第13話 嫉妬 レイラside
オリジンの中心にある巨大な城。
孤児院から見ていると、この大陸を治める皇帝の城というだけあって遠目からでもその威容が感じられた。
そんなところで今、私と母は使用人として住み込みで働いている。
母は皇帝の娘の乳母として。
私はここにきたのも日が浅く、こまごまとした雑用などをこなす使用人として。
母と言っても私との血のつながりはなく、親に捨てられ孤児院にいた私を使用人として見いだしてくれたのが彼女だった。
「レイラ。お嬢様に半日だけあなたの付き添いとして仕事を体験させてもらえない?」
夕食の最中、突然よく分からない頼みを受けた。
「いいけど……」
(そんなの絶対遊びじゃない)
そうは思うものの、かといって頼みを断る訳にもいかなかった。
「じゃあ、明後日の朝。使用人の休憩室で待っていてくれる?」
「分かった……」
不承不承といった感じで頷く。
「レイラ。多分、あなたの思っているような性格じゃないわ。お嬢様は」
そんな私の様子を母は感じ取ったようだ。
(母がそう言うのだから、性格はそう悪くはないのだろう)
しかし、性格が悪かろうが良かろうが、私より母と過ごしている時間の長い彼女に良い感情を抱けなかった……
――当日。
「行ってらっしゃい」
母の朝は早く、私の方が出るのは遅かった。
「行ってきます。今日は、お嬢様をよろしくね」
「うん……」
少しして、私も部屋を出て約束通りの集合地点に向かう。
ガチャ。
中に入ると、そこには青色の髪に眼鏡をかけた私と同い年くらいの少女がいた。
(変装するとは聞いていたけど……)
「あなた名前は?」
「ディナ……です」
(やっぱり、彼女が)
「私はレイラです。あなたには今日は私についてきてもらって私の仕事を一通り体験してもらうことになります。いいですね?」
言動のふしぶしに、言外に冷たい雰囲気を醸し出す。
(姫様だからといって……いや、姫様だからこそ容赦はしない)
「はい……」
落胆したような雰囲気だった。
(やっぱり。どうせ簡単な気持ちで言っただけだったんでしょ)
「では、ついてきてください」
(いま頃、後悔してるんでしょうね)
大人しく後ろをついて来る彼女を見てそう思った。
「使用人の仕事にはいろいろありますがまずは掃除を体験してもらいます。ではこれを」
そう言って一枚、ぞうきんを渡す。
本来ならモップを使って掃除するところを、あえてそうした。
「ここを? これで?」
「はい。とりあえずこの廊下をぞうきんがけしてください」
疑問に思ったようだが、有無は言わせない。
ぞうきんがけと言えば、両手を地面につけなければならない。
(姫、なんて立場の人間にとっては耐えがたい屈辱だろう。これで、こんな茶番もさっさと彼女の方から終わらせてくれるはず……)
そう考え、彼女のリアクションを待っていると……
(うそ……)
信じられないことに彼女は熟練したものが感じられるほどにスムーズな動作でぞうきんがけの最初のフォームをとった。
ためらいもなく、地べたに手をついた彼女の行動が信じられなかった。
彼女はさらに地べたに手をつくだけでなく、かなりの勢いで廊下を疾走していった。
(なんなの……)
そのときは信じられないものを見た、という思いでいっぱいだった。
しばし放心状態で固まってしまっていたが、その間も彼女はずっとひたすらに廊下を這いずり回っていた。
気づいたときには全体を一往復し、二往復目に取りかかろうとしていた。それに気づき、慌てて制止を呼びかける。
「ディナ。ディナ! そんなに何度もしないでいいですから」
「はっ、はい」
(なんなのよ、いったい……)
「次、いきますよ」
「はいっ!」
ねぎらいの一つも無かったというのに、何の意にも介していないと言わんばかりのすがすがしい良い返事だった。
そんな返事を受けて、私は自分の悪意が完全に無視されているようで酷く惨めに感じてしまった。
その後も姫様なんて立場の人には無縁な、洗濯、荷物の運搬などもさせてみたがどれも一言も弱音を吐かずに真剣に取り組んでいるようだった。
そのたびに私という人間の醜さが浮き彫りになっていくような気がした。
(もう、いいや……)
「では、次はここを掃除してください。窓を開けてほこりを掃いておくだけで良いですから。私は隣をやってくるので、今日はこれでおしまいです」
