し」

 とは言うものの文庫に視線を据えたままなので、桃花は挑戦的な気持ちになる。

「晴明さん、動物園が近くにあるの知ってますか?」

「ああ。おかざき公園の東側だな」

 晴明はまだ視線を動かさない。

 それくらいは知っている、いくら現世にうといからといって馬鹿にするな──と怒らせるつもりだったのだが。

「動物園に行って、式神を増やしませんかっ?」

 晴明の琥珀色の瞳が、ついっとこちらへ動く。やった、と桃花は内心でほくそ笑む。

「ライオンとか熊とかキリンとか、色んな動物がいるじゃないですか。モデルにして、新しい式神を作ったりできないんですか?」

 晴明の眉間の皺が深くなり、桃花は笑いを隠せない。

「キリンの式神を作ってどうするんだ」

「背が高くてかっこいいですよ。高い所にあるものを取ってくれるかもしれないし」

 ふうう、と晴明はため息をつき、視線を文庫本に戻した。

 ──「却下」とか「要らん」とか、何か言ってくれてもいいのになぁ。

 無反応ではなかったから、百点満点のうち七十点くらいだろうか。

 ──あ、もうすぐ三十分。答え合わせしないと。

 解答集をめくろうとした桃花は、畳に小さな猿が座っているのを見つけた。

 ──こんなとこに置きっ放し。陰陽道の術で使うのかな。

「晴明さん、猿のお人形が」

 言いかけた時、猿が二本の足で立ち上がった。

「お人形ではありゃしません」

「わあっ」

 桃花は立ち上がりかけたが、晴明が平然としているのを見て座り直した。悪いものではないのだろう。

「放置してすまんな、よしとびまる

 晴明が猿に話しかけた。

「キリンの式神うんぬんの時からいただろう」

「へい」

 飛丸が、はにかんだ笑みを浮かべた。

「悪気があって黙っていたわけではないのだ。この子どもが式神の生成を甘く見ているので、どうしたものかと思ってな」

「いやいや、お邪魔してすみませぬ」

 ミニチュア猿、いや、飛丸がおじぎをする。

 ──そんなこと言って、わたしを驚かせるために黙ってたんじゃないですか?

