ⅩⅩⅢ 神論

「――先程の言葉、あなたも本当に預言者なのですか? それに、すべての悪魔を従えたというのは……アスモデウスの力が消えたのもあなたの仕業ならば、あの兵達もあなたの仕向けたものだということですか?」


 陽も沈みかけ、夕暮れ時の薄闇が迫る中、オリーブの樹々の間の少し開けた場所に移動すると、イェホシアは矢継ぎ早に質問をぶつける。


「正確にいえば、そなたらダーマの民が〝預言者〟と呼ぶ者とは少し違う……我らは〝クノウビス〟。遥か太古の昔より〝至高なる存在〟といつになることを目指してきた秘密の結社だ。そして、私はそなた同様、悪魔の山で叡智グノーシス ――そなたらがいうところの〝神〟に触れ、その分霊たる悪魔達を使役する力を得た。やはり、そなたのようにな」


「ならば、なぜこのようなことをなさるのです? ダーマの預言者でなくとも、真実の〝神〟を知ったならば進むべき道は同じはず。私は誰もが〝神〟を知り、その御心に添って生きられるよう、預かった御言葉を人々に伝えようとしているのです! それは、今、あなたが言った〝叡智グノーシス 〟とやらに到り、〝至高なる存在〟といつになる道と同じではないのですか!?」


 まるで、自らと同類のようなことを言うシモールに、いっそうの疑問を抱くイェホシアはさらに重ねて問い質す。


「その言葉、そっくり返させてもらおう、預言者プロフェタムイェホシア。そなたこそ、なぜ真の世界の在り方・・・・・・・・を知ったというのに、世にいうところの〝悪〟を否定する? 〝善〟とされる生、創造、光……〝悪〟とされる死、破壊、闇……世界は善悪双方あってはじめて成り立つ。それを知ってなお、なぜ〝善〟ばかりを良しとする人の作りし・・・・・神――我らが〝ヤルダバオート〟と呼ぶ偽神の世界を保とうとするのだ?」


 対してシモールも、それはこちらの台詞だといわんばかりに訝しげな様子でイェホシアに訊き返す。


「それは、私達がどこまでいっても〝人〟だからです! 確かに真実の〝神〟は善悪二つを内在している……ですが、たとえ真の世界がそうであっても、所詮、人である私達は人のために〝善〟とされるものを良しとするしかないのです! それは〝神〟の半分・・であったとしても、偽神ではなくやはり真の神です! だから私は、今のこの人の世界を守りたいのです!」


 しかし、同じ〝神〟――〝叡智グノーシス 〟に到達した者として、イェホシアはシモールの言葉をよく理解し、噛み砕いて自分のものとしつつも、それでも自らの信念から彼の主義主張に反論した。


「フン。意見の相違だな……ま、そなたと相容れぬことはすでにわかっていた。魔王サマエルを通じて、そなたもよく知るサラマンドロン王の悪魔の一柱、恐怖公アスタロトの力で未来を見せてもらったからな。そなたとそなたの開く教団はやはり〝善〟のみを良しとし、善悪の均衡を保とうとはせずに世界をますます歪なものとする……故に、そなたには消えてもらわねばならぬ。姿を現せ、我が友ベリアル!」


 そんなイェホシアにシモールの方は最早、議論することも放棄すると、非情な宣告を下してかの大悪魔の名を呼んだ。


「ベリアルさん!」


 すると、シモールの傍らには燃え盛る戦車に乗った黒い翼を持つ美男子――ベリアルが姿を現す。


「残念ながら、今やこのベリアルはそなたの味方ではない。他のサラマンドロン王が使役した悪魔達もな。我が盟友サマエルに口添えをしてもらい、皇帝サタンのめいによってすべての悪魔がそなたに助力することを禁じてもらった。それが、そなたが退けようとしてきた〝悪〟の総意だ」


 馴染み深い悪魔の姿を目にし、明るい声をあげるイェホシアであったが、ベリアルはじっと黙ったまま虚ろな瞳でイェホシアを見つめ、シモールはそう説明を加える。


「本来なら同士ともなるべき、同じ〝叡智グノーシス 〟に到った者として殺すに忍びはないがこれも天命さだめ……さらばだ預言者プロフェタムイェホシア。せめてもの情けに、最期は友人の手で迎えさせてやろう。ベリアル! かの者を殺せ! 我が言葉は魔王サマエルの、そして皇帝サタンの言葉と思え!」


