ⅩⅩⅤ 審判

「――それではこれより、大罪人イェホシアの審判を始める!」


 真っ白な司祭服に、いかにも偉そうな白い顎髭を蓄えた大司祭ツァドカイファが、厳かな声で開廷を宣言する。


 捕縛された翌日、大神殿に近い最高律院において、イェホシアはかけられた容疑の審判を受けた……形だけのではあるが。


 列柱の並ぶ大理石造りの法廷の正面には、壇上に大司祭ツァドカイファとハロドス王、そして、イスカンドリア帝国の属州管理に派遣されているピラトゥヌス総督が座っている。


 また、その中央で後ろ手に縛られ、立たされたイェホシアの右側にはダーマ人社会を代表する長老達、左側には戒律学者達が陪審として整然と並んでいる。


 そして、背後の傍聴席にはこの審判に興味を持って集まったヒエロ・シャローム市民達に混じり、イェホシアの家族や弟子達の姿も見ることができた。


 つめかけた野次馬達に揉みくちゃにされながら、彼の母と妻の両メイアー、そして弟や従兄弟を含む高弟達は不安そうな面持ちでこの審判の成り行きを見守っている。ただ一人、ティモスは絶対に騒いで審判を邪魔するだろうと思われため、ぐるぐる巻きにされて猿轡も嵌められた姿だ……。


「大司祭、ハドロス王陛下、そして、ピラトゥヌス総督閣下! この者はあろうことか戒律を無用のものと侮辱し、我らが神とダーマの民を冒涜しました! また、王陛下を殺害するとともにイスカンドリア帝国からの独立を目論み、過激な愛国派の同士達と一斉蜂起を計画しておりました! 他にも救世主マシアーを騙った罪、民衆を謀り扇動した罪、さらには悪魔崇拝の罪……犯した罪をすべて数えればきりがありません! 私はここに、かの大罪人に対して極刑を求めるものであります!」


 イェホシアの傍らに立つ王都一の戒律学者――つまりは遵戒派の頭目といえるファリサームは、大仰に手をバタバタと振りながら、あることないことイェホシアの罪を挙げ連ねる。


「わしの命まで狙うとは、なんと身の程知らずの輩なのだ。片腹痛いわ」


 罪状を聞き、壇上にどかりと腰を下ろす大柄のハドロス王は、太々しい顔でイェホシアのことを侮蔑するように見下ろす。


「ジョバンネス先生も、こんな気持ちだったんだろうか……」


 対してイェホシアは、王の御前とは思えない態度で、ハドロス王の憎たらしい髭面を鋭い目つきで睨み返す。


 この属州の王として君臨を許された暴君は、王国とイスカンドリア帝国双方に納める二重の税を国民に課し、エイブラハイームの地に圧政を布く張本人である。また、かつてその行いを批判したイェホシアの師・洗禊者ジョバンネスを斬首刑に処した憎きかたきでもあるのだ。


「イエホシアとやら、ファリサームの申したことは事実に相違ないか?」


 そんなイェホシアに、大司祭ツァドカイファは罪を認めるかどうかを朗々と法廷内に響き渡る声で問い質す。


「相違大ありです! 私は救世主マシアーを名乗ってはおりませんし、戒律を侮辱もしていなければ王を殺害しようなどともしていません! ましてや帝国への反乱を企てるなどもっての他! どこにそんな証拠があるというのです!?」


 問われたイェホシアは自分の置かれた立場を思い出し、ハドロス王から視線を外すと、今度は大司祭に向かって声高らかに反論する。


「確かに。報告を受けて兵を出したが、愛国派が集まってもいなかったし、無抵抗に投降したしな。これはダーマ教徒内の覇権争いではないのか? 聞けば、イェホシアなる者は民の間で人気があるようだし、下手に処罰をして暴動でも起きれば、それこそ帝国の統治に悪影響が出かねん。ここは穏便にすませてはいかがだろう。そうだ、ちょうど越禍祭であるし、その恩赦ということで釈放しては?」


 微塵の躊躇もなく罪を否認するイェホシアの言葉を聞くと、典型的な官吏の風貌をした総督ピラトゥヌスは、国内情勢が荒れることを恐れてハドロス王にそんな提案をする。帝国の代官である彼にとっては、ダーマ教内のいざこざなどどうでもよく、イスカンドリアによる安定した支配を維持することだけがすべてなのだ。


