ⅩⅩⅥ 道行

 死刑判決を受けた翌朝、最高律院に付属する牢獄へ入れられていたイェホシアは、つめかけた群衆の見守る広場に引き出された……。


「――イェホシア……」


「イェホシア先生……」


 無論、広場を輪になって囲む人だかりの中には、悲痛な面持ちで見つめる母と妻の両メイアーに十一人の高弟、さらには処刑の話を聞きつけ、各地より駆けつけた他の弟子や信奉者達の姿も垣間見られる。


「なぜだ……なぜ、こんなことになった……」


 また、仲間達から少し離れた場所には、後悔の念に苛まれ、蒼い顔でぶつぶつと譫言のように呟く猪狩屋ししかり屋のジュドの姿もある。


「ヒャヒャヒャ、ヘロデ王にとって代わろうとしたんだってなあ? そんなに王様になりたけりゃあ、ならせてやるぜ……」


「いえ、私は別にそのようなこと考えたことも……痛っっ…」


 そうして皆が見守る中。いかにも木端こっぱ役人といった感じの衛兵の一人が、バカ丸出しの下品な笑い声をあげながら、そう言ってイェホシアに王の衣装に似た赤い布を羽織らせると、頭には茨でできた冠を無理矢理かぶらせる。


「ヒャヒャヒャ、お似合いだぜ、イェホシア王様? 俺さあ、いっぺん王様を思いっきりぶん殴ってやりたいと思ってたんだよ……そんな無礼、本物の王様なら許されねえけど、ニセの王様ならかまわねえよなあ!」


 そして、大きく拳を振り上げると、イェホシアの向かって右側の頬へ勢いよく振り下ろすのだったが……。


「うがあっ! 手があ! 手があっ…!」


 いったい何が起こったのか? 殴ったはずの衛兵の方が骨の砕けた右拳を左手で押さえ、その激痛にもんどり打って地面を転げ回っている。


「イェホシア、右の頬を殴られたら、今度は左の頬を出しなさい……」


 わけがわからず、殴られた当のイェホシアがポカンとした顔で目をパチクリさせていると、どこか聞き憶えのあるような、穏やかな声が左の耳元でそう囁く。


「……え?」


「ほら、殴るんだったら殴りなさい。どうしたのです? こんな縛れて身動き一つできない罪人も怖くて殴れないのですか? 所詮はバカでのろまで役立たずな、ゴミ同然の木端こっぱ役人ですね」


 その声に振り返り、ちょうど衛兵に向って左側の頬をイェホシアが出す形になると、声はイェホシアの物真似をしながら、明らかに挑発するようなことを続けざまに言ってのける。


「な、なんだと! くっ……こ、この野郎っ! …うぐああっ!」


 その挑発にまんまと乗せられ、今度は左拳で衛兵はイェホシアに殴りかかるが、またしても彼は拳を砕かれ、泣き叫びながら地面を転がされる羽目となる。


「ミカエルか……おい、ガブリエル、いい加減にしとけよ? 約束を破るようなら家族や弟子まで始末することになるぜ?」


 その怪現象にイェホシアが唖然としていると、不意に衛兵の傍らにベリアルが現れ、嫌そうに細めた目を向けながらそう言ってくる。


「それはこちらの台詞です。約束したのはイェホシアが現世での生を終えることのみ。このように辱めることまでは契約に含まれておりません。それを防ぐことは我々の自由のはずですよ」


 すると、今度はガブリエルがイェホシアのとなりに姿を現し、また、自分の前には光輝く鎧を纏い、剣と盾を手にした威厳ある天使が背を向けて立っている。


「ガブリエルさん……もしや、そちらの方は大天使ミカエルですか!?」


 そう……それは天使界最強の武力を誇る四大天使の一人、ミカエルなのだ。


「ああ。はじめましてだな。そこの者は私の盾を思いっきり殴ったのだ。そんなことをすれば人間の拳くらい簡単に砕ける」


 ミカエルは少しだけ顔を振り向かせると、イェホシアに対してぶっきらぼうにそう答える。


 どうやら、衛兵と彼の間にミカエルが立って、イェホシアを守ってくれていたらしい。


「イェホシア、最期のその時まで我ら四大天使があなたのことは守ります。どうぞ安心して堂々と刑場までの道を進みなさい」


 名高き大天使を前に目を輝かせるイェホシアに対し、ガブリエルは優しげな笑顔を湛えながらそんな心強い言葉を投げかけてくれる。


「なんと畏れ多い! 大天使がお守りくだされるなら、心おきなく私は前へ進めます。ありがとうございます!」


「ケッ! いいな! お目付け役の俺まで文句言われるんだ。ほんとやりすぎんじゃねえぞ?」


 パッと顔色を明るくして嬉しそうに礼を言うイェホシアを苦々しそうに見つめながら、もう一度念押しをしてベリアルはその場から姿を消した。


「なんだ!? 貴様は何をやっておる!? ええい! とっととその罪人を引ったてえい!」


 だが、そんな悪魔や天使の姿はイェホシア以外には見えていないらしく、いまだ激痛に地べたを転げ廻る衛兵を見て、大司祭ツァドカイファは他の衛兵に大声で命じる。


 また、同様に取り巻く群衆達も何が起きたのかまったくわかってはおらず、小首を傾げて人々が眺める中、イェホシアは衛兵に追い立てられて刑場への道を歩き始めた。


「――いやあ、どうも皆さん! 良いお天気ですねえ~」


 快晴の空の下、イェホシアは朗らかな笑顔を浮かべて沿道の市民に声をかけながら、意気揚々と石畳で舗装された王都の大通りを歩いて行く……後ろ手に縛られ、茨の冠で額から多少の出血はしているものの、自らが処刑される刑場へ向かう罪人とはまるで思えない姿だ。


