第38話 嬉涙
自室にてレイラと二人、椅子に座る。お互いにその手はテーブルの下に伸び、何かをこらえるように頬は赤い。
「レイラ、もう……」
「姫様……私、も……」
室内には二人の荒い、息づかいのみが聞こえる。
二人の女子が荒い息を吐き、時々、身をよじらせるその光景。傍から見ればそこは桃源郷。しかし、本人たちにとってその状況は地獄。いつ破られるともしれない均衡の、そのときを想像する余裕すら僕たちには既に無かった。
(どうして……こんなことに……)
始まりは今日の朝――そのとき、僕たちはいつものように授業を受けるために部屋を出ようとしていた。
(よし、準備おけ)
「レイラ、いってきま……」
(ん?)
取っ手を回そうとするも、うまくいかない。
(あ、あれ?)
がたがたっ。
「どうしました?」
「これ……」
僕の目線の示す先、レイラは不思議そうに取っ手に手を伸ばした。しばし取っ手を弄るも、ドアが開く様子はない。
「故障でしょうか」
「困った」
「そう、ですね……」
それからレイラは少し考えてからドアを叩き、外に助けを求めた。
「すいません! 誰か、誰かいませんか!」
すると、すぐに「どうしたの?」と外から女性らしき声の返事が返ってくる。
「ドアが壊れたようで、外に出られないんです。誰か呼んで来てくれませんか」
「わかった。待っててね」
声の主の廊下を歩いていく足音が聞こえる。
「ふぅ、なんとかなりそうですね」
「ん。よかった」
(けど、遅刻とか大丈夫かな。いや、それは説明したらきっと……)
「姫様」
「ん?」
「待っている間、お茶でもいかがですか」
(そうだね。一旦、落ち着こう)
「いいね」
「はい」
レイラは慣れた手つきで、お茶をいれていく。洗練された彼女の動作には、それだけで惹きつけられる何かがあった。
「どうぞ」
「ありがと」
ずず……
(ほっ)
「ふぅ」
僕のカップのお茶がなくならないように、レイラはお茶をつぎ足してくれていた。
レイラと二人、お茶を飲んで……飲んで……飲んで……
三杯目を飲み終わる、その頃には違和感を抱いていた。
「ね、レイラ」
手のひらを組み、それで口元を隠して神妙な面持ちでレイラを見つめる。
「……はい」
認めたくない、それでも認めなければいけないこの現実。その認識を共通のものにしたかった。
「遅い」
(いや、遅くない!?)
「そう……ですね」
さすがに遅すぎる気がする。寮にも受付のとこに人はいるだろうし、こんなに時間はかからないはず。
(もしかして、忘れられてる? そんな)
実はこのとき、お茶の飲み過ぎか腹の奥から徐々にこちらへと迫り来る尿意を感じていた。絶望的なことにトイレは部屋の外にあり、このままだと痴態を晒すことは確実だった。
(ど、どうしたら)
救いを求めて、レイラに視線を送ってみると––その顔はこころなしか赤く、手は机の下に、時々もぞもぞと落ち着かない様子であった。
(まさか)
「もしかして、レイラも……」
「も? ということは姫様……」
僕たちは、お互いの状態を悟った。共に極限の状態。既に来るかも分からない助けに希望的観測をしている余裕はなくなった。お互い、速やかな脱出に向けて行動を開始する。
「誰か!」
僕は窓の外に向け、大声で助けを求めてみた――が、外には誰の姿も見えない。レイラも再びドアを叩き、助けを求めるが返事は返って来なかった。
(くっ、どうして……はっ)
いつもなら授業を受けているこの時間帯。寮に人がいないのも当然であった。
周りに人はいない。部屋にトイレはない。ドアをこじ開けるほどの力も僕たちにはなかった。そんな、絶望的な状況。
(だとしても)
誰かが言っていた。諦めたら、そこで――
「レイラ、絶対、諦めない! 円卓会議、だ!」
「はいっ!」
それから僕とレイラは迫り来る尿意の中、知恵と勇気を振り絞り、脱出への糸口を探り続けた。
結果――
「うぅ」
空気はお通夜。絶望が部屋を満たしていた。
考えた。レイラと一生懸命、必死に。結果わかったこと、それは――
(希望なんて、なかった……)
希望は無い。それだけだった。
(はぅっ)
時間経過に伴い、凶悪さを増した尿意による怒濤の猛攻が僕たちに襲いかかる。
「レイラ、もう……」
「姫様……私、も……」
(どうして……こんなことに……)
「レイラ……」
「姫様……」
希望は絶たれ、終焉はすぐそこに――
ガチャ。
「え?」
(いまのは……まさか)
「レイラ!」
「はい!」
急ぎ、ドアへと向かう。
(あれは――)
今は閉まっているドア。さっき、誰かがその隙間からこちらを覗くように見ていた気がする。
「姫様」
レイラがドアが開くのを確認した。以心伝心、僕たちの気持ちはシンクロし、一切の言葉を口に出さず二人、無言でトイレへと駆ける。
「――ふぅ」
「なんとか、なりましたね」
ただトイレを済ませただけなのに、この開放感。温泉上がりの牛乳さながらの爽快感すら覚える。
「今は……昼ですね。どうしましょう」
(あぁ、二時間もすっぽかしてしまった……)
「とりあえず、昼、たべよか」
「はい」
(それにしても、ドアを開けてくれた、あの人影は誰だったんだ?)
「姫様?」
「あ、ううん。ご飯、ご飯」
――食堂にて、久しぶりのボッチではない昼飯。レイラがいる、その温かみを噛みしめた。
レイラと別れ、次の授業のクラスへ。その足取りは軽い。
前世ではボッチながら小学校を無遅刻無欠席、皆勤賞を遂にはゲットした。達成感はあったが、その道のりは辛く険しいものでもあった。そして、今日のことで皆勤賞はなくなった。残念に思いつつも、どこかで安堵している自分を感じ取っていた。
(それに何より、昨日、お茶会でクレアには十字架のバッジをもらった。きっとあれは友達にのみあげている、友達の証みたいなもののはず。それを貰った僕はつまり――)
未来に希望を描き、教室への一歩を踏み出した――途端、教室内に広がる異様な雰囲気を感じ取る。僕が入ると同時、さっと波が引いていくように沈黙が広がっていき、次にざわざわと教室中にざわめきが起こった。
(え?)
こちらをチラ見する生徒の中、確かにこちらへと歩いてくる影が一つ。
「ディアナ!」
僕を呼んだクレアの――その声には怒気がこもっていた。
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