第五話 舞妓の神様(4)
「十歳ほど離れている兄と妹は、今の現世ではよくある話か?」
「たとえば、結構歳が離れてるね、ぐらいは言われるかも。その程度には珍しいから」
「分かった。どんな話をしていれば兄と妹に見える?」
晴明は、家族らしく見えるよう芝居をするつもりらしい。
「うーん……わたしも一人っ子だから、難しいです。でも晴明さん、現世のことよく知らないんだから無理してお芝居するのはかえって危険だと思いますよ」
晴明は意外にも、素直に「うむ」と応えた。
「あんまり喋らずに、商品を見る振りしてればいいんじゃないかな。あの女の人の様子を探るのが目的ですよね?」
「ああ」
晴明は、看板に書かれた「お気軽にお入りください」という文言に目をやると、ガラス戸を開けた。
「いらっしゃい」
ふっくらした体型の男性がこちらに笑顔を向ける。
まかないの女性、いや、うつくし御前は熱心に陳列棚の野菜を見ている。持っているカゴにはニンジンが二袋も入っていて、さすがプロだと桃花は思った。あれが一食分だとしたら、皮むきだけで何十分もかかるだろう。
「ねえ店長さん」
うつくし御前が、まろやかな声で言った。
「ゆでたニンジンを青じそと合わせてサラダ作りたいねんけど、青じその香りってきつすぎることないやろか?」
「はあ、でもまあ彩りと栄養はええやろねえ」
店長が青じそのパックを見やりつつ言う。
「そや、初花さん」
と、取引先である置屋の名前を呼ぶ。
「ちょっとだけ香りが柔らかくなるように、青じそをさっと湯通ししたらどうですやろ? ほんの五秒くらい」
「あ、いいかもしれへん。軽くなら栄養もそんなになくならへんやろし」
「湯通ししたらすぐ冷水にとって、キッチンペーパーで水気を絞ったらよろしいです。あとは刻んで、油
「ああ、それ、ええなあ。油に合わせるとカロテンの吸収がようなるらしいし」
──栄養も考えてるんだぁ。さすが神様。
桃花は感心してしまう。しかし、それが美の神であることとどうつながるのだろう。
「ほな、今日はニンジンと青じそ、二パックずつ。おたのもうします」
「はいよ、おおきに」
店長が商品の梱包を始め、うつくし御前は腕時計に目をやる。
「久しいな」
晴明がぽつりとつぶやいた。
うつくし御前が振り返り、ぎょっとした顔で晴明を見た。
「あなたは」
形の良い唇がわななく。
「本当に気がつかなかったのか。よほど買い物に熱中していたんだな」
「あれ、お知り合いでした?」
何も知らない店主が眉を上げて驚き、桃花は調子を合わせねばと思った。
「あはは、そうなんですー」
うつくし御前の視線が痛い。たぶん、この娘は何者だろうと思われている。
「あ、店長さん、この
桃花は透明なフィルムに包まれた赤や緑のキャンディーバーを指さした。店長の顔が
「これね、新商品です。京野菜で作った
「へえ、そうなんですかあ、かわいい」
「赤が
「へえ、菜っ葉なんですか!」
店長の話を半ばは真剣に聞きつつ、桃花は晴明たちの会話に耳を傾ける。
「今夜の午前二時、美御前社。来られるな?」
「八坂神社は閉門ですけど。置屋の門限も過ぎてるし」
「自分の社だろう、うつくし御前。できるはずだ」
晴明は会話を打ち切ると、京野菜キャンディバーを二本取って店長に渡した。
「ご自宅用でよろしいですか?」
「はいっ、自宅用でお願いします」
晴明が何か答える前に、桃花は言った。
「今そう答えようと思ったんだが」
桃花に文句を言う晴明を、店長は穏やかな微笑で眺め、うつくし御前は珍獣に出くわしたような表情で見つめた。
「あなた、やさしくなりましたか……?」
「近所の子どもにはそれなりに」
晴明の答えに、店主が(なるほどご近所さんか)と言いたげな顔をする。
──兄妹っていう設定はどこ行ったんですか、晴明さん。
釈然としない桃花を差しおいて、晴明はキャンディーバーの代金を払った。
「ありがとうございます、ご自宅用でしたねー」
店主はそう言いながらも、ピンクに白い水玉の、やけに可愛らしい袋に商品を入れてくれた。スーパーによくあるポリ袋ではなく、このコスメショップのような袋がデフォルトらしい。
──さすがおしゃれ八百屋さん。
妙なところで、桃花は感銘を受けた。大津市にこういう店はなかったからだ。
「ありがとうございましたっ、またどうぞー」
新商品が売れて満足そうな店主に見送られて、晴明と桃花は店を出た。ガラスの嵌まったドアを閉める時、うつくし御前が不安げにこちらを見た気がした。
──いったいどんな事情があるんだろ。女神様が、美人だけど普通の地味な人に化けて……。舞妓に憧れてるとか、料理が好きとかかな。
路地を歩きながら考えこんでいた桃花は、ふと隣を歩く晴明を見て「わ」と小さく悲鳴を上げた。晴明が、スーツ姿の長身の青年が、可愛いピンクの袋を持ったままだ。
「待って晴明さん、袋、持ちますよっ」
思わずスーツの袖をつかむ。晴明は立ち止まり、桃花を不思議そうに見下ろした。
「やけに親切だな、桃花」
「その袋、女の子向けですもん」
「おかしいか?」
琥珀色の髪もうるわしい端整な顔の横に、晴明はピンクと白の水玉模様をかかげてみせた。
それを見た通りすがりの女性グループが、「ふあー、ナイスギャップ」「や、ええもん見た」と笑顔でささやき交わしながら去っていく。
「どうしたんだ、あの娘たちは」
「ええと……『ギャップ
「は? なんだそれは」
晴明が顔をしかめる。
「かっこいい人が可愛い物を持ってるから、きゃー素敵……みたいな……」
真正直に説明したことを、桃花は後悔した。晴明は心底面倒くさそうな、額に黒雲がただよっているような不機嫌な顔で可愛い水玉模様の袋を手渡してきたのだった。
【次回更新は、2019年10月22日(火)予定!】
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