第26話 別離 マリアside

「おやすみなさいませ」

「おやすみ」


 お嬢様が眠りにつくまで、今では日課となった日記を書いていく。


(今日は……)

 今日あったこと、取り留めのない些細なことを書き綴っていく。


(今日もお嬢様は可愛いかったです……と、そろそろいい時間ね)

 日記を書き終わる頃にはいつもお嬢様は眠っていた。


「お嬢様」


 反応はない。眠ったようだ。

 顔に被っていた髪をわけ、まじまじとその寝顔を見つめる。


(ティナ様……)


『マリア……ディアナを、よろしく、ね』

 いまでも思い出せる。あのときのティナ様の最後の声、弱々しい笑みを。


 私に託してくれたその期待に応えようと必死でいままでディアナ様の側にいた。

 しかし――いまではそれを後悔している。


 このまま私がずっと側にいてはディアナ様の中での私という存在がどんどん大きくなってしまう。そうなると私が死んだとき、将来的にディアナ様の心に大きな負荷がかかることになる。親族でも何でも無い、ただの一使用人である私のようなものがそんな過大な価値をもって良いはずがない。


 それに気づくのが遅かった。

 うぬぼれでないならいま、ディアナ様の中で最も大きい存在というと私だろう。

 すでにお互い、離れるには辛い時間を過ごしてしまっていた。


(結局のところ……私はディアナ様のことを考えていなかった)


 謝辞、そして別離の寂しさをごまかすように額に唇をあわせた。

(お嬢様……)


 つむっていた目を開けたときに一瞬、深紅に染まった瞳を見たような気がした。

 しかしお嬢様からはなんの反応もなく、そのときは気のせいだと思った。


「おやすみなさいませ、お嬢様」


 灯を消して部屋を出る。


 部屋の前、薄暗い廊下にコツコツと誰かの足音がする。その音は徐々にこちらに近づいてきていた。

 ぼやけていた輪郭がはっきりと見えてくるとそれがこの帝国の宰相、ジーク=ハルト様であることに気づいた。


「ディアナ様は眠られましたか」

「はい」


 このままではまずいと気づいた私は前代の宰相、エルド様に認められ今代の宰相に就いたジーク=ハルト様に度々、相談にのってもらっていた。


「あの件、もう姫様には?」


 あの件――それはお嬢様には学園入学に際して私と離れ、レイラと共に下宿していただくということ。

 このことはすでに陛下にも許可を取り、決定していることだった。


「いいえ、まだ……」

「そうですか。お互いにとってつらいことだとは思いますが、もうあまり時間はありませんよ」

「わかっています。わかってはいるんです」


 今年中に言おうと思っていたが、その前に言わなければいけなかったお嬢様が真祖であるということをなかなか打ち明けられなかったため、それも含め結局は自分の心の弱さ故にいまだ伝えることが出来ていなかった。


「あと一週間といったところですか……お嬢様も心を落ち着かせる時間がひつようでしょうし、別れは早めに済ませた方がよいでしょう」

「そう、ですね……」


 あと数日の内に学園の入試がある。入試の直前にでも打ち明けて、お嬢様が調子を乱されるのは避けたかった。


「すこし出過ぎたことをいいましたね。ディアナ様を最も近くでみていた自分自身を信じてください」

「はい……」


 依然、決心はつかなかった。


「では……まだ仕事が残っているのでこれで」

「はい、ありがとうございました」


 歯切れの悪い返事ばかりしてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「ただいま」

 レイラの前では情けないところは見せられないと思い、気持ちを切り替えて努めて普段通りに声をだした。


「おかえり、夕食の用意できてるよ。食べよ」

「ありがとう」


 席に着き、今日一日のことを話題にしつつ食事を摂っていく。


「ね、姫様の話聞かせて」

「ええ、今日はね――」


 あの日――お嬢様と初めて出会ったであろう日からレイラはお嬢様に並々ならぬ関心を抱き始めた。

 その変化は劇的で、食卓にお嬢様の話題が出ない日はなくなるほどに。

 それに関係してかわはからないが使用人としての向上心も高まり、これまで以上に精力的に仕事にも取り組むようになった。


 まだ経験は足りず、技術も完璧とはいえないレイラを推薦したのはその熱意に押されたからだ。

 それに、きっとレイラとお嬢様なら良い関係を築ける。そんな直感にも似た謎の確信があった。


「ごちそうさま」


 食事の後、家事を済ませ一服して床に就いた。

 目を閉じる。

 眠る前。後ろ向きに傾いた思考が頭の中で渦を巻く。

 いつ打ち明けるのが良いか。お嬢様は納得してくれるか。


(お嬢様とレイラ。二人と離れる、私は……)


 離れたくない。いまさらそんなことを考えてしまう。

 離れなければいけない。それは決まったことで、自分で決めたことだったはずだ。

 なのに、辛い。どうしようもなく辛かった。


 夜は気づかないうちに過ぎていく。

 いつか私も気づかずに、私の意識は夢の世界へと旅立つのだろう……


「――ん!」

(うん……)

「お母さんっ!」

(はっ)

「レイラ! 今は――」

 レイラが起こしに来る時点で寝坊したことに気づいた。


「もう出る時間だから、早く起きて!」


 急いで支度をして向かったところ、いつもより少し遅れて部屋に着いた。


「お嬢様」

 軽くノックをして部屋に入る。


 お嬢様は起きておらず、部屋には自分自身の荒くなった呼吸音のみが聞こえる。


「ふぅ」

 安堵で息が漏れた。


(お嬢様を起こして……とその前に)


 起こす前に自分の身だしなみを鏡の前で最終確認する。


 最近、あまり眠れていなかったせいか目の下にくまができていた。

 お嬢様の前で情けない姿は見せられないと思い、それを隠すように化粧を重ねていく。

(よし)

 いつも通りあまり意味が無いとわかっていながらも、まずは声だけでの起床を促してみる。


「おはようございます、お嬢様」


 ぴくっとお嬢様の耳が反応した。

 と思ったら、いつもなかなか起きないお嬢様が普段には考えられない速度で毛布をどけて私に抱きついてきた。


(わっ、お嬢様?)


 突然のことで固まってしまう。

 離す気配はなく、むしろ抱きしめる力は強まっていった。

 といってもその細腕による抱擁からはなんの痛痒も感じられない。ただ、人の温もりのみを感じさせてくれるだけだった。


 怖い夢でも見たのだろう、そう思って落ち着くように頭を優しくなで続けた。

 落ち着いた頃に涙の跡が残る顔を洗うように促し、そこでついでに目の腫れを隠すメイク、髪のセットも行う。


 涙に腫れたお嬢様の顔を見て思う。

 本当にレイラと二人で大丈夫なのか。やはり自分が必要なのではないか。


 そんな思考のせいかセットに集中できない。


 手元がおぼつかない――

(あ、れ……)

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