第40話 嬉涙 クレアside


 お茶会のあった日の翌日。授業の始まる十分ほど前――私が教室に着いた時、ディアナはまだそこにはいなかった。


(ディアナ、どうしたんだろう。い、いや、別に心配してるとかそういうのじゃないんだけど)


 いつもならこの時間、いるはずの彼女のことが少し心配になる。


 それから十分ほど経った後――授業は始まり、一時間目を終えてもディアナが来ることはなかった。


 ディアナが授業を休むことなんて今まで一度もなかった。前の方の席をとって、真面目に授業を受けていた彼女がズル休みをするとは思えない。何かあったのは確実だった。


(ディアナ……)


「クレア様?」

「え、ええ」

(ううん、気にしすぎよ)


 そうは思うものの、それからも彼女のことが頭からはなれることはなかった。


 休み時間が終わり、二時間目が始まってすぐの頃――何故か周囲の視線がこちらに集まっているような気がした。こそこそとした喋る声の中、その中から「クレア」、「ディアナ」の単語をよく拾っていた。


(なんなの……私、とディアナ?)


 居心地の悪さを感じつつも、どうすることもできず苛立ちだけが溜まっていった。


 二時間目の授業が終わるとすぐ、別のクラスのウェスト派閥の生徒から疑問の答えはもたらされた。なんでも、私が昨日のお茶会でディアナに毒を盛ったのではないか、と噂になっているとのことだった。


(そんな噂、誰が)


「クレア様、これはディアナの仕業なのでは」

「クレア様の厚意を裏切って、こんなことを」

「許せません!」

 口々に彼女の仕業だと決めつけて、非難する声が挙がる。


「待ちなさい! 別に、彼女だと決まったわけじゃないでしょ」

「そ、そうですが」


(ディアナが、そんなこと)


 否定したい、そう思いつつも否定しきれない。あまりにも状況が整いすぎていて、意図的なものを感じてしまう。ディアナのことを信じ切れない、そんな自分を情けなく思った。


「所詮、噂よ。気にする必要はないわ。それよりも昼、いきましょ」

「……わかりました」



 昼食を食べ終わり、次の教室で待っているとき――今日何度目かも分からないほど聞いた「ディアナ」の単語を再び耳が拾った。始めは、また私が毒を盛ったみたいな話だと思い気にしていなかったが、どうやらそんな話ではないようで――


「さっきの、そう……よね?」

「うんうん」

「なんか普通に昼食たべてたけど」


(嘘……)

「ちょっと」

「え?」

「その話、よく聞かせなさい!」


 聞き出したところ、ディアナが食堂にいて普通に昼食をたべていたのを見た、とのことだった。ということは彼女は別に体調不良でも何でもなしに授業を休んでいたことになる。そこに、私がディアナに毒を盛ったという噂が流れた。


「クレア様、やはりディアナが」

「そうですよ、やっぱり」


(ディアナ……)

 周囲の言葉が耳に入らないほど、心に怒りの奔流が渦巻いていた。


「クレア様、あ、あれ」

 その目線の先、教室の入り口にディアナはいた。


 彼女が視界に入った瞬間に足は動き出した。その足取りは迷い無く、彼女の元へと一直線に。裏切られたことによる怒り、悲しみ、悲痛な思いを込めて言葉を放つ。


「ディアナ!」


 私の憤りに対して、こちらを見たディアナの表情にはなんの気負いも無く、それが癪に障る。


「ど、どうしたの?」

「どうしたの……じゃ、ない! あなたなら、って少しは期待、して……」


 そう、期待していた。私に対して言葉を選ばない、対等な友達になれると。けど、違った。彼女の態度を見ていて、勝手に私がそう思っていただけだった。


「ん?」

「なんでもない! バッジ、返しなさい」


(思えば、最初からおかしいと思ったのよ。代表挨拶のときに皇帝になると宣言した彼女が簡単にウェストのバッジをもらうのも。誰も、仲間がいなかったことも。全部、私を陥れるためだったんでしょ!)


