第25話 別離

 あの日――マリアと一緒に泣いた日から、僕は常に焦燥に追われながらの日々を送っていった。

 目覚めるとマリアはもうそこにはいないんじゃないか。そんなことを考えてしまうと、ろくに夜も眠れなかった。


 あれからの一週間。


 一週間のはじめのうちはどうしてマリアが死ぬのかと必死になって原因を探った。その一環としていろんな人にどうしてマリアが死ぬのか聞いてみたりもしたけど、誰もが口ごもりまともには答えてくれることはなかった。

知らないのか、それとも知っていて言ってくれなかったのか。

知っているのか知っていないのか、どちらともいえない反応がもどかしかった。


 一週間も終わりの頃にはもう僕に打てる手はなくなっていて、せめて最後の瞬間まで少しでも一緒にいようと思い、常にマリアの近くにいた。

 その期間は本当に辛く、何も出来ない自分を恨んだりもした。


 間の悪いことに、この時期に学園の入試はあった。あのときはマリアが心配で速攻で終わらせて帰ったからさすがに受かっているとは思うけど、不安の残る結果になった。


 そして二週間が経ったいま――


「お嬢様?」

いまもマリアは生きていた。


「どうしました?」


 じぃっとマリアを見つめる。

「マリア、いつ、死ぬの?」

 さすがになにかおかしいと感じた。


「お嬢様……それは死ね、という意味でしょうか……」

(え……あっ)

「いやっ、ち、違う。生きて、欲しい」

「よかったです」

 ほっと胸をなでおろすマリアの様子を見て、僕も安心した。


「先ほどの質問に答えると寿命という意味でしたら、おそらくあと四十年ほどは生きているでしょうね」


(へ? あれ? もしかして……)


 あのときマリアが言った、先に死ぬという発言。それがもしかしたら寿命のことを言っていたという可能性に気がついた。


(いやいや、けど……)


「マリア、前、倒れた、よね?」

「ええ」

 確かにあのとき、マリアは急に倒れた。

「あれ、なんで?」

「その……あのときは悩み事がいろいろありまして、あまり眠れていなかったので……」

「ん?」

「つまり……」

(つまり?)

「原因は寝不足ですね」

(んなっ!)

 あまりにもなんてことの無い原因に愕然とした。


「あ、そう……」

 なにか勘違いしていたことに気づき恥ずかしいやら、今までの不安が解消され嬉しいやらとなんとも複雑な気持ちだ。

 もとより張る必要のなかった緊張の糸は緩まり、全身が脱力する。


(あ……そういえば、最近はあまり眠れてなかったっけ……)


 その勢いに乗って目を閉じ、僕はマリアの膝の上で意識を手放した。


「おやすみなさいま――」

(おやすみ)


 ガラガラガラ……


 ガッ、ゴッ。


 軽い衝撃を感じた。


(んぅ?)

 数度まばたきを繰り返し、目をほぐす。

 夢を見た。

(多くの人に手を振られてて……まるで僕は来日したハリウッドスター……のような)

 とにかく気分の良い夢だった。


(それで、ここは……)

 見覚えのない部屋。それに狭い。

 さっきから右に圧力を感じる。


(これは……)

 どうやら、僕は誰かにもたれ掛かっているようだ。


(マリアかな?)

 いつものかすかに香る安心する匂い。それはマリアの匂いだった。


 視界の端。すごい速度で景色は変わっている。

 そして、軽快に一定のリズムを刻む音。


(ここは……馬車? 何故?)


 確か最後に寝たのは自分の部屋。マリアの膝の上だったはず。

 預けていた体重を取り戻し、状況を把握しようとする。


「ね、マリ、ア……」


(あれ?)


「おはようございます、姫様」

「レイラ?」


 僕がもたれていたのはマリアではなく、レイラだった。


「はい、どうしましたか?」

「えと、どうして、レイラが……」


 レイラの表情が曇り、謎の間が発生した。


「そう、ですよね。やはり私では不満、ですよね……」

(え?)

「あの、レイラ?」

「わかってます。すぐにでも代わりの者、を呼んで――」

「待って、待って」

 徐々に顔が歪んで行き、今にも泣き出しそうな様子のレイラに焦って静止の声をかけた。


「大丈夫。満足、してる」

 なんのことだかわからなかったけど不満と聞こえたから、とりあえず満足だと答えておいた。


「本当、ですか?」

 潤った瞳に疑惑の表情でこちらを見つめてくる。


「うっ」

『会心の一撃、ディアナに999のダメージ』

「姫様?」

「本当、だから」

(その目はやめて)


「ところで、これ、どこ、向かってる?」

 話を変えようと思い、別の疑問をぶつけてみる。


「え、学園の寮……ですよね?」

(え?)

 それはまるで僕が知っているかのような聞き方だった。


(あれ? もしかして……)

 夢にしてはあまりにもはっきりしていた。

 そういえば荷物も整理したし、そろそろな気はしていた。


(あれは、学園に行く僕のための見送り……だった?)

 だとするともう、当分マリアには会えない。


 マリアという絶対な安心感の喪失。それに伴ってこれからの学園生活への不安がいくつも頭に浮かんでくる。

 友達が出来るか。うまく話せるか。ペアを作れと言われるんじゃないか。前世の苦い記憶が呼び起こされる。


――きゅう。


(う、まずい)

 そんなことを考えていたからか、腸内フローラで悪玉菌が猛攻を始めたようだ。


「レイ、ラ」

(くぅぅ)

 気づくともう止められない。


「はい、どうしました?」

「おなか痛い、トイレ、お願い」

「はいっ! すいません、どこかトイレを見つけてください」


 すぐさま窓から顔を出して御者に向かって叫んでくれた。

 頼もしいその姿をみてすこし、先の不安が和らぐ。


「姫様、あとすこしです。頑張ってください」


 レイラはこんな情けない姿を見せても、励まし続けてくれていた。


(レイラ……)


 きっとレイラと一緒なら大丈夫。今度は初めから一人じゃない。


(マリアがいなくても朝しっかり起きて、うまくしゃべって、友達も作って、今度こそは絶対に楽しい学園生活を送ってみせるぅ……くぅぅ)


 昔の二の舞にはならないと決意を新たに、目の前の課題を解決するために今は定期的な腹の周期と戦いつつトイレだけを見据えた。

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