「悪ぃな、イェホシア。俺もサタン――〝神〟の中の〝悪〟とされるものの一部なんでな。その意思には逆らえねえ……おまえのことは気に入っていたが、これでお別れだ」


 続けて残忍な命令を与えるシモールに、よくやく口を開いたベリアルは虚無的ニヒルな笑みを浮かべると、なんとも淡白な口調でイェホシアにそう告げる。


「そんな……たとえ悪魔であっても、今までのようにこれからもわかり合えるはずです! 考え直してください、ベリアルさん!」


「ま、死んだ後、気が向いたら堕天して地獄に来な。そうすりゃあ、今度こそ本当の仲間にしてやるぜ。ただし、まずは俺様のパシリからだけどな……」


 友人とも思っていた悪魔の裏切りに大きな衝撃を受け、必死に訴えるイェホシアであったが、やはりそこは悪魔らしく、さらっと恐ろしいことを口にすると問答無用でベリアルは襲いかかる。


「くっ…!」


 業火を上げて突っ込んで来る悪魔の戦車を前に、イェホシアはさすがに自らの死を覚悟した……。


「チッ……ま、そう来るわなあ……」


 だが、燃え盛る炎の戦車は標的を外し、ベリアルは舌打ちしつつもさもあらんと口元を愉しげに歪める。


「……ハッ! ガブリエルさん!」


 なんの痛みもないことに思わず瞑った目を開けてみると、イェホシアは薄桃色の衣を羽織り、同じく桃色の翼を持った眩いばかりの天使に抱かれ、光の如きその速さで瞬時にベリアルの攻撃から退けられていた。


〝悪魔の山〟でも彼を助けた、大天使ガブリエルである。


「ベリアル、あなた達悪魔同様、対して我ら〝神〟の中の〝善〟である天使は、彼の側につくことにいたしました。これもまた、あなたのいう善悪の均衡をとるということでしょう? 魔術師マゴスシモール」


 ふわりと宙に浮いたままイェホシアを地に下すと、ガブリエルは薄っすらと笑みを湛えながらベリアルとシモールにそんな皮肉を言う。


「やはりこうなったか……が、それも想定の内。そう思って王と総督を動かしたのだからな」


 しかし、大天使がイェホシアの守護につき、ベリアルの力を以てしても殺すことができないとわかっても、シモールは慌てることなく彼らに言い返す。


「イェホシア・ガリール! 貴様には現在、戒律を侮辱してダーマの民を貶めた罪、並びに愛国派と結託し、帝国への謀反を企てた罪の容疑がかけられている! 明日の日の出までにそなたが投降しなければ、この丘を囲むエイブラハイームの衛兵と帝国の駐留軍が攻撃を開始し、そなたを弟子や家族ともども始末するだろう。いかに天使が味方しようとも、その場合は悪魔も全軍を以てこれに参戦する。どう転んでも、最早、そなたに勝ち目はない。アスタロト! 納得がいくよう、かの者に自らの未来を見せてやれ!」


 シモールの言葉に、今度は巨大な蛇の上に乗り、左手にも毒蛇を携えた真っ赤な唇の女堕天使が姿を現す……恐怖公アスタロトである。


「ガブリエル、わらわの邪魔をするなえ? ただその者に己の運命を見せてやるだけじゃ」


 その女悪魔は大蛇に座ったままイェホシアの間近まで移動し、ガブリエルにそう釘を刺してから彼の瞳を覗き込んだ。


「……っ!」


 瞬間、かつて悪魔の山で豹公ハウレスに〝世界の真実〟を見せられた時同様、己の行く先に待つ未来がイェホシアの脳裏にありありと映し出される。


「…………そんな……私は、磔刑に処されて死ぬというのか……」


 けして逃れられぬ、自らの死を垣間見せられたイェホシアは、その場に膝から崩れ落ちると小刻みに震える目をして呻くように小声で呟く。


「明日の夜明けまで待ってやる! それまでに投降すれば弟子や家族の命は助けてやろう。自らを犠牲にして仲間を助けるか、それとも、仲間ともども一緒にここで殺されるか。まだ多少の振り幅で不確定な未来は変えられるが、どちらの未来が望ましいか、よーく考えて選ぶんだな……」


 そうして、大きな衝撃を受けて跪くイェホシアに対し、シモールは最後にそう言い残すと、ベリアル、アスタロトの両悪魔ともども、濃くなった夕闇に溶け込むかのようにして姿を消した――。

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