ⅩⅩⅨ 告悔

 他方、イェホシアを救おうとするあまり、結果的に彼を裏切ることになってしまった猪狩屋ししかりやのジュドは……。


「――お許しください先生……こんなことに、こんなことになるとは思ってもみなかったのです……私は……私はただ、先生の命だけでも救おうと……」


 ヒエロ・シャロームの下町にある安宿で、小汚いベッドに肘を突いて祈りを捧げる彼は、他の誰よりも強い自責の念に苦しめられながら、イェホシアに対して懺悔していた。


「……最早、取り返しはつかないし、私の罪が許されることはないだろうが、せめて……せめて、先生の名誉の回復だけでも……あの魔術師マゴスめ! それに神殿派と遵戒派の連中め! 審判が不正に行われたことを民衆の前でぶちまけてやる!」


 そして、充分すぎるほど地獄の業火の如き苦痛をただ独りで味わった後、せめてもの罪滅ぼしと真の悪人への復讐を思いつき、不意に床から立ち上がると市民の行き交う外の往来へと向かおうとする。


「おっと。それは困りますな。裏切り者・・・・のジュドさん。あなたの証言だけでも真実だということにしておいてもらわないと」


 だが、部屋を出ようとドアを開けたそこには、あの蛇のような眼をした黒いローブの男――シモーヌ・マゴスがいつの間にやら立っていた。


「あの最期に見せた奇蹟のような現象のために、思った以上に人々の心が彼に傾いてしまったのです。このままでは、せっかく苦労して彼を葬った意味がなくなってしまいますからね……でも、あなたは意外と欲望や損得では動かない人ですから、もう私の願いは聞いてくれないですかね?」


「当然だ! どの口で言っている! 貴様のような闇に蠢く邪悪な存在のことも皆に知らせてやる!」


 出会いばなからふざけたことをぬかすシモールに、ジュドは怒りを顕わにして声を荒げる。


「ならば、なおのこと仕方ありませんね。あなたにはここで死んでもらいましょう……ガアプ!」


 しかし、シモールはたじろぐことも、微塵も慌てる様子もなく、蛇の眼でさらに鋭くジュドを睨みつけると、使役する悪魔を呼び寄せた。


 すると。屈強な青黒い肉体に蝙蝠の翼を持つ、坊主頭にニ本の角の生えた怪物がジュドの眼前に姿を現す……以前、メッサマネでケファロ達の意識を奪った悪魔〝家令公子ガアプ〟だ。


「……フン。私を殺したところで、先生の教えは消えはせんぞ! 先生の教えを受け継ぐ弟子達が……私の家族達がきっと代わりに伝えていってくれる。あの最期の〝奇蹟〟を目撃した人々も、きっとそれに答えてくれることだろう……どんなに弟子を殺そうとも、最早、この動きは止められん! 貴様らの目論みもこれで終わりだ!」


 人間など相手にもならないような悪魔を前に、自らの死を覚悟したジュドはそれでも恐れず言い返してやる。


「ああ、それなら心配ご無用。アスタロトという悪魔にまた未来を見せてもらいましたらね、今のままならば辛うじて大丈夫です。預言者イェホシアの教えはその弟子達の手によって次第に歪められ、表向きは〝悪〟を否定しながらも欲望に塗れ、自分達だけで悪魔の力を独占しようとするようになります。そして、そんな〝悪〟に満ちた世界の中で〝善〟に抑圧されながらも地下水脈のように伝えられてきた外道の者の中らから、再び叡智グノーシスへの扉をひらくものが現れるのです」


 ところが、はったりではないその言葉にもシモールは動じる様子がまるでない。


「でも、未来は微妙な均衡の上に成り立っているものでしてね。あなたの告白は大変危険なのです……だから、あなたには師を裏切った罪を悔いて自害をしてもらうことにしました。やれ、ガアプ」


「ば、バカな! 誰が自害など……」


 続けて、そんな恐ろしいことを平気口にする蛇の眼の魔術師マゴスに声を荒げるジュドだったが、その瞬間、ガアプが一歩前に出て、ジュドの瞳を覗き込む。


「……ああ、なんということを……私はなんと取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか……ここはもう、自害して師にお詫びするしかない……神よ、罪深き私を許したまえ……」


 すると、その瞳から生気を失い、虚ろな眼になったジュドは人が変わったかのように、ぶつぶつと後ろ向きなことを呟きながら部屋の梁に帯をかけ始める……。


「さて、私はイスカンドリアに帰って四頭会議だ。皆に協力してもらって、未来に現れる後裔のために叡智グノーシスに到るための道を書物に記さねば……筆名は……そうだな。智慧の神にちなみヘルメス・トルキュメギストスとでもしておこうか……」


 背後で何か重たいものが梁を軋ませる音がする中、まるで何事もなかったかのようにそう独り言を呟きながら、シモールはその部屋を後にしていった……。


 ちなみにこの魔術師マゴス達の記した「叡智グノーシスに到るための書物」は、千年の時を経た後に〝魔導書〟へと姿を変え、シモールが予言した通り、彼らの意思を継ぐ者を世に生み出すこととなる──。

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