ⅩⅦ 垂訓

 会堂における遵戒派との論争に勝利した一件も国中に広まって評判を呼び、イェホシアの教団を拡大させる一つの起爆剤となった。


 特に大きかったのは、〝洗禊者ジョバンネス〟を支持し、王都ヒエロ・シャロームに近いジャルダン川の河畔で活動していた〝隠修派〟の一派の合流である。


 ジョバンネスがハドロス王を批判して処刑された後、火炙りにされかかった彼の信者達をイェホシアが助け、〝神の御言葉〟を伝えたことですでにその下地はできあがっていた……そこへ今回の一件でガリール湖沿岸に広まっていた彼の名声が都近辺にまで伝えられ、偉大な師を失って拠り所をなくしていた彼らの心を一気に掴んだのである。


 ちなみに、イェホシアの名を国内に広く流布させた要因として、皮肉なことにも敵対する遵戒派の果たした役割は大きい。カナッペウムで同士を言い負かし、民衆を味方につけたイェホシアを危険視した彼らの注意喚起が、逆にイェホシアとその教えに対する興味を人々に抱かせる結果となってしまったのだ。


 いや、その興味が高じて彼を支持するようになったのはジョバンネス派の信者ばかりではない……。


「――我々の目指すところはあくまでエイブラハイーム王国の独立ですが、そのためにも最早、有名無実化した神殿派や遵戒派ではなく、先生の教えがダーマの民を結束させる支柱になると考えております。ゆえに私はイェホシア先生のもとで〝神より預かった御言葉〟についてもっと学びたいのです!」


 そんな意思表明をして新たな弟子となったのは、イスカンドリア帝国による支配からの独立を目指す〝愛国派〟に所属するシーモである。


 古い考えに固執しながらも民族の誇りを忘れ、平然と帝国に従属する既存の教派に愛想をつかし、イェホシアの新たな教えに民族の革新を夢見た愛国派の一部の者達も、シーモの如く彼の教団に合流し始めたのだ。


 その一方、反対にイスカンドリア帝国側の人々からもイェホシアに賛同する者が現れてくるのでおもしろい……。


「――ナルトロマエ! よく来てくれたなあ!」


 先に弟子となった徴税士マテヨの繋がりで、イスカンドリア駐屯軍の馬の世話をしているフェリポンなる男も弟子になったのであるが、さらにそのフェリポンが誘ったナルトロマエという人物も弟子入りするためにやって来て、友人の姿を目にしたフェリポンはポニーテールの髪を揺らしながら嬉しそうに駆け寄る。


「なに、そもそも守れない戒律なんかより、イェホシア先生の教えの方がずっと現実的だと前々から思っていたってばよ」


 手を握ってこどものように喜ぶヘェリポンに、職人気質なナルトロマエも鉢巻を巻いた厳めしい顔を綻ばせる。


彼もまた、やはり駐留軍絡みの仕事をしており、馬具や甲冑などを作ったり修理したりしている革職人である。


 徴税士のマテヨも含め、この三人は仕事柄、イスカンドリア語を話し、イスカンドリアの文化にも明るいため、ダーマ人以外への伝道という面においても大いに役に立つこととなった。


 しかし、ここまで教団が大きくなってくると、イェホシアの説教もこれまでのやり方ではうまくいかないことも出てくる……。


「――先生! 常に神のことを思えって言われても、なんだか曖昧すぎてよくわかりません! 具体的にはどうすればいいんですか?」


「わたしも、先生のお話をお聞きしている時にはわかったような気になるんですが、それをいざ他の人に教えようとすると、どう話せばいいのかわからなくなってしまって……」


「何か、日々の暮らし方の指針になるような、簡単な戒律みたいなものがあればいいんですが……」


 ある日の説教の最中、そんな質問が次々にあがったのであった。


 これまでは比較的少数の聴衆に対して、わかるまで懇切丁寧に話ができていたが、それもここまで大規模な説教になると、そんなきめ細かな教授ができなくなってきたというのが一つの要因としてあげられよう。