 立場上、ハドロス王も一目置く彼のこの考えは、イェホシアにとって大変有益なものである。


「フン! 証拠か……ならば、皆の前でとくとその罪を証明してみせよう! 証人をこれへ!」


 だが、あくまで彼を罪人にしようとするファリサームが立てた証人により、そんなピラトゥヌスの考えも揺らぐこととなってしまう……。


「じゅ、ジュド!? な、なんで……どうしてジュドが……」


 ファリサームに呼ばれて法廷に姿を現したその証人の顔に、傍聴席の両メイアーや弟子達は驚きを顕わにする……それは、いつの間にやら姿の見えなくなっていた猪狩屋ししかりやのジュドである。


「これなるは罪人イェホシアの弟子でジュドと申す者。その邪悪な教えに染まっておりましたが、ようやく心を入れ替えて、正義のために証言台へ立つことを願い出てまいりました。ジュドよ、この大罪人がそなたらに教えていたことを述べてみよ」


「はい……かのイェホシアは自らを救世主マシアーと称し、戒律を捨て、自身を神の子として崇めるよう私達に言いました。また、悪魔の崇拝も強要し、密かに愛国派と通じて王位を簒奪した後は、帝国へ反旗を翻して悪魔の偽王国を築くことを計画しておりました。ファリサーム様の申したことはすべて事実です」


 戒律学者に促されたジュドは、イェホシアの方を見ることもなく視線を正面へ向けたまま、事務的な口調で淡々とそう申し述べる。


「そんな……どうして、どうしてそんな嘘を言うんだジュド!?」


「いったいどうしちまったっていうんだよ!?」


「んんんーっ! んんんんーっ!?」


 思いもよらぬジュドの発言に、騒然とする傍聴席の中でケファロ・オンドレ兄弟をはじめとするイェホシアの弟子達は、驚愕の表情を浮かべて彼を問い質す。猿轡を嵌められて喋れないティモスも、自由を奪われた身を捩って怒りの呻き声をあげている。


「………………」


 一方、それに対して当のイェホシアは、特に驚いてる様子もなく、むしろ憐れむような眼差しをジュドに対して向けていた。


 昨夜、晩餐の席でも言っていたように、こうなる未来は悪魔アスタロトの力ですでに見せられていたのだ。


 だが、なぜ突然、ジュドは師イェホシアのことを裏切ったのであろうか?


「………………」


 一見、無表情に正面に座る大司祭達を見つめたまま、平然としているジュドであるが、その薄情な顔の下に隠した心の中では、この行為に対する不安と罪悪感に責め苛まれ、その苦しみにのた打ち回っていた。


 それは、この審判を膨張するため、最高律院へ着いた時のことだった――。




「――猪狩屋ししかりやのジュド、あなたに折り入ってお話があります……」


 不意に背後から、耳元でそう声をかけられたのだ。


「な、何者だ……?」


 振り返ると、そこにはフードを目深にかぶった、蛇のような眼の黒いローブ姿の男が立っている。


「あなたの師より聞き及んでいることと思いますが、我が名はシモール・マゴス……そう聞けばおわかりのことでしょう? 他のお仲間に気づかれない内にさ、早くこちらへ……」


 驚き、不審そうに睨みつけるジュドにそう言うと、その魔術師マゴスは近くの物影へと彼を誘った。


「なんだ? 我が師を罠に嵌めた敵が私に話というのは!?」


 人気ひとけのない巨大な石の列柱の影で、声を潜めながらも怒気を含んでジュドはシモールに尋ねる。


「お弟子の中でも一番理知的なあなたにご相談がありましてね……これから行われる審判で証言してほしいのです。イェホシア・ガリールが有罪であると」


「バカな! そのようなこと、私がするわけがなかろう! 金でも積めば裏切るとでも思ったか!? 見くびるな! 私は腐敗した役人どもとは違う!」


 そのふざけた要求に、ジュドはますます怒りを顕わにし、思わず大きな声をあげた。


「ほう。そこまで推測するとはさすがジュドさんだ。やはり頭の回転が速いですね……でも、あなたをそんな不忠者だと侮っているわけではありません。むしろ、あなたが師のことを誰よりも心配しているからこそ、こうしてご相談させていただいたのです。誰よりも現実的・・・に心配しているあなたにね」


 だが、シモールはなぜか愉しげに口元を歪めると、なんともよくわからないことを語りはじめた。


「……どういうことだ?」


 まったく相手の意図が読めず、ジュドは眉間に皺を寄せると、訝しげにシモールの蒼白い顔を見つめる。


「なに、我々の目的はあくまでも預言者イェホシアの思想が広まるのを妨げること。何も命まで奪う必要はありません……故に皆が見守る審判で有罪とし、民衆の心が離れるようにすればそれで事足ります。無論、師を裏切ることに違いはありませんが、その代わり死刑を免れ、国外追放程度の罰ですむようにとりはかりましょう。あなたの師同様、悪魔を自在に操れる私ならば造作もないことです」


