第四話 おサル戦線異状なし(2)
*
桃花が問題を解いている間、晴明はだいたい好きなことをやっている。
日本史資料集を読んで「なぜこの程度しか史料が残っていないんだ」と不満を言って桃花に「応仁の乱で焼けたからです」と返されたり、式神の双葉に立体パズルを渡して解かせたりと、表情はいつも通り沈んでいるもののどことなく楽しそうだ。
──だから、時々からかいたくなるんだよね。
桃花は日本史の穴埋め問題と記述問題を終えると、シャープペンシルを置いた。
座卓の対面に座る晴明に向かって、話しかける。
「晴明さん、動物園が」
「勉強はいいのか」
文庫本から目を離さずに、晴明がさえぎった。
「制限時間三十分の問題、二十分でできました。残りの十分は休憩ですよー」
「ならば良し」
とは言うものの文庫に視線を据えたままなので、桃花は挑戦的な気持ちになる。
「晴明さん、動物園が近くにあるの知ってますか?」
「ああ。
晴明はまだ視線を動かさない。
それくらいは知っている、いくら現世にうといからといって馬鹿にするな──と怒らせるつもりだったのだが。
「動物園に行って、式神を増やしませんかっ?」
晴明の琥珀色の瞳が、ついっとこちらへ動く。やった、と桃花は内心でほくそ笑む。
「ライオンとか熊とかキリンとか、色んな動物がいるじゃないですか。モデルにして、新しい式神を作ったりできないんですか?」
晴明の眉間の皺が深くなり、桃花は笑いを隠せない。
「キリンの式神を作ってどうするんだ」
「背が高くてかっこいいですよ。高い所にあるものを取ってくれるかもしれないし」
ふうう、と晴明はため息をつき、視線を文庫本に戻した。
──「却下」とか「要らん」とか、何か言ってくれてもいいのになぁ。
無反応ではなかったから、百点満点のうち七十点くらいだろうか。
──あ、もうすぐ三十分。答え合わせしないと。
解答集をめくろうとした桃花は、畳に小さな猿が座っているのを見つけた。
──こんなとこに置きっ放し。陰陽道の術で使うのかな。
「晴明さん、猿のお人形が」
言いかけた時、猿が二本の足で立ち上がった。
「お人形ではありゃしません」
「わあっ」
桃花は立ち上がりかけたが、晴明が平然としているのを見て座り直した。悪いものではないのだろう。
「放置してすまんな、
晴明が猿に話しかけた。
「キリンの式神
「へい」
飛丸が、はにかんだ笑みを浮かべた。
「悪気があって黙っていたわけではないのだ。この子どもが式神の生成を甘く見ているので、どうしたものかと思ってな」
「いやいや、お邪魔してすみませぬ」
ミニチュア猿、いや、飛丸がおじぎをする。
──そんなこと言って、わたしを驚かせるために黙ってたんじゃないですか?
疑わしく思ったものの、飛丸の用事を邪魔しては悪いので何も言わないことにする。
「桃花。飛丸は、
「日吉大社? 滋賀県の、大津市の? わたし最近まで住んでました」
それを聞いて、飛丸はVサインを出した。桃花も調子を合わせてVサインを出す。
「比叡山に鎮座し、
「行ったことありますもん。七五三とか、お母さんお父さんの厄除けのお
「ほうほう。晴明様、こちらの娘はもしや、お弟子で?」
「いや、隣の娘だ。用件は何だ?」
「はっ」
飛丸はかしこまって畳に正座した。
「これより、平安京サル会議が開かれまする。晴明様におかれましては、ぜひ出席をお願いしたいのでございます」
「晴明さん、お猿さんだったんですか?」
無言で晴明が指を鳴らす。消しゴムが宙に躍り上がって桃花の頭に当たり、窓際まで跳ねていく。
桃花はふくれっ
「文房具は大事にしてください」
文句を言いながら消しゴムを拾いに行く桃花を無視して、晴明は「場所はどこだ」と飛丸に尋ねた。
「
──京都御所は分かるけど、猿ヶ辻の猿って、なんだろ? 御所でお猿さんを飼ってるわけじゃないよね。
「そうか。桃花も連れていっていいか」
──えっ、答え合わせ終わってないんですけど。
桃花の表情から不満を読み取ったらしく、晴明は「猿だと思われたままではかなわん」と言った。
「よろしゅうございますよ。晴明様が認めたお付きの者ならば、みなも文句は言わぬはず。さ、ゆきましょう」
飛丸が小躍りせんばかりに答えた。
──お、お付きの者。まるでわたしが晴明さんの家来みたい。
なかなかショッキングな呼ばれ方だが、それだけ晴明が他界の者たちに認められているのだろう。
「御所ならばうちの井戸から行けるな」
晴明が飛丸を両手ですくい上げ、肩に載せた。そのままさっさと外へ歩きだす。
「え、ちょっと、井戸から行けるってどういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
急いで靴を履き、晴明の後を追いかける。
「待ってください、晴明さんっ」
寄り添う二つの庭石が、
──縦石さんと横石さん、幸せそう。
この家で式神兼庭石となった、もとは足袋型紙の付喪神であった二人だ。今は静かに、主に呼ばれるのを待っている。
──それにしても晴明さん、門とは逆方向に歩いていってるけど?
