ⅩⅩⅦ 昇天
四大天使の加護により衛兵の嫌がらせも次々に退け、本当に
そこは遥か昔よりこの国の犯罪者達が処刑されてきた、荒れ果てた大地に刑死者の髑髏がゴロゴロと転がる伝統的な刑場なのだ。
「――何をしておる! 早くそやつを打ちつけい!」
「だ、駄目です! どうやっても釘が刺さりません!」
だが、その刑場へ入ってもなお、衛兵達はイェホシアに困惑させられることになる……一般的な磔刑の形式に則り、イェホシアの手のひらと足に釘を刺してT字架に打ちつけようとしたのだが、どうやってもうまくいかないのだ。
「痛っっっ…!」
「う、腕が動かん……」
ある者は金槌を振り下ろしてはまるで鋼の塊でも叩いたかのように手を痺れさせ、またある者は腕を振り上げたままビクとも動かなくなってしまう。
無論、他の者達には見えないが、先程同様、ミカエルがその盾と剣でイェホシアを守り、ウリエルがその太い腕で衛兵を押さえているのである。
「ええい! もうよい! 今回は特別に縄で縛りつけよ!」
やむなく、この処刑を監督する大司祭ツァドカイファの命により、イェホシアは釘打ちではなく、縄でT字架に固定された。
「おい! ほんとてめえらいい加減にしろよ? 邪魔するのもここまでだ。あとは刑が執行されるだけなんだからな。それまで邪魔する気ならマジで弟子と家族もぶっ殺すからな?」
イェホシアの縛りつけられたT字架を、草木一本生えぬ赤い大地の丘へ衛兵達が立てる傍ら、人々の目には見えぬベリアルは四大天使達に文句をつける。
「わかってますよ。私達が助けるのはここまでです。そういうことでイェホシア、あとは一人でがんばってください。しばしのお別れです。また、神の
怒りに赤く染まった眼で睨みつけるベリアルに、しれっとした顔でガブリエルはそう答えると、T字架上のイェホシアへ別れの言葉を告げる。
「はい! どうも今までありがとうございました! もう一人で大丈夫です!」
対してイェホシアも笑顔でそう答えるが、天使が見えぬ衛兵達は彼が死の恐怖でついにおかしくなったものと侮蔑するような視線を送っている。
「では、武運を祈る」
「んじゃな。今度は俺と格闘しようぜ?」
「死後もどこか痛む所があったら遠慮なく言ってください」
他の三大天使も各々に一言声をかけ、ガブリエルともども、次第に透き通る体になってその姿を消した。
「フン。ったく、いつも邪魔ばっかしやがって……じゃあな、イェホシア。俺は地獄の方で待ってるぜ……」
また、ベリアルも消えた大天使達に悪態を吐くと、自身もイェホシアに別れを告げて、乾いた荒れ野の空気に霧散するかのようにしてその場から姿をくらませた。
「ここまでのことを考えると二人では心許ない。ロンゲネオス! 十人だ。十人で一斉にやつを串刺しにせい!」
一方、なんとか刑執行の準備が整うと、大司祭ツァドカイファは衛兵の隊長であるロンゲネオスに命じ、本来なら二人の兵士で務めるところ、槍を持った十人の兵をT字架の下に用意させる。
「さて、いよいよですね……スー……」
その、自分の足元でこちらに槍の先端を向けて構える十名の兵士達を一瞥すると、イェホシアは気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸い込み、静かにその目を閉じた。
「――ああ、なんてこと……まさか、あのまま磔になろうというんじゃ……」
「なぜだ……なぜお逃げにならないのだ? ……いいや、先生には何かお考えがあるはずだ……」
遠く刑場を囲って張られた柵の向こう側からその姿を見たメイヤーやケファロ達弟子は、一度は安堵の息を吐いたもののまたしても強い不安に駆られ始めていた。
「もう見てられないっす! 俺、助けに行くっす!」
「ちょ待てよ! んなことしたら先生にご迷惑がかかる! ここは堪えろ!」
「そうだってばよ! イェホシア先生の言葉を信じるんだってばよ!」
我慢がならず、柵を乗り越えて救出に向かおうとするティモスを、マテヨとナルトロマエが羽交い絞めにして必死に止めようとする。
「あああ、わたしのイェホシア! 神よ! 我が子をどうかお助けください!」
「母さん、兄さんならきっと大丈夫だ。なにせ兄さんはかのマーシャやアイサークと肩を並べる預言者なんだから……」
そんな息子の姿を見てはいらず、涙を浮かべて天に祈る母メイアーを、弟のジョコッホは傍に寄り添って優しげな声でなだめる。
他の弟子達も全員、彼を信じようとする気持ちの一方、強い不安を抱いてその時が来ないことを神に願った。
「――お願いです……お願ですから逃げてください、イェホシアス先生……でなければ、私は……私は……」
その気持ちは、彼のためにと裏切ったジュドとて同じである。
やはり他の弟子とは離れた場所で、柵にへばりついてT字架の上のイェホシアをじっと見つめている。
「――そろそろ始まるようですぞ? 十人で串刺しとは、これはまた大仰な演出だな。よほど神殿派や遵戒派から嫌われているとみえる」
他方、行列の先回りをして刑場の特設桟敷へ見物に来ていたハドロス王は、やはり連れ立って来たとなりのピラトゥヌス総督にまるで演劇鑑賞でもするかのようにそう声をかける。
「うーむ。果たしてこれが正しい決断だったのかどうか……もしもこれで暴動が起きるようなことになっても、私はかの者の死に一切の関わりはありませんからね?」
