第24話 別離

 顔を洗った後、鏡の前にて椅子に座った状態でマリアに髪をセットしてもらいながら今日のスケジュールを頭の中で組み立てる。


(今日は授業が休みだから自習するとして……)


 考えてるときの癖で目線は斜め上を向いていた。

 そんなとき、鏡の中、視界の端。


(ん?)


 突然、何かが消えた。と同時に背後で短く何かが落ちたような音がした。


「マリ……」

 何があったのか聞こうと視線が正面にもどったとき、それに気づいた。

 鏡の中、そこにマリアの姿は見えない。


 それを認識し、すぐさま後ろを振り向くもマリアはおらず、ゆっくりと視線を下におとした。

 すると――そこには横になって倒れているマリアの姿があった。


「マ……マリア?」

 さっと血の気が引いていくのを感じた。


「ね、ねぇ?」

 軽く揺さぶるも声はかえってこない。


「マリア! 誰か! 誰かぁ!」

「どうしましたか!」


 渾身の叫びは巡回していた警備の人に届いた。


「マリアが、マリアが」

 混乱してうまく言葉は紡げなかった。


「これは……少々お待ちください、急ぎ医者を呼んできます!」

「マリア、マリアぁ」


 医者が来るまでの間、僕はただ泣きじゃくることしか出来なかった。


「――ふむ」

 医者は難しい表情でなにやら考え込んでいる様子だった。

「ぐす、ねぇ、マリアは」

「はい――」


 医者によると息はあるが何故倒れたのかは分からないとのことだった。


 とりあえず生きていることは分かった。

 けど、これから意識を取り戻すかどうかは分からない。依然、心の中の不安は晴れなかった。

 その後、マリアは別の部屋のベッドへと移された。


(マリア……お願いだから、目を覚まして)

 マリアの手を両手で握り絞め、一心に祈る。


 しかし、祈りは届かなかったのかマリアからは何の反応も得られない。


(まさか、もう、目を覚まさないなんてこと……)


 そんなことを考えると堪えきれない涙が心の奥底からにじみ出てきた。


(そんなの嫌だ)


 マリアが倒れたとき、僕はただ待つしか無く、それがもどかしかった。

 もう、あんな思いはしたくない。


 だから……こんどは自分から動いてみせる。


(昨日、マリアと話していた宰相のジークなら……)


 部屋の外には一人、使用人がいる。

 それをどう撒くかが問題だ。

 頭の中で考え、案を絞り出す。


(トイレに行くと言って……逃げる。よし、これでいこう)


 いい加減な作戦に謎の自信を持って部屋の外へと踏み出した。


「姫様」

 部屋を出ると案の定、使用人に話かけられる。

「その、トイレに――」

(あれ?)

 振り返った先、そこには僕にとっては親しみの持てる黒髪を持つ少女――レイラがいた。


「その、母は大丈夫……なのでしょうか。」

 一瞬、言葉を失う。


(レイラ……)


「すいません。こんなこと、姫様に聞いてもしょうがないですよね……」

「レイラ……大丈夫、大丈夫だから。待ってて」

「え? 姫様、どこに――」


 小走りでジークのいると思われる部屋へと向かう。

 部屋につくとノックなどせず、勢いよくドアを開ける。なんてことは僕の非力な腕力ではできず、重厚なドアはゆっくりと開いていった。


 部屋にはジークが一人、椅子に座りなにやら書類を眺めていた。


「これは……ディアナ様。本日はどういたしましたか。それに、マリアは――」

「話、ある」

 ジークの言葉を遮るように言葉を発した。


「そうですか。では、こちらに座って話しましょう」

 それにもかかわらずジークの声色は冷静さを醸し出していた。


 マリアのことを知ってか知らずかは分からないけど、その態度に苛立ちを感じてしまう。


「それで、話というのは?」

「マリアの、こと……」

 これで何らかの反応がかえってくると予想しての言葉だった。


「と、いいますと」

 その何も知らない体の反応が癪に障った。

「昨日!」

 マリアが倒れたことで余裕のなくなっていたためか、つい声を荒げてしまっていた。


「聞こえた……マリア、別れるって……どうして、なにが、どう、したら……」

 言葉はしりすぼみになり、最後の方には興奮のあまり涙が零れ落ちてきた。


 どうしてこんな突然のことなのか、何があったのか、どうしたらマリアが死なずにすむのか。なにも分からなかった。


「ディ、ディアナさ――」

「お嬢様!」

 ジークのうろたえた声に被さって、聞きたかった声もう聞けないとすら思っていた声が聞こえた。


(え?)


「マリ……ア?」

 そこにはマリア、それにレイラの姿があった。


「もう、だいじょ――」

 大丈夫なのか聞こうとするも、それは突然の抱擁によって阻まれた。


「違います、違うんです。お嬢様はなにも悪くないんです」


(え?)


「お嬢様、よく聞いてください」

 マリアは抱きついた体勢から、僕の顔を見るように向き直ってそう言った。


「もうすぐ学園に入学することになりますが、それに当たってお嬢様には通学ではなく学生寮に入っていただきます。そのときはお嬢様、それと従者としてレイラの二人のみで」

「えっ」

 レイラから思わずといった声が聞こえた。

 その様子からはレイラもいま初めて聞いた内容だったことがうかがえる。


「どう、して……マリアは?」

「それは……」

 僕の問いにマリアは言いよどんでいた。


(こんなに言いづらそうにしてるってことはやっぱり……)


 これからマリアの死が彼女自身の口から宣告されるのではないか。一度そう思ってしまうともうその推測が頭から離れない。


「マリア、言いづらいようなら私が」


 ジークの提案に、すこし間をおいてからマリアは答えた。

「いえ……大丈夫です」

 そう言ったマリアの表情は先ほどとは一転して力強く、何かを決意したものになっていた。


 その表情に不穏なものを感じてしまう。


(嫌だ、そんなわけがない)


 心では否定するも会話の流れ、マリアの何かを決意した表情から僕の中で推測は限りなく答えに近づいてしまっていた。


「お嬢様。私はお嬢様よりもはやく死にます。それは……わかりますね」


 そのいつもの包み込むような優しい声を生まれて初めて聞きたくないと思った。


「わかん……ない、どう、して……」

「お嬢様も、本当はわかっているはずです」

 マリアはなんらかの確信をもっているかのように言うが、なんのことか本当にわからなかった。


「そうなったとき、私がいなくても大丈夫なようになっていただきたいのです」

「いや、だよ……そんなの」


 マリアが死をすでに受け入れているかのように僕には聞こえた。


「大丈夫です。私がいなくなってもお嬢様はきっと一人になることはありません」


(違う!)


 どうにかマリアには生きていて欲しい。


「違う! マリア、だから! マリア、が、いいの!」

 その想い一心に、言葉を紡いだ。


「お嬢……様……」

 引き締まっていたマリアの表情は崩れ落ち、二人、抱きしめ合って涙が涸れるまで泣いた。

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