「ゃ」

「なによ!」

 思いがけない反抗に、怒りが抑えられなかった。つかみかかり、無理矢理バッジを奪おうと試みる。


「いゃ……」

 それでも、彼女の必死な抵抗にその試みは阻まれた。


「っ、なんでよ!」

(どうせ、全部、演技だったんでしょ! 私のことだって、どうせなんとも……)


 一瞬、彼女の抵抗が止まった、と思った次の瞬間には彼女の口から思いがけない返答が返ってきた。


「これはっ、友達の証、だから!」


「そんなの……っ」

 信じられるわけがない。そう思った。しかし――


(え……)

 言葉を失った。

 彼女の瞳は普段の透き通った金色から、薔薇の様に深い紅、深紅に。真祖の特性、一時的な目の変色。それは、極度に感情がなにかに傾いたときに起こる。それの意味するところは、つまり――


(ディアナは、本気でそう、思って……そんな、じゃあ……っ)


 ディアナが噂を流したわけではない。それなのに勝手にディアナがやったと決めつけて、理不尽に彼女を責め立てた。その事実が、私を追い詰める。


(信じて、なかったのは――)


 彼女の脇を走り抜け、教室から飛び出した。運命、神、本能、何がそうさせたのかはわからない、私は自然と教会へと向かった。


 教会に着くと長椅子に座り、心の中で懺悔する。罪を告白するたびに、涙は流れた。


(私は、私の勝手な勘違いで、ディアナにひどいことをしてしまいました。彼女が裏切ったのだと、そう思って、けどそれは結局、私がディアナを信じていなかったんだって気づいて……お願いです神様、叶うなら、もう一度、彼女と――)


「クレアっ」

(うそ、ディアナ……)


「ぐすっ、なによ」

 咄嗟に出た言葉は自分でも、驚くほど酷いものだった。


「……どうして、泣いてるの?」

「泣いてない」

「そう……」


 強がってしまい、素直になれない。そんな自分が嫌になる。


「ねぇ、どうして」

「へ、なに」

「どうして、追いかけてきたの」

「それは……」


 何を期待しているのだろう。彼女にあんなことをしておいて。私に、そんな資格はないというのに。

 それなのに、彼女は――


「友達、だから」

「とも、だち……」


 それは予想外の言葉だった。友達だと、そんな風に私の事を言った人はいままでにいなかった。だれもがどこかよそよそしく、私に遠慮しているのを感じていた。だから、対等に気兼ねなく話せる、そんな関係に密かに憧れていた。


「うぅ、ぐすっ」


 嬉しかった。長年の願いが叶っただけではなく、その友達と言ってくれたのがディアナだったことが、何より。


「大丈夫、大丈夫」

 落ち着いた、優しい声。彼女に包まれ、徐々に落ち着きを取り戻していく。


「もう、大丈夫。ディアナ、ごめん……なさい。あれ、あなたじゃなかった……のね」

「あれ?」

「ううん。いいの、もう分かったら。それより……」

「ん?」

「私たち、そう……なのよね?」

「そう?」

「そ、その……とも……とも……ち」

「ん?」

「友達! 友達よ、友達なのかってきいてるの!」


 こんどこそ確かにはっきりと聞こえたはずの質問に、ディアナはなかなか答えない。


(え、そんな、また私の勘違い!?)


 恥ずかしいことを聞いたと後悔しかかっていたところ、彼女の変化に気づいた。

 彼女の金色だった瞳は深紅に、頬には涙が伝っている。


「え、ディ、ディアナ? ごめん、ごめんね。怒ったりしてないの。だから、泣かないで」

「ち……違う。うれ……しい。クレア、が、ともっ……だちって、言って」


(うそ……)

 ディアナも同じ気持ちだった。それを知り、止まりかけていた涙は息を吹き返した。うれしさを、身体全体で表すように彼女を抱きしめる。


「ディアナ……私も」


 嬉しくて、涙がでることがある。


(彼女とはすれ違ってばかりだったけど、きっとこれからは大丈夫。だって……私と彼女には今、同じ涙が流れているんだから)

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激昂の兎姫 hood @hood7

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