 それにイェホシアが直接、自らの預かった〝神の御言葉〟の教えを説くのではなく、それを彼から聞いた者が間接的に他者へ伝えるという状況の出てきたことも、その誤解や難解さを生む一助となっている。


 そして、何よりも長年、ダーマ教の戒律に則って暮らしてきた民衆にとって、彼の説く「戒律は不要で、ただ神のことを思って生きればいい」という思想はあまりにも急進的であり、それまでの生き方との大きな格差に、むしろ不安さえ覚えてしまうという心情が強く働いているのであろう。


 あまりにも早急な改革に、人々はついていけないものなのである……。


「うーん、簡単な戒律ですかぁ……私の預かった〝神の御言葉〟は、戒律に縛られる苦しみから救われるためのものなので、また新たに戒律を作ってしまっては本末転倒なのですがぁ……まあ、確かに曖昧模糊としていて、わかりづらい面があるかもしれませんね……わかりました。では、戒律のように〝破ってはならない〟というものではなく、〝なるべくならこうしましょう〟という、ごくごく簡単な訓示みたいなものを考えてみましょうか」


 自身を信奉する人々の訴えに答えるべく、イェホシアは新たな指針を作ることに決めたのだった。


 そして、数日の思案の後、彼はカナッペイムからほど近い、ガリール湖畔にそびえるコダカイ山へ登り、そこでこれまでで最大級の大説教会を行うこととなった。


 大工である弟ジョコッホ監修のもと、ティアコフ・イヨハン兄弟の家も会堂並みの広さに改修されたが、それでもまだすべての聴衆に話をするにはぜんぜん狭すぎたためである。


 そんな屋外の広々とした山頂の会場でさえも埋め尽くす、一面どこもかしこも人、人、人の山の景色の中央に立ち、大きく息を吸い込んだイェホシアは朗々としたよく通る声で説教を始める。


「ええ、本日お集まりいただいた皆さん! 私は常々皆さんに、私が神から預かった御言葉をその根拠として、戒律に従うことを第一とするのではなく、いつも心に〝神〟を思って生きてゆくことが、即ち神の御心に添って暮らしてゆくことになると説いてまいりました!」


 それまでザワザワと騒めきの広まっていた会場も、彼が口を開くと同時にピンと張り詰めたかのような静寂に包まれ、群衆は誰一人残すことなくイェホシアの一言一句に耳を傾ける。


「それでは、その〝神〟とはなんなのか? 〝神〟とはこの世界そのもの……世界を運行している理なのです。そこには、人の認識でいうところの善と悪も、光も闇も、天使も悪魔も……その両方が含まれ、どちらも〝神〟を構成する一部といえます。つまり、極論すれば〝神〟の前に善も悪もなく、本来は戒律が説くようにしてはならないことも、逆にしなければならないこともないのです」


 善も悪も神に含まれる……その一般的な常識からはかけ離れた彼の教えに、まだ理解の浅い者達の間には動揺が広がるのが見て取れる。


「しかし、〝神〟という世界の理は、その行いに対して理に則った結果をもたらします。その結果が人間におって都合の悪いものとなる行いを、我々は長い歴史の中でとし、禁じてきました。いにしえの預言者が〝神〟と契約した戒律とは、本来、その悪い結果をもたらす行いを戒めたものだったのです」


 そんな新参の者達にもよくわかるよう、イェホシアは努めて丁寧な言葉でさらに説教を続ける。


「ところが、今や戒律は本来の意味を忘れ、逆に苦しみを生もうとも、とにかく戒律を守ること自体がその目的となってしまっています! 故に、我々は一旦、戒律を離れ、ただ〝神を常に思う〟ことによって〝神〟の御心に添った生き方を――悪い結果を避け、良い結果をもたらす生を送るべきなのです!」


 聴衆にとっては、ここまででも充分、耳を傾ける価値のある説教であったが、ここからが今日の本題である。


「では、どうすれば〝神〟のことを思い、その御心を推しはかることができるのか? 皆さんからもそんな疑問があがりましたし、そこで私は考えてみました……そのための八つの正しい生き方の指針――〝八正行はっしょうぎょう〟です!」