「なに? ……それは、嘘偽りのない、本当の話なのか?」


 続けて語るシモールの言葉に、計算高いジュドはさらに驚かされるも、その交換条件が捨てがたいものであることにすぐさま気づく。


「どうです? 悪くはない話でしょう? どの道、イェホシアが審判にかけられることは避けられません。しかも、それを裁くのは彼の敵だ。私が手をこうじなければ、彼が極刑になる可能性はかなり高いでしょうね。これは、同じ叡智グノーシス…いや〝神〟に到達した者として、イェホシアに対してのせめてもの情けです。他の弟子達とは違い、論理的で頭の切れるあなたならば、これが唯一、彼の命を救う道であることはもうおわかりでしょう?」


「…………わかった。だが、本当に約束は守ってくれるんだろうな?」


 駄目押しとばかりにイェホシアの置かれた厳しい現状を改めて説明するシモールに、しばし逡巡した後、ジュドはついにその選択を下したのであった――。




「――なんと恐ろしい! 大司祭、王陛下、抵当閣下、それに陪審の各々方! 今の証言を聞かれましたか? かの者が有罪であることはこれで明らかです!」


 そうしてジュドが、シモールと交わした約束の履行に不安を感じながらも一縷の望みを託す中、ファリサームは鬼の首をとったかのような大仰さで、得意げにイェホシアの有罪を再度皆に訴える。


「神をも畏れぬ民族の敵めっ! ダーマの民の敵に神の裁きを!」


「この偽救世主マシアーが! 民を謀った詐欺師を許すなっ!」


「そうだっ! 神と我らダーマの民を冒涜した者に厳しい処罰を!」


 ファリサームの訴えに、騒然する陪審の戒律学者や長老達ばかりか、傍聴席の民衆の間からもイェホシアへの処罰を求める声があがり始める。


「と、いうことらしい。皆もああ言ってることだし、ここは有罪で処罰するしかないでしょう? ピラトゥヌス総督」


「うーむ……あのような証言が出てきては有罪は明らかか。民の声からしても、ここはそうした方が得策ですかな」


 その反応を見て、どこか他人事のように尋ねるハドロス王に、ピラトゥヌス総督も日和見に考えを転換する。


「では、判決を申し渡す! ガリールのイェホシア、そなたを破戒罪、冒涜罪、反逆罪他の大罪において有罪とし、戒律に則って磔刑に処す!」


 王と総督二人の意見を聞き、陪審や民衆の態度も参考にすると、大司祭ツァドカイファはよく通る声でそう明白に有罪判決を下す。


「そんな……」


「先生が有罪なんて嘘だぁっ!」


「んんっ! んんんーっ!」


 人々の騒めきにかき消されながらも、両メイアーは口に手を当てて潤んだ瞳を震わせ、呻き声しか出ないティモスも含め弟子達は抗議の言葉を叫ぶ。


「そんな……こ、これは何かの間違いだ……話が……話が違うじゃないか……」


 一方、約束とは違う判決に、言われるままに偽証をしたジュドは大きな衝撃を受け、今にも倒れそうなくらい血の気の失せた顔で動揺している。


「静粛に! 静粛に! 陪審だけでなく一般の民衆でもかまわん! この判決に異論のある者は申し立てよ!」


 騒然とする法廷に、一応、形だけは公平さを装い、大司祭が沈黙を求めると皆に向けて異議申し立てを求める。


「そ、そんなの嘘…」


「ただし! この大罪人をかばうというのならば、その者も同類と見なし、同じく死刑に処されるものと思え! その覚悟がある者だけ、堂々とここへ出てきて証言するんだな!」


 不意に静まる法廷の中、大司祭の問いかけに反対弁論を行おうと口を開きかけるケファロだったが、その矢先、かぶせるように声を張り上げたファリサームにその言葉を飲み込んでしまう。


 〝死刑〟……その恐ろしい響きを耳にすると、死の恐怖に囚われたケファロは思わず口を噤んでしまったのである。


 いや、彼ばかりではない。他の弟子達も視線を逸らして黙り込み、また、両メイアーは顔を覆ってその場に泣き崩れてしまっている。


「んんんんーっ…!」


 弁論をしているのは、口を猿轡で塞がれた血気盛んなティモスばかりである。


 だが、この最悪の判決にも、また弟子達の態度にもイェホシアは驚くことなく、哀れみを宿した瞳で皆のことを見つめている……ジュドの裏切り同様、それはすでに幻視していた未来である。


「では、異議がないのでこれにて閉廷! 翌朝、ドクロダの丘にて、大罪人イェホシアの処刑を執行する!」


 不気味な静けさに包まれた大理石造りの大広間に、大司祭の厳格な声が響き渡った……。


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