 疑わしく思ったものの、飛丸の用事を邪魔しては悪いので何も言わないことにする。

「桃花。飛丸は、よしたいしやの使いの猿だ」

「日吉大社? 滋賀県の、大津市の? わたし最近まで住んでました」

 それを聞いて、飛丸はVサインを出した。桃花も調子を合わせてVサインを出す。

「比叡山に鎮座し、へいあんきようの鬼門を守る日吉大社を知っているとは感心な娘ですのう」

「行ったことありますもん。七五三とか、お母さんお父さんの厄除けのおはらいとか」

「ほうほう。晴明様、こちらの娘はもしや、お弟子で?」

「いや、隣の娘だ。用件は何だ?」

「はっ」

 飛丸はかしこまって畳に正座した。

「これより、平安京サル会議が開かれまする。晴明様におかれましては、ぜひ出席をお願いしたいのでございます」

「晴明さん、お猿さんだったんですか?」

 無言で晴明が指を鳴らす。消しゴムが宙に躍り上がって桃花の頭に当たり、窓際まで跳ねていく。

 桃花はふくれっつらで立ち上がった。怒らせるつもりではあったが、ここまで反撃されるとは思っていなかったのだ。

「文房具は大事にしてください」

 文句を言いながら消しゴムを拾いに行く桃花を無視して、晴明は「場所はどこだ」と飛丸に尋ねた。

しよでございます。さるつじの猿がおりますので」

 ──京都御所は分かるけど、猿ヶ辻の猿って、なんだろ? 御所でお猿さんを飼ってるわけじゃないよね。

「そうか。桃花も連れていっていいか」

 ──えっ、答え合わせ終わってないんですけど。

 桃花の表情から不満を読み取ったらしく、晴明は「猿だと思われたままではかなわん」と言った。

「よろしゅうございますよ。晴明様が認めたお付きの者ならば、みなも文句は言わぬはず。さ、ゆきましょう」

 飛丸が小躍りせんばかりに答えた。

 ──お、お付きの者。まるでわたしが晴明さんの家来みたい。

 なかなかショッキングな呼ばれ方だが、それだけ晴明が他界の者たちに認められているのだろう。

「御所ならばうちの井戸から行けるな」

 晴明が飛丸を両手ですくい上げ、肩に載せた。そのままさっさと外へ歩きだす。

「え、ちょっと、井戸から行けるってどういう意味ですか?」

「そのままの意味だ」

 急いで靴を履き、晴明の後を追いかける。

「待ってください、晴明さんっ」

 たそがれどきの庭に出ると、初夏の風が吹いていた。青楓がざわめき、池のみなが揺れる。

 寄り添う二つの庭石が、うんのような細かいきらめきを放っている。

 ──縦石さんと横石さん、幸せそう。

 この家で式神兼庭石となった、もとは足袋型紙の付喪神であった二人だ。今は静かに、主に呼ばれるのを待っている。

 ──それにしても晴明さん、門とは逆方向に歩いていってるけど?

 晴明の広い背中を追う。スーツ姿の陰陽師は、庭の奥へ歩いていく。見覚えのない、石造りの井戸に向かって。

 ──また見慣れないものが突然発生してるよ、この庭……。

 桃花は恐怖で泣きたいような、興奮してはしゃぎたいような複雑な気持ちになる。

 井戸から、重そうな金属製の蓋がひとりでにゴトリと落ちた。

「さ、遠慮するな桃花。一番に入っていいぞ」

 肩に飛丸を載せた晴明が、真顔で手招きする。

「素敵な庭園に招待するみたいなノリで誘わないでください。井戸なんて落ちたら死ぬじゃないですか」

「安心しろ。ただの通路だ」

 晴明の肩で、飛丸は視線をうろうろさせている。

「晴明様、この娘、いつもこのような口の利き方を?」

「気にするな。子どもの言うことだ」

 子ども、という部分を強調して晴明は言った。

 ──十六歳とか十七歳になっても言われるのかな、これ。

 そういえば晴明さんはいつまでお隣さんでいてくれるのだろう、と思いつつ井戸のそばへと桃花は歩み寄った。

「京を行き来するのに冥府の官吏が用いる通路だ。安全上まったく問題ない」

「ほんとですか?」

 桃花は井戸の縁に足をかけて立った。一応スカートは手で押さえる。

「問題ないに決まっている。もしものことがあればご両親に顔向けができないからな」

「晴明さん、いつの間にそんな言い回し覚えたんですか」

「中に式神がいるから受け止めてもらうように」

 晴明が腕を上げ、桃花の背を押した。

「お、落ちる落ちる!」

 視界が真っ暗だ、と感じた途端、綿のように柔らかな何かに受け止められた。落下速度が急に落ちて、靴がストンと石の床に触れる。

「何で、何で?」

 暗さに目が慣れて、灰色がかった石の壁が見えてきた。三坪ほどの空間が広がっている。ここから何本かの地下通路が延びているようだ。

 ──ゲームで見たダンジョンみたい。

 壁の一隅に目をやると、黒い霧のかたまりのようなものが揺らめいている。

「その黒いものが式神だ」

 晴明の声が降ってくる。

 桃花が「あ、ありがと、受け止めてくれて」と礼を言うと、黒い霧は左右に大きく揺らめいてから、通路の一つへ消えていった。

「桃花、端へ寄れ」

 何が起きるか察して、桃花は穴の真下から離れた。ほどなくして、晴明が階段の三段目から飛び降りるような軽やかさで、両脚をそろえて降りてくる。

 タン、という音はひどく軽かった。

「三点着地じゃないんですか?」

「お嬢、何でござるか、それは?」

 飛丸が聞いた。

「ヒーローっぽく、両足と一方の手でザシャァッとやるんですよ。こう」

 足を開き、一方の膝だけ曲げて片手を下についてみせると、晴明はめいもくして首を左右に振った。

「却下だ」

「疲れそうな着地法ですのう」

 思った以上に不評だったので、桃花はしょんぼりしながら立ち上がった。

「こちらの道だ」

 四つある通路の一つに晴明が足を向けると、その通路の内部だけがぼんやりと発光しはじめた。



【次回更新は、2019年10月1日(火)予定!】

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