対して優柔不断な異国人の総督は、この期に及んでもまだ己の保身を考えてそんなことを言っている。
「アハハハ! お父さま、十本の槍で人を刺すなんて見たことも聞いたこともないですわ! 今日はお父さまついて来てほんと正解でしたわね!」
また、洗禊者ジョバンネスの斬首を望んだとも噂される、残忍な性格で有名なハドロス王の娘王女サロメンも、偽
「――ガリールのイェホシア、何か言い残すことがあれば申してみよ」
そうして様々な人々が、さまざまな思いとともに見守る中、ついに荒涼とした刑場では死刑執行の時を迎える。
「そうですね……やはり、私が皆さんに伝えたいのは神より預かった御言葉です。皆さん、常に心に〝神〟を思ってください。そうすれば、誰もが〝神〟の御心に添って生きることができるでしょう」
大司祭に尋ねられたイェホシアはまるで彼らに説教でもするようにして、なんらいつもと変わらぬ調子でそう〝預言〟を口にする。
「フン! 最後まで預言者の真似か……よーし! 全員、構えーい!」
その態度に大司祭は鼻で笑うと、槍を手にしたロンゲネオスら十人の衛兵に手を挙げて準備態勢をとらせる。
「常に〝神〟を心に思う……か……いや、そうか。人はもうそのままで〝神〟そのものだったのか……」
自らの死を受け入れただめであろうか? 再び目を閉じ、これまでに感じたことのないほど静かな心持ちになったイェホシアは、忽然とその
「やれえぇぇぇーい!」
とその瞬間、大司祭の挙げた手が振り下ろされ、十本の槍がT字架上の彼目がけて一斉に勢いよく突き出される!
「……うっ!」
だが、その時、なんとも不思議なことが起った……。
イェホシアの身体が眩く太陽のように光輝いたかと思うと、突き出された十本の槍は彼の体をすり抜け、逆放射状にT字架の上でその先端をぶつけ合う。
そして、槍を持つ衛兵や大司祭がその眩しさに顔を背ける中、輝くイェホシアの身体は天へと真っすぐに昇って行き、遥か上空でよりいっそう強く光を発したかと思うと、まるで大きな一つ眼のような――ダーマの民が〝すべてを見通す神の眼差し〟と呼ぶもののような形が浮かび上がる……。
さらには、そこから放射状の暖かな光が地上に降り注ぎ、ドクロダの丘を……否、ヒエロ・シャロームの街全体を明るく照らし出した。
「さて、どうせなんで我々も荘厳してさしあげましょうか……」
加えて、先程姿を消したガブリエル、ミカエル、ラファエル、ウリエルの四大天使も再び天に現れ、駄目押しとばかりに輝く一つ眼を囲んで優雅に飛び回ってみせる。
「……奇蹟だ……この聖なる都に神が降臨なされた……」
「あの方は……あのお方はやはり
その神秘的な現象を目の当たりにして、刑場に集まった群衆は次々に跪くと手を組んで天に現れた〝神の眼差し〟を仰ぎ見る。
「な、何を言っておる! やつが
「そうだ! そんな……そんなバカなことがあるものか……」
それはイェホシアを突き刺した衛兵達も同じであり、その他の衛兵も含めて天を礼拝すると、止める大司祭や戒律学者の言葉も耳には入らない。
「……あなたは……いったい何者だったのですか?」
「イェホシア先生……いや、
また、妻メイアーやケファロをはじめとする彼の弟子達も、イェホシアが姿を消したことに対するえ不安や悲しみの感情よりも、むしろその神々しいまでの最期に対する畏れや感動を全員が抱いている。
「なんだ……いったい何が起こっている……」
「怖い……なんだか怖いですわ、お父さま!」
他方、皆がありがたさを感じるその光にも、ハドロス王は言い知れぬ恐怖を感じて空を見上げ、娘のサロメンは恐れ慄いて父王に抱きついている。
「わ、私は知らない……これはすべて王と大司祭がやったことだ……て、天罰を与えるならば、彼らに与えてくれ! こ、この件に関して私は無関係だからな!」
対してピラトゥヌス総督は天に浮かぶ巨大な〝神の眼差し〟に向けて、責任逃れするようにそう叫ぶと、真っ蒼い顔でその場を逃げ出してしまう。
「あれは、まさに〝神人合一〟……やつは、その境地にまで達していたというのか……」
そんな中、群衆からは少し離れた場所で様子を覗っていたシモール・マゴスも、この予想外の結末を驚きを以て眺めていた。
「ハン! 最後までおもしれえもん見せてくれたな……まったく、あいつらしい人生のシメ方だぜ」
その傍らにはベリアルも再び姿を現し、愉快そうに天を見上げて笑っている。
「ベリアル、そなた、こうなることをわかっていたな?」
その態度に、シモールは蛇のような眼でベリアルを睨みつけ、そんな疑いをこの食えない悪魔に向ける。
「さあな。俺はただ、サタンやあんたの指示に従っていただけだぜ?」
だが、悪魔は天に輝く〝神の眼差し〟を見上げたまま、しらじらしくもはぐらかすばかりだ。
「想定外の事態だ。この奇蹟を人々が目撃したことで、私の見た未来にも大きな歪みが生じかねん……これはもう一度、アスタロトに未来を見せてもらわねばならんな……四頭会議も改めて開かねば……」
天の大きな一つ眼より温かな光が降り注ぐ中、シモールは苛立たしげにそう言い残すと、漆黒のローブの裾を翻してその場を後にした……。
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