そう言って私は彼女から逃げるように、今日の仕事の終わりを告げた。
部屋に入り、まず窓を開ける。
ぼぅっと中に入ってくる風を感じつつ、一人感傷にひたる。
「なにやってるんだろ……私」
隣の部屋で彼女はまた素直に掃除に励んでいるのだろうか……
「何、さぼってんの?」
(はっ)
気づくとそこには二人の女性がいた。
「あなた庶民のくせに、なにさぼってんのよ」
孤児院あがりということでこんな風に絡まれることは時々あった。
「あなたたちこそ……」
「はぁ? あなたと私たちでは身分が違うのよ?」
ここは皇帝の居城ということもあり、貴族の使用人も一定数いた。
「それに何? その髪の色は」
「ほんと、見せられるこっちの身にもなってよね?」
黒、という色はこの帝国の最初の皇帝のヴァンパイアが銀髪だったと言うことがあり初代に見放された色としてあまり好まれるものではなかった。
けれど、初代が元々差別されて自国を追い出されたということもあり見た目で差別することは是とされるものではなかった。人間の性というものか、公でそのような発言をするものはいないが陰ではこのような発言をするものも少なからずいるのも事実だった。
黙って、うつむいて、ただ彼女たちのストレスのはけ口に徹していればそのうち終わる。
そう思って彼女たちの暴言の嵐が過ぎ去るのを待っていた。待っている時間は現実の何倍も遅く感じられた。
しかし――嵐は、唐突に終わった。
部屋に入ってくる足音が聞こえ、見るとそこには彼女がいた。
(どうして……)
彼女の方に女性たちが詰め寄っていく。
彼女は怯えてしまっているのか、何も声を発しない。
結局、先ほどまでの私のポジションに彼女が移った形となってしまった。
(どうにかしないと……)
そう思うも、あの時間がまた来ると思うと足が動かなかった。
自分で自分のことが情けなく感じた。
そうしている間に女性たちは彼女の髪をつかむという暴挙にでていた。
(だめっ)
そう思うが声には出ない。
彼女を見た女性たちの顔には一様に驚き、恐怖といった感情が浮かんでいた。
(何が……)
そう思い、目線を移すとそこには人の根源に恐怖を覚えさせるような深紅に染まった瞳があった。
彼女の怒りを携えた深紅の瞳に見つめられた女性たちは動揺し、うろたえ、遂には蜘蛛の子を散らすように部屋から出ていった。
あの視線が私に向けられているものではないと分かっていたが恐怖を覚えずにはいられなかった。次は、自分の理不尽な悪意を咎められるのではないだろうか、と自業自得の不安をすら感じていた。
「レイラ、大丈夫?」
そんな私の恩知らずとも取れる態度に言及せず、彼女は気遣う言葉を投げかけてきた。安堵のあまり、涙がこみ上げてくる。
何もできなかった自分が、彼女に向けた数々の悪意が、後悔しても仕切れないそれらが情けなくて恥ずかしかった。
「ディナ、うっ、本当に、ごめんなさい……」
勇敢であり純粋な彼女がそれらをどう感じているかは分からないがこれ以上、不誠実なことはできなかった。
「私が……勝手に、嫉妬して……それなのに……」
そう。私の勝手な嫉妬心、偏見でわざと冷たく当たって、ぞうきんがけや重い荷物を運ばせるなんてことをした。
(それなのに彼女は……)
「いい、私も、気持ち、分かったから」
彼女にも私の気持ちが分かると言われ、気づいた。
そういえば彼女にも、母がいないということを。
(あぁ……だから、彼女は)
彼女もマリアから私の話を聞いていたのだろう。それで、聡い彼女は私の心情をおもんばかって何も言わず、全てを受け止めてくれていたのではないか。
そう考えると、彼女の今までの不自然さが全て納得がいった。
今ではもう、元の金色に戻った姫様の瞳をみつめる。
「姫様……お許しいただきありがとうございます。ディアナ様の寛大な心に触れ、自分の狭量な心に気づかされました。私も、母のように立派な使用人になって……いつか、いつか必ず姫様に、今日かけた迷惑の何千倍もの恩を返して見せます。」
何年たとうとも、必ず。
「そう……」
姫様は一言、そう言って悠然と部屋をでていかれた。
出て行かれるまでの間、妙に眩しいその背中に私の視線はずっと釘付けになっていた。
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