ⅩⅥ 宗論

 カナッペイムでの伝道活動を始めて三月あまり……預言者イェホシアの名はガリール湖畔ばかりでなく、エイブラハイーム王国全土にまで聞こえるようになっていた……。


「――兄さん、ティアコフさんの家の改修案なんだけど、こんな感じでいいかな?」


「……ん? ……ああ、いいんじゃないかな。さすがは大工だな。おまえがいてくれて助かるよ」


 癒しや教えを求めて来る人々が増えて手狭になったため、活動の拠点としているティアコフ・イヨハン兄弟の家を増改築するにあたり、任せた設計図を見せて尋ねる異父弟ジョコッホにイェホシアは感心したように頷く。


「イェホシア、おなかを空かせた皆さんに配るパンとお魚のスープがこれでは足りないんだけど」


「ああ、それならオンドレ君に漁へ出てもらうよう頼んでください。そのついでにジャモンおじさんのお店によってパンも注文してもらいましょう」


 また、台所で鍋を掻き混ぜながら尋ねてくる母メイアーに、設計図を弟に返しながらイェホシアは振り向いてそう答える。


 瞬く間に広まったその評判に、最初はエセ聖者と追い出した故郷の村人達も手のひらを返したかのように彼を支持し始め、母と弟もカナッペイムへ移り住むと伝道の手伝いをするようになっていたのだった。


「病の治癒や悪魔祓い等をお望みの方はこちらに並んでくださーい! 受け付けは日暮れまでとしまーす!」


 さらに従兄弟のユディまでがいつの間にやら弟子となっており、押し寄せる民衆の交通整理を玄関先で行っている。


 もちろん、先に弟子となったケファロ・オンドレ、ティアコフ・イヨハンの兄弟も、漁をして食料を調達っしたり、悪魔フォラスに学んだ医学や薬学の知識をもとに医者の真似事なんかをしてイェホシアを助け……。


「――本日の天気、曇りのち晴れ……来訪者150名余り。内、病人66名、悪魔憑き6名、残りは説教の聴衆……と」


 中でも学業熱心なイヨハンは文字が書ける上に筆まめなため、日々の出来事を日誌に書くという、記録係のようなことを行うようになった。


「――イェホシア先生! 民衆に施す食料の量が多すぎます! これではいくらお布施が増えても三日とたたずに破産してしまいますよ! もっと計画性をもって分配してください!」


「い、いやあ、そうは言われてもねえ、ジュド君。お腹を空かせた人々をみるとどうしても……」


 もちろん、親族意外にも弟子は増え、猪狩屋ししかりやのジュドという、もとは野獣の肉を扱う商人をしていた金銭感覚に優れる弟子には、その才を見込んで会計係を任せているのだが、どんぶり勘定でお布施を使い果たすイェホシアはいつもガミガミ怒られている。


「――ちょ、待てよ! 税が納められず困っているんなら、まず俺に相談しろよ。なんとかなるように、その解決方法を一緒に考えてやっからさ」


 また、ダーマ人ではあるがエイブラハイーム王国を支配下に置くイスカンドリア帝国に徴用され、帝国への税を集める〝徴税士〟という役目を担わされているマテヨという弟子は、イェホシアの力を以てしても如何ともしがたい重税の問題について、苦しむ民衆の相談に乗ってやったりしている。


 自らもしたくてしているわけではないというのに、民族の敵のために重税を課す徴税士は同胞からも蔑まれ、ダーマ人社会では最も罪深き人間であると見なされていたため、その理不尽な差別と罪悪感からの救いを求めて、彼もイェホシアの門を叩いたのである。


 ともかくも、こうして家族や弟子達の協力もあり、彼の教えを支持する人々が増大するのにともなって、イェホシアを中心とするその集団は徐々に組織としての形をなすようになっていった。


