第39話 嬉涙

「ど、どうしたの?」

「どうしたの……じゃ、ない! あなたなら、って少しは期待、して……」

「ん?」

「なんでもない! バッジ、返しなさい」

(え、そんな)

「ゃ」

「なによ!」

クレアが僕につかみかかる。

「いゃ……」

(いやだ、これは……)

「っ、なんでよ!」

「これはっ、友達の証、だから!」

 僕の言葉にクレアはつかみかかっていた手を離した。


「そんなの……っ」


 突然、クレアは僕の脇を走り抜け、教室から出て行ってしまった。


(なんなんだ。なんで、あんなに)


「ディアナっ」

(キース?)


「もう、大丈夫なのですか」

 その表情は酷く焦っていて、僕はなにやら心配されていた。


「大丈夫?」

「毒を盛られたって聞いてっ、それで」

(毒? 僕が? よくわからないけど、今は――)

「キースに、かまってる、場合じゃ無い!」

「ディア――」

 急遽迫った友達破局の危機。何故かわからないけど、クレアは大変お冠の様子。ほとんど友達グループの固定された今、少しのチャンスも僕は逃すわけにはいかない。なんとかクレアの怒りを静めなければ――


 教室から出て、当てもなく学園内を走り回る。

(クレア、どこに)


 たどり着いた先は教会の様な内装の部屋、そのイスからはみ出し、金色の髪が目に映った。


「クレアっ」

 こちらを見た、クレアの瞳には涙が浮かんでいた。


「ぐす、っなによ」

「……どうして、泣いてるの?」

「泣いてない」

「そう……」


(ど、どうしよう。こんなとき、どうすれば。え、えと)


 無音の緊張感漂う雰囲気の中、先に口を開いたのはクレアだった。


「ねぇ、どうして」

「へ、なに」

「どうして、追いかけてきたの」

「それは……」

(どうして……なんで怒ってたか知りたかったから? 仲直りしたいから? いや……違う。僕が――)

「友達、だから」

「とも、だち……」

(いや、たぶんそう……だよね?)

 僕の返答を聞いたクレアはすこしの間、呆けた表情をしていた――

「うぅ、ぐすっ」

 かと思ったら、急に泣き出してしまった。


(え、あれ、もしかして友達じゃなかった? うん、いや……あれ?)


さっぱり、なんで急に泣き出してしまったのかは分からなかったが、僕のせいであることはなんとなく感じていた。


(と、とりあえず、こういうときは……)


 三十六計、抱きしめるに如かず。これによって、脳内でムーミンとゼットンとかいう物質が放出されることによって不安が和らぐとかどうとか。


「大丈夫、大丈夫」

(いったい、何が大丈夫なんだろうか)


 自分で言っておいて、何を言っているのか。自分でも分からない。


 クレアは嗚咽が収まってくると、ぽつりぽつりと言葉を口にした。


「もう、大丈夫。ディアナ、ごめん……なさい。あれ、あなたじゃなかった……のね」

「あれ?」

「ううん。いいの、もう分かったら。それより……」

「ん?」

(それより?)

「私たち、そう……なのよね?」

「そう?」

「そ、その……とも……とも……ち」

「ん?」

「友達! 友達よ、友達なのかってきいてるの!」

(友達……)


 それは、僕にとって初めての誰かから友達だと言われた瞬間だった。前世も合わせて二十二年、今までの曇天の日々は報われた。そして、これからの未来を照らす、光明が差し込んだ瞬間だった。


 ツー、と僕の頬をなにかが伝っていく。それは、目から溢れてきて。そして、止めることができなかった。


(あれ? 僕、なんで、涙が……)


「え、ディ、ディアナ?」


 嬉しさで、泣けることがある。このとき、初めてそのことを知った。


「ごめん、ごめんね。怒ったりしてないの。だから、泣かないで」

「ち……違う。うれ……しい。クレア、が、ともっ……だちって、言って」


 それから、少しの間が空いた。涙で視界はにじみ、クレアの表情は分からない。


 不安の芽生え始めた頃に、クレアは僕を抱き寄せた。


「ディアナ……私も」

 その声は震えていて、しかし悲しそうではなくて。彼女が涙を流していることは、僕の首筋を伝っていく冷たいものが証明していた。

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