 王のような赤い衣を纏っているし、むしろ本当にダーマの民の王のようにさえ見えてきてしまう。


「なんだか楽しそうではないか! これでは刑罰にならん! そうだ! 己を磔にする柱を自分で運ばせてやれ!」


 その様子を見て、様子を見に来ていた戒律学者のファリサームは、苛立たしげに声を荒げて息のかかった衛兵にそう命じる。


 その指示に、それまでイェホシアの後について六人のダーマ人農夫が運んでいた〝T字架〟を、衛兵はイェホシア本人に担がせることにした。


「重そうですね……あなた達は労役でこれを運ばされているのですか? ならば、法で一マイルの荷物運びと定められているところ、二マイル運んでその違法分の賃金を要求してやりなさい。もし払わなければ、違法行為として戒律遵守・・・・が大好きな者達に訴えてやればいい」


 重労働を強いられる、痩せこけたその農夫達にイェホシアは近づくと、自分のことはそっちのけでそんな説教を皮肉たっぷりにかましてやる。


「他人の心配をしてる場合か! ほら、さっさと担げ! ま、重さで肩が壊れても、どうせ死ぬ身だ。問題ないだろう」


「なあに、俺が手伝ってやるから心配すんな。俺にしてみりゃこんなもん、むしろ軽すぎて困るくらいだ」


 罪人らしからぬ態度のイェホシアにそう言って催促をする衛兵だが、すると今度は赤々と燃えるように輝く翼を持った、大柄で筋肉隆々の天使が彼の前に姿を現した。


「こちらはウリエルです。あなた達ダーマの民の祖エイブラハエルと格闘した話は聞いたことあるでしょう? 彼はそんな力自慢なのです。ああ、ちなみに私はラファエルと申します。道中、怪我をしたら言ってください。すぐに治してさしあげますから」


 続いて、薄黄色の衣を纏い、黄金色の翼の生えた女性のように美しい天使もその場に現れ、先に出現した天使のことをそう説明すると、自身も自己紹介をして助力を申し出る。


 言わずと知れた四大天使の残り二人、ウリエルとラファエルである。


「はぁ、あなた達がかの伝説に聞く……よ、よろしくお願いいたします!」


「おら、観客が待ってるからさっさと行くぞ? まだ道のりは長げえんだからな」


 またも現れた有名な大天使に緊張の面持ちでイェホシアが答えると、ウリエルは農夫達の持つ〝T字架〟を掴み、イェホシアにも顎を振って促す。


「は、はい!」


 自分達の偉大なる祖先も邂逅したという大天使に命じられ、夢心地でイェホシアは良い返事を返すと、ウリエルとは反対側の端を肩に担いで再び歩き出す。


「…なっ!? あ、あのように重いものをいとも軽々と……」


 イェホシアにしてみればウリエルと二人で…というより、ほとんどウリエルが持って運んでいるのだが、先程のミカエルの時同様、衛兵や周りの群衆にはその姿が見えていないため、まるで彼が一人の力で巨大なT字の木柱を楽々担いでいるように映るのである。


「額の怪我も治しておきますね。こんな血塗れではせっかくの舞台が台無しです」


 一方、ラファエルもふわふわと宙に浮きながら、茨の棘でできた額の擦り傷へ手をかざして治療を施し、流血で汚れた彼の顔も拭って綺麗にしてやる。


「あ、あの方を見よ! 額の傷がいつの間にか治っている! あの方は本当に神の遣わされた救世主マシアーなのかもしれぬぞ!」


 やはりラファエルの姿も群衆には見えないため、それもまたイェホシアのことを尋常ならざる人間だと、人々に認識させる一助となる。


「大丈夫だ。やはり先生には神が味方しておられるのだ……」


「ええ。あの人は神の御言葉を預かった預言者です。神がお見捨てになるはずがありません……」


 驚く沿道の群衆の中、ずっと追いかけて来たケファロや妻メイアー達は、これまでの悪魔の力で奇蹟を起こしてきた彼となんら変わらぬ今のその姿に、驚くのとは逆にむしろ安心して胸を撫で下している。


「ああ、どうもどうも! これから私の刑が行われるんで、皆さんもよかったらドクロダの丘までおこしください」


 そうして軽々とT字架を担ぎ、まるで凱旋パレードでもするかのように群衆へと手を振りながら、苦虫を潰したような顔の戒律学者や衛兵が見守る中をイェホシアは威風堂々と進んで行った――。


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