 しかし、そんなイェホシアの活動を快く思わない者達がいた……神殿での祭祀を重んじる司祭階級の〝神殿派〟や、戒律の遵守を絶対とする〝遵戒派〟の人々である。


 イェホシアの説く〝神から預かった言葉〟が、彼らの思想とは真っ向から対立するものであったためにそれも無理からぬことである。


 いや、彼らでなくとも、それまでダーマ教徒が大切にしてきた〝戒律〟を軽視するイェホシアの教えは、保守的な人々にとってあまりに急進的かつ過激であり、容易に危険視されてもおかしくないものだったのである。


 そして、そんな両者の意見の対立から、ついに事件が起きてしまう……。


「――私は〝悪魔の山〟でこの世界の真実を垣間見て、そして、神の御言葉を確かに聞いたのです! 〝ただ常に神のことを思え! さすれば、その御心に沿って生きることができるであろう〟と! ゆえに無理をしてまで戒律を守る必要はないのです!」


「戒律を守る必要ないだと!? なんと恐ろしいことを!? しかも、〝悪魔の山〟で聞いた言葉などと……やはり貴様は預言者と偽って人々を惑わす悪魔崇拝者であろう!?」


 手狭なため、改修工事がすむまで近所の会堂を借りてイェホシアが説教をしていた時のこと、ふいに彼の話を遮り、野次を飛ばす者があった。


 壇上のイェホシアを始め、取り巻く聴衆達が揃ってそちらを振り向くと、そこには白い三角のトンガリ帽をかぶり、長い顎鬚を蓄えた老人と、その背後に付き従うやはり白い衣を着た若者達がいた……典型的な遵戒派の戒律学者とその弟子達である。


 その顔もカナッペウムに住む聴衆達には馴染みのあるものだ。おそらくは今日、ここで大規模な説教会があると聞きつけ、よい機会と町の遵戒派の一派が批判をしにやって来たのであろう。


「いいえ。私は悪魔崇拝者などではありません。無論、〝神〟を信奉する者であり、そして、あくまでもダーマ教徒です…あ、いえ、別に〝あくまでも〟と〝悪魔でも・・・・〟をかけたとか、そんなオヤジギャクではありませんよ?」


 だが、そんな挑発にも似た罵声に乗せられることなく、ちょっと天然の入ったいつもの調子でイェホシアは戒律学者に受け答えをする。


「ええい、何をわけのわかんことを言っている!? 嘘偽りを申すな! そなたが奇蹟と称して、悪魔の力を用いて病を治したり、悪魔祓いをしていることは知っているぞ! それこそが悪魔崇拝者の何よりの証拠。大方。悪魔祓いも自作自演なのであろう! 貴様は神の御言葉を預かった預言者などではない! 悪魔の囁きに耳を貸した邪悪なるダーマ教徒だ!」


「不敬な! 私は確かに〝神〟の声を聞いたのです! それに、世界の真実を見せられるまでは私も理解できませんでしたが、彼らは便宜上〝悪魔〟と呼ばれているだけで、善の力を具現化した〝天使〟ともなんら変わらぬ存在――即ち、〝神〟の一部ともいえる〝精霊〟なのです。ゆえに、私自身は奇蹟などと一度も称したことありませんが、私のやっていることは〝神の力〟による救いと言っても過言ではないです!」


 激昂する戒律学者の暴言に、さすがのイェホシアも少々語気を強め、悪魔を引き合いに出して攻撃する彼らの論理に堂々とした態度で反論する。


「悪魔が天使と同様の存在だと!? 皆の衆、今の発言を聞いたか? これは自分が悪魔崇拝者であると言っているようなものぞ! このような邪宗門の徒に騙されてはならぬ! 戒律を守ることこそが神の御心により添う道! 我らの祖先が神と契約せし、ダーマの戒律のみを心の拠り所とするのだ!」


「それはあなたが無知だから…コホン、失礼。あなたが世界の真実を見ていないからそう思うのです。なにより、大天使ガブリエルさんもそのように言っていましたから間違いありません。加えて言いますと、私が力を借りている悪魔達はかつてサラマンドロン王も使役していた悪魔です。それともなんですか? あなたは我らダーマの偉大なる王が邪悪なる反ダーマの徒であったとでも言われるのですか?」