晴明の広い背中を追う。スーツ姿の陰陽師は、庭の奥へ歩いていく。見覚えのない、石造りの井戸に向かって。
──また見慣れないものが突然発生してるよ、この庭……。
桃花は恐怖で泣きたいような、興奮してはしゃぎたいような複雑な気持ちになる。
井戸から、重そうな金属製の蓋がひとりでにゴトリと落ちた。
「さ、遠慮するな桃花。一番に入っていいぞ」
肩に飛丸を載せた晴明が、真顔で手招きする。
「素敵な庭園に招待するみたいなノリで誘わないでください。井戸なんて落ちたら死ぬじゃないですか」
「安心しろ。ただの通路だ」
晴明の肩で、飛丸は視線をうろうろさせている。
「晴明様、この娘、いつもこのような口の利き方を?」
「気にするな。子どもの言うことだ」
子ども、という部分を強調して晴明は言った。
──十六歳とか十七歳になっても言われるのかな、これ。
そういえば晴明さんはいつまでお隣さんでいてくれるのだろう、と思いつつ井戸のそばへと桃花は歩み寄った。
「京を行き来するのに冥府の官吏が用いる通路だ。安全上まったく問題ない」
「ほんとですか?」
桃花は井戸の縁に足をかけて立った。一応スカートは手で押さえる。
「問題ないに決まっている。もしものことがあればご両親に顔向けができないからな」
「晴明さん、いつの間にそんな言い回し覚えたんですか」
「中に式神がいるから受け止めてもらうように」
晴明が腕を上げ、桃花の背を押した。
「お、落ちる落ちる!」
視界が真っ暗だ、と感じた途端、綿のように柔らかな何かに受け止められた。落下速度が急に落ちて、靴がストンと石の床に触れる。
「何で、何で?」
暗さに目が慣れて、灰色がかった石の壁が見えてきた。三坪ほどの空間が広がっている。ここから何本かの地下通路が延びているようだ。
──ゲームで見たダンジョンみたい。
壁の一隅に目をやると、黒い霧のかたまりのようなものが揺らめいている。
「その黒いものが式神だ」
晴明の声が降ってくる。
桃花が「あ、ありがと、受け止めてくれて」と礼を言うと、黒い霧は左右に大きく揺らめいてから、通路の一つへ消えていった。
「桃花、端へ寄れ」
何が起きるか察して、桃花は穴の真下から離れた。ほどなくして、晴明が階段の三段目から飛び降りるような軽やかさで、両脚をそろえて降りてくる。
タン、という音はひどく軽かった。
「三点着地じゃないんですか?」
「お嬢、何でござるか、それは?」
飛丸が聞いた。
「ヒーローっぽく、両足と一方の手でザシャァッとやるんですよ。こう」
足を開き、一方の膝だけ曲げて片手を下についてみせると、晴明は
「却下だ」
「疲れそうな着地法ですのう」
思った以上に不評だったので、桃花はしょんぼりしながら立ち上がった。
「こちらの道だ」
四つある通路の一つに晴明が足を向けると、その通路の内部だけがぼんやりと発光しはじめた。
*
【次回更新は、2019年10月1日(火)予定!】
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