【毎日更新】おとなりの晴明さん【一巻まるごと無料&最新刊大ボリューム試し読み】

仲町六絵/メディアワークス文庫

おとなりの晴明さん ――番外編「きつねのひな祭り」

番外編「きつねのひな祭り」前編

 晴明せいめいの家の玄関を開けると、白い猫が板の間に走り出てきた。

この家を鼠の害から守っている、瑠璃るりという猫の霊だ。口にはお手玉をくわえて、桃花ももかをきらきら光る青い目で見上げている。

「こんにちは、瑠璃ちゃん。今ごきげん?」

 桃花はでれでれと口元をゆるめた。

 家で飼っている三毛猫のミオも、よく同じ仕草をする。このおもちゃで一緒に遊ぼう、というお誘いだ。

「良かったぁ、ちょうどいいタイミングで来て。ありがとうお母さん」

この場にいない母親の葉子ようこに、思わず礼を言う。今日は三月三日の雛祭りなので、学校から家に帰って早々、葉子から「雛あられ、晴明さんに持ってったげて」と言われたのだ。

「晴明さんは、奥にいるの?」

 セーラー服のスカートの裾を押さえながら板の間に上がる。すると瑠璃は突風のごとく身をひねり、桃花の細い足首をかぷりと甘噛みした。

「ぎゃあ、肉弾戦? お手玉の取り合いじゃなくて?」

「猫に遊ばれてどうする」

「あ、晴明さん」

 晴明が板の間に出てきた。最近は着物に羽織を着ていることが多いので、どことなく和装業界の関係者に見える。

「妙な悲鳴を上げるな。河童の産声かと思うだろう」

「変な比喩やめてください」

 もしや平安京の陰陽師は、比喩がおかしいのが当たり前なのだろうか――と桃花は疑った。以前も、ふぐだの転んだ舞妓だのと言われたことがある。

「それより、瑠璃ちゃん今日ちょっとハイテンションじゃないですか? ほら、わたしの靴下にすりすり甘えてるし」

「瑠璃は雛人形のせいで浮かれている。珍しかったようだ」

「えっ、そりゃ今日は三月三日ですけど……」

 桃の節句に雛人形を飾るのは、女児がいる家だけだろうと桃花は思う。

「お雛様、いたんですか?」

 晴明が無言で手招きするので、桃花は床でのたうつ瑠璃を置いて和室に入った。

古い棚の一番上に、白いうりざね顔の男雛と女雛が並んでいる。

髪のつやも目の輝きも、まだ新しいと思われた。両側には小型のぼんぼりが配置されて、小さいながらも優雅な人形飾りである。

「……晴明さん、ほんとに瑠璃ちゃんが好きなんですね」

「そうか」

 晴明の返答があまりに無感動なので、桃花は語気を強めた。

「瑠璃ちゃんのためにお雛様を飾ったんですよね? この家にいる女の子って瑠璃ちゃんだけだもの」

「行事だからな。仮に瑠璃がいなくとも、桃の節句のしつらえは要る」

「そういうものですか? あっ、これ母からです。雛あられ」

「ありがとう。番茶でいいか?」

「お願いしまーす」

 晴明が奥の台所へ向かい、桃花はバッグから勉強道具を出した。今日は春休み中の模試に備えて、高校一年生の復習をする予定だ。

「そういえば、晴明さん。今日のお昼、下鴨神社しもがもじんじゃで流し雛神事があったらしいんです。丸い舟に紙のお雛様を乗せて、厄と一緒に水に流すっていう」

「ああ。あったらしいな」

 桃花が台所に入ると、晴明はひなあられの袋を開けて、中身を二枚の豆皿に移しているところだった。

「でも、今年はカラスがお雛様の乗った舟を一枚持っていっちゃったらしいです。あ、舟だから一艘? とにかくこれ見てください」

 桃花がスマートフォンで画像を見せると、晴明は「ん」と不可解そうに言った。

「流し雛神事に行った人が、SNSに投稿したんですよ。ハプニングだった割に、よく撮れててすごいでしょ?」

 画像には、澄んだ水面の上を飛ぶカラスが写っている。嘴にくわえた薄く丸いパンケーキのような物は、紙製の男雛女雛を乗せた舟だ。

「これは狐だ」

「狐? 人に化けた狐が写ってるんですか?」

「違う。狐がカラスに化けて流し雛を盗んでいる」

「え、何のために?」

 晴明やあやかしたちに関わるようになってそろそろ一年、桃花にとって狐がカラスに化けることなど、初耳とはいえ驚くにはあたらない。しかし、厄を乗せた流し雛を持っていくのは不可解だ。

「流れている流し雛を持っていったら、厄まで持ち帰っちゃいますよね? 危なくないですか」

「流し雛一対に宿っている厄など、大したことはないが……何かあれば、双葉が報告に来るから問題ない」

 晴明に仕える少年の姿の式神は、外で見廻りをしているらしい。

「今日が桃の節句で、節目の時期だからですか?」

「素晴らしい。学校の勉強もその調子で頼む」

 晴明は棚から茶缶を取り出して急須に茶葉を入れてから、和室の方を指さした。

「番茶を淹れて持っていくまでに、授業の準備を済ませておくように」

「番茶の抽出ちゅうしゅつ時間ってことは、三十秒くらいじゃないですかっ」

 急いで晴明に背を向け、和室に入る。

 背後でポットの湯を急須に注ぐ音がした。

 瑠璃はいつの間にか和室の隅で、お手玉を抱えて寝入っている。


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