 彼の言葉尻を捉え、鬼の首をとったかのように責め立てると戒律への帰依を求める老学者であったが、イェホシアはうっかり本音を失言しつつも理路整然と彼の言いがかりを論破する。


 大天使に加え、ダーマ人ならば誰もが尊敬するいにしえの聖王の名を出されては、最早、黙るしかない。


「うぐっ……ええい! うるさいわ、こわっぱ! かまわん! 戒律をないがしろにするあの異端者を始末してしまえ!」


 言い負かされた戒律学者は苦虫を潰したかのように顔を歪めると、背後に控える弟子達に吠えるようにしてそう指示を出す。


「先生のご命令だ! あいつを叩き殺せ!」


「これは戒律を守るための暴力! 破戒には当らない!」


 すると、見れば手に手に持っていた棍棒を振り上げ、戒律学者の弟子達はイェホシア目がけて襲いかかろうとする。


「言葉で負けたからって暴力に訴えるのか!? それでもあんた学者か!?」


「そうだ! 学者なら学者らしく議論で勝負しろ!」


 しかし、そんな遵戒派の者達に対し、今度は聴衆の間から怒号が湧き上がり始めた。


「何が戒律よ! 苦しんでるわたし達を少しも救ってくれなかったくせに!」


「それに比べてイェホシア先生は、破戒の罪も問わずに病を癒やしてくださった! なのにあんた達は、救わないどころか俺達を悪者呼ばわりしやがって!」


「そうだ! 口だけの無能な役立たず! 悔しかったら、その戒律とやらで悪魔の一つでも祓ってみろい!」


 最初はイェホシアを擁護しようという心理からのものだったのであろうが、次第に興奮が伝播し、激情の広まってゆく群衆の中からは堰を切ったかのように怒りの声が次々に溢れ出して来る。


 日々、イェホシアの説いてきた〝神の御言葉〟の教えは、確実に民衆の上に根をおろし始めていた……。


 皆、それ以前から内在的にそんな戒律への疑問と怒りを抱いてはいたのであろう……しかし、既存の権力をものともせずにそれを堂々と口にし、そればかりか、その旧弊を乗り越える新たな答えまでをも言葉にして示してくれたイェホシアという人物の登場が、彼ら民衆をついに覚醒させたのだ。


「イェホシア先生に指一本触れてみろ! 容赦しねえぞ!」


「いい機会だ! むしろ返り討ちにしてこれまでの恨みを晴らしてやれ!」


 怒号ばかりか、皆、憤怒の形相で立ち上がると拳を振り上げ、逆に今にも遵戒派の面々相手に殴りかかりそうな勢いである。


「………………」


 数にものをいわせようとしていた戒律学者の弟子達も、逆に多勢に無勢なその状況を前にすると、棍棒を構えたまま蒼い顔をして固まってしまう。


「くうぅ……きょ、今日のところはこれぐらいで勘弁しといてやるわ!」


「……あっ! せ、先生! ま、待ってくださいぃぃ~…!」


 同じく血の気の失せた顔の戒律学者が捨て台詞を吐いて逃げ出すと、弟子達も慌ててその後を追い駆け、遵戒派は全員、うのていでその場から逃げ去ってしまった。


「……あら、行ってしまいましたね……ありがとう、皆さん。皆さんの勇気ある発言のおかげで事なきを得ました。でも、暴力はいけませんよ?」


 呆気なく追い返してしまい、取り残されたイェホシアはしばし呆然と立ち尽くした後、守ってくれた聴衆に礼を述べると最後に諫言も忘れず付け加える。


「はい! イェホシア先生! わたし達はイェホシア先生の教えに従います!」


「暴力は振るわずとも、我らはいつだってイェホシア先生を守るためならば戦います!」


「イェホシア先生は私達の救い主! 正真正銘の預言者です!」


 対して聴衆は素直に謝りながらも、皆、目を輝かせて嬉々とした声でイェホシアを褒め讃えるのであった……。

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