 初めて語られるその新たな教えに、イェホシアを取り囲む黒山の群衆は揃って前のめりになって耳を研ぎ澄ます。


「八正行とは、正見、正聞、正思、正疑、正信、正省、正変、正心……即ち、物事を正しく見て、人の話を正しく聞き、万物に対して正しく考え、なんでも鵜呑みにせずにまずは正しく疑い、本当に信じられるものだけを正しく信じる……また、本当に自分は間違っていないのかと時に正しく己を省みて、もし間違っていたのなら固執せずに正しく自分を変化させ、そして、常に偏りのない澄み切った水のような正しい心持ちでいること……そうして〝神〟の顕れであるこの世界を正しく認識することによって、〝神〟の御心を知ることができるでしょう!」


 その八つの訓示を与えらえた聴衆はしんと静まり返ったまま、一言一句忘れまじと心の中で噛み締めている様子である。


「……さて、〝八正行〟の話はこれで終わりですが、ついでにもう一つ、重要なお知らせがあります!」


 皆が各々考える充分な時間を空けた後、イェホシアは再び語り始める。


「前々から思っていたことですが、最近では皆さんのように〝神の御言葉〟を求める方々も大勢増え、さすがに私一人では全員にお話をしきれなくなってまいりました。そこで、特に弟子の内より十二人を選び、私の代理として〝神の御言葉〟を伝える〝使者〟にしたいと思います! その十二使者とは、ケファロ、オンドレ、ティアコフ、イヨハン、ジョコッホ、ユディ、ジュド、マテヨ、フェリポン、ナルトロマエ、シーモ、そして、ティモスです!」


 イェホシアが高らかに宣言した通り、大規模になったことで変容した教団の問題に対処するため、〝八正行〟とともに彼が定めたのはこの〝十二使者〟の制度だった。


 その人選は、早くからの弟子で〝神の御言葉〟についての理解が深い二兄弟、親族で気心の知れている弟と従兄弟、職業柄特異な才のある者、イスカンドリア語に明るく異教徒への伝道にも役立つ者、〝愛国派〟に属し、他派との橋渡し役になる者……それからもう一人、ちょっと風変わりではあるがイェホシアがその将来に可能性を感じ、見出した者だった。


「ええっ! 俺もっすか! ありがとうござます! 俺、誠心誠意がんばるっす!」


 その者――熱血漢な青年ティモスは、自身も選ばれたことに対して溌剌とした声でうれしそうに礼を述べる。


 このティモス、歳は若いが誰にも増してイェホシアを信奉して折、彼の教えを学び、彼の活動を助けることに非常に熱心なのだ。


 ただし、少々困った点も彼にはある……。


「ティモス、今日教えた〝八正行〟のことは理解できましたか? 他の人にもちゃんと教えられますか?」


「よくわからないっす! でも、イェホシア先生のお言葉を信じればいいって教えれば間違いないっす!」


 念のため尋ねてみるイェホシアに、ティモスは躊躇う素振りも見せず目を輝かせながら素直にそう答える。


「なんか、人選、間違えたかもしれませんが……と、ともかくも、私はこの十二使者とともに、苦しむ人々を救うため、よりいっそう〝神の御言葉〟を広く伝えることに勤めたいと思います。これからも皆さん、応援のほどよろしくお願いいたします!」


 そこはかとない不安を抱えながらティモスを見つめるも、発表してしまったので今さら後の祭りであり、この件に関しては考えないことにすると、イェホシアは聴衆に向かって改めてそう訴えかける。


「おおおーっ! イェホシア先生、万歳ぁぁぁ~ぃ!」


「どこまでも先生についていきまぁぁぁ~す!」


「我らに神のご加護をぉぉぉ~ぅ!」


 そんなイェホシアの言葉に、山頂を埋め尽くす信者達からは歓喜の声が沸き起こり、コダカイ山での大説教会は成功の内に幕を閉じたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る