ⅩⅨ 結婚
その翌日、そんなわけで急遽、イェホシアとメイアーの結婚式が執り行われることとなった。
婚約後、ほとんど準備の時間もないまま早々行うことにしたのは、このことが周囲に広まり、大勢の人々が押し寄せて大変な騒ぎにならないようにとの配慮である。
また、そうして近親者のみでひっそりこじんまりと行うため、町の会堂は無論のこと、ケファロ・オンドレ兄弟の家でもバレてしまうので、カンナというカナッペイム郊外の村にあるナルトロマエの家を借りて、密かにそこを会場に挙式することとした。
…………のだったが。
「――なぜだ? どこからバレた?」
カナッペイム方面から続く道を埋め尽くし、続々と押し寄せる群衆の行列を遠望しながら、イェホシアは唖然とした顔で譫言のように呟く。
「ま、人の口に戸は建てられないと言いますからね。たぶんこうなるだろうと思っていました……」
そのとなりでやはり大河のような行列を見やりながら、弟ジョコッホが冷めた口調でそう答えた。
今やガリール湖沿岸の地域で知らぬ者もいないといってもいい有名人イェホシア結婚の話は、どだい内緒にしておくことなど無理だったのだ。
「イェホシア先生! ご結婚おめでとうございます!」
「先生もついにご結婚かあ。いやあ、めでたい! めでたい!」
そんな本人達の思惑とは裏腹に、ナルトロマエの家の門前に屯する人々は無邪気に彼の結婚を喜んでくれている。
「ええい! こうなったら仕方がない! ナルトロマエ君、村の方々にも迷惑になりますし、入れるだけの人々には中へ入ってもらいましょう!」
「ガッテンだってばよ!」
恐れていた混乱が最早起きてしまっているので、近隣住民への影響も考え、イェホシアはそんな判断を下した。
幸い革細工職人であるナルトロマエの家は工房や倉庫、資材置き場などがるために比較的広く、普段の説教参加者くらいの客ならば収容できる。
しかし、会場はまあそれでよいとしても、困るのは宴会で振る舞うワインと料理である。この大人数では、とてもじゃないが用意した分では足りやしない。
「困りましたね……よし。かくなる上はあの手でいきましょう! 皆さん、あるだけの水瓶を用意して水を溜めてください! 瓶がなければ壺でもなんでも水の入りそうなものならかまいません! でもって、有翼総督ハーゲンティ! 申し訳ないですが、この前の
この危急の事態を打開するため、イェホシアは弟子達にそう指示を飛ばすと、前にもお世話になったある悪魔を呼び出す。
「ハァ…またですか……まったく、相変わらず悪魔使いの荒い御仁ですね……」
彼の呼び出しに、黒髪から金の角の生えた赤い肌の男が、青黒い翼を羽ばたかせながらふわりと宙に浮いて現れる。以前、ジョバンネスの弟子達を助けた後の説教において、祝福のワインを用意するのに力を借りたハーゲンティという悪魔だ。
「先生! 水瓶はこれくらいで足りるっすか!?」
「ああ、ありがとう。では、ハーゲンティ。やっちゃってください!」
やがて、ティモスはじめ弟子達が大きな水瓶をはじめ、壺やら何かやとにかく水を入れた器を台所の隅に集めてきて並べると、再びイェホシアはハーゲンティに依頼する。
「今日はこれだけでいいんですね? 足りないからって、また呼び出すのは面倒臭いんでやめてくださいね?」
すると、その翼を持った悪魔は宙に浮いたまま水瓶の一群に手をかざし、中に入れられた水を瞬く間に芳香かおる上質のワインに変化させた。
この有翼総督ハーゲンティは錬金術に長じており、そのような能力も持っているのだ。
「これで酒はよしと……あとは料理ですね。となると……願いの貴公子セエレ! 水域の公爵フォルネウス! 今度はあなた達にお願いしたい!」
とりあえずワインが確保できると、続いてイェホシアは新たに二体の悪魔を呼び出す。
「御用はなんだい、
「何が望みだ? 喰ってもらいたいヤツがいるなら悦んで噛み砕いてやるぞ?」
一つは天井をすり抜け、有翼の駿馬に乗って舞い降りたトウモロコシ色の長い髪をした美男子、もう一つは台所の洗い場から水飛沫を上げて飛び出した、宝石のように輝く鱗を持つ、炎のように赤い眼をした巨大な銀鮫である。
「オンドレ君! セエレと一緒にジャモンおじさんの店へ行って、ありったけのパンを運んできてください。それからケファロ君、ティアコフ君、イヨハン君は近所で舟を借りて漁に出てもらえますか? フォルネウスの力で苦労せず大漁になるようにしてもらいますから」
そして、各々相棒に悪魔を付けてオンドレにはパンの確保を、残りの漁師兄弟には食材となる魚介類の準備を依頼する。悪魔セエレには一瞬にて人や大量の物資を運ぶ力があり、フォルネウスの方はその敬称や見た目の通り水の中の世界を司る悪魔なのだ。
「わかりました! サラマンドロン王の悪魔がついてるんなら百人力だ。任せておいてください! 行くぜ、セエレさんとやら!」
「我らも漁師としての腕が鳴るというものです。誰か! この中に近所に住む漁師の方はおられませんか!?」
その指示に、パン担当のオンドレも、ケファロをはじめとする漁師組も意気込みを見せつつ悪魔とともに早々その場を後にしてゆく。
「では、残りの者達は式の準備です! お皿も杯も机も椅子も、何もかもぜんぜん足りませんよ! やはり、どこかご近所から借りてきましょう! ナルトロマエ君、誰かいい方いませんか?」
それを見送ったイェホシアも矢継ぎ早に指示を飛ばし、花婿自ら先頭に立って、急な大宴会の準備を大急ぎで進めるのであった――。
そして、夕陽もガリール湖の水面に沈み、辺りが薄闇に包まれ始めた頃、なんとか招待してもいない大勢の押しかけ客達への対応も整うと、いよいよイェホシアとメイアーの結婚式が始まった……。
「――イェホシア、花嫁の準備が整いましたよ」
「はい、わかりました……」
母の方のメイアーがやって来てそう告げると、ダーマ人の正装に着替え、物置で待機していたイェホシアは、いつになく少々緊張した面持ちでそこを出ると、庭を廻って母屋の入口へと向かう。
するとそこには、夕闇の中、ぼんやりと辺りを照らす灯明を手に、着飾ったメイアーが彼を待って立っていた。
このように花嫁が灯を持って花婿の到来を待つのが、伝統的なダーマの婚礼様式なのだ。
「美しい……綺麗だよ、メイアー……」
純白の衣を纏い、その長い亜麻色の髪の上に花冠をかぶり、顔には薄化粧を施したメイアーのハレの日の姿に、イェホシアはただただ純粋に心の底からその美しさを褒め讃える。
「き、き、き、綺麗だなんてそ、そ、そんな……」
敬愛する人物に真っすぐ純真な
「おっと! 大丈夫かい? さ、行くよ……」
「は、は、は、はい……」
危うく倒れかかるメイアーを支えると、なおも口の回らない彼女の手を取って、イェホシアはともに母屋の中へと入って行く……。
すると、厳かな橙色の燭台の灯に浮かび上がる、すっかり宴会場に模様替えされた室内には、たくさんのパンや魚料理の並べられた長机を囲み、両家の親族、十二使者をはじめとする弟子など主要客が席を連ねている。
その参列者の真ん中に空いた道を通って、二人は部屋の奥に設けられた〝四つ脚の天蓋〟の下へとしずしずと歩みを進めた。
これもまたダーマ人の結婚式の伝統であるが、本来、天蓋の下には司祭かその代役の戒律学者が待っているところ、イェホシア達は神殿派とも遵戒派とも袂を分かっているので、今回は司祭役として代わりに弟子中一番の年長者であるケファロが立っている。
「……ウォッホン! ええ、イェホシア先生、あなたは病める時も健やかなる時も、このメイアーを妻として愛し続けることを神に誓いますか?」
「誓います」
「メイアー、あなたは病める時も健やかなる時も、このイェホシア先生を夫として愛し続けることを神に誓いますか?」
「ち、ち、ち、誓い……ます……」
緊張のためか、いつも以上に険しい石みたいな顔で尋ねるケファロに、イェホシアとメイアーは各々に誓いの言葉を口にする。
「では、えっと、なんだ……ああ、お互いに指環…あ、いや、け、契約の指環の交換を……」
やはり緊張しているらしく、しどろもどろになりながら指示をするケファロに従って、二人はダーマ教の伝統通り、結婚の契約を交わした証とされる指環の交換を行う。
お互い穏やかな微笑みを浮かべて見つめ合い、イェホシアは銀の指環を、メイアーは金の指環をそれぞれ相手の左手薬指に嵌める。
「フゥ……これにて、神の御前での契約により、ここに二人は正式な夫婦となりました。では、皆さん! 新たな家族となった二人に対して祝福の乾杯をしたいと思います! どうぞ杯をお取りください! じゃ、先生、乾杯の音頭を」
大役を終え、大きく安堵の溜息を吐いた司祭役のケファロは、続いて皆にワインの入った杯を持たせると、とにかく早く解放されたい様子で後はイェホシアに丸投げをする。
「皆さん! 今日は私達のためにお集まりいただき、まことにありがとうございます! 私も妻を娶り、ようやくダーマの男としても一人前になれました! これからも、このメイアーとともに〝神の御言葉〟を広める仕事に邁進していきたいと思います! それでは、私達夫婦のためばかりでなく、すべての皆さんが祝福されることを神に祈りつつ……乾杯!」
「乾杯ぁぁぁぁぁぁ~い!」
イェホシアの合図に会場を埋め尽くす来客達も高らかに酒杯を天に掲げ、温かな雰囲気に包まれる宴の場には二人を祝福する声が響き渡った。
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