ⅩⅩⅣ 晩餐

「――私は、自分が刑場で磔台に縛られ、命を落とす光景を幻視しました……あれは、避けられぬ未来なのですか?」


 シモール達が去った後、イェホシアはいまだ地に膝を突いたまま、眼前に浮かぶ大天使ガブリエルにそう尋ねる。


「ええ。あなたはけして、弟子や家族達を巻き添えにする道は選ばないでしょう……ならば、辿り着く未来は一つです」


「そう……ですか……」


 わかってはいたことであるが、その事実をさらに確かなものとするガブリエルの答えに、イェホシアはがっくり肩を落とすと力なくそう呟いた。


「ですが、同じ現世での生を終えるにしても、あなたは〝神〟を知った身。ただ命の灯を燃え尽きさせるのではなく、〝神〟と合一してそのもの・・・・となることができるでしょう……我らと同じように」


「…………なるほど……そう考えると、なんだか死も怖くはなくなってきました……ありがとうございます。ガブリエル、その言葉で私は覚悟が決まりました。まだ道半ばではありますが、後は弟子達に託し、私は最後に一発、ど派手に大輪の花を咲かせてやることにいたしましょう!」


 付け加えるようして諭すガブリエルのその言葉に、イェホシアは憑き物が落ちたようなさっぱりとした顔になると、微笑まで湛えて這いつくばっていた地面より立ち上がる。


「それでは、私とその仲間達も、できうる限りそのお手伝いをさせていただきましょう」


 ようやくいつもの自分を取り戻したイェホシアに、大天使もそう返すとなんだか愉しげに笑顔を浮かべた――。




「――というわけで、私はダーマ民族への侮辱罪と帝国への反逆罪をかけられています。悪魔の力も失った今、最早、あの軍勢に対して抵抗もままならないので、私は明日の朝、潔く投降しようかと思います」


 ガブリエルと別れた後、イェホシアは気を失っていたケファロ、ティアコフ、イヨハンを起こして回収すると、搾油小屋へ戻って皆に経緯を説明した。


「そんな……も、申し訳ありません! 私なんかと関わりを持ったために、先生が反逆罪に問われるようなことに……ここは私がすべての罪を負って投降します!」


 それを聞き、愛国派に属する弟子シーモはその原因が自分にあると考え、悲痛な面持ちで謝罪をすると師イェホシアの身代わりを申し出る。


「いえ、それはただの口実にすぎません。たとえ私が愛国派を批判していようとも、なんかどうか難癖をつけて罪に問うつもりだったのでしょう。それに神殿派・遵戒派の訴えで侮辱罪の容疑もかけられてますからね。あなたが気にするようなことではまったくありません」


「ちょ待てよ! それなら、審判を受けても有罪にされるのは目に見えてるじゃないですか! 悪魔の加護もないのに投降するなど自殺行為です」


「そうだってばよ! ここはどうにかして、先生だけでも逃げ延びるだってばよ!」


 自分を責めるシーモに首を横に振るイェホシアであるが、今度はマテヨとナルトロマエがそこからさらなる不安を抱いて彼の投降を止めようとする。


「なんとか馬さえ手に入れば……私が馬丁になりすまして騎兵から馬を奪ってきます。先生はそれでできるだけ遠くに!」


「そうっすよ! 俺達が戦ってでもやつらを引きつけておくっすから、先生はその間に逃げてくださいっす! ねえ、ケファロ先輩!」


 また、フェリポンは自身の職能からそんな作戦を提案し、熱血漢のティモスは師の窮地にむしろ燃え上がると、先輩弟子であるケファロ達にも同意を求める。


「………………」


 だが、実際にその目で包囲する軍勢を見たケファロ、ティアコフ、オンドレの三人は、強張った表情で視線を床に落とし、じっと黙り込んでしまったままだ。


 三人には、イェホシアが悪魔の助けを借りられない今、多勢に無勢な自分達だけでこの包囲を突破できないことがわかっている……相手方にはハドロス王の衛兵ばかりでなく、その強大な軍事力を誇るイスカンドリアの駐留軍もいるのだ。イェホシア一人を逃すのだって難しいだろう。


「兄さん? どうしたんだよ、兄さんらしくもない。ここはティモスの言う通り、みんなで先生だけでもなんとか逃がそう! 俺達が敵の注意を惹いている隙に、フェリポンが奪った馬に先生を乗せるんだ!」


「いや、偵察に行ったこの三人の様子を見ればわかるだろう? それは無謀で成功する確率の低い賭けだ。むしろ途中で捕まり、その場で殺害される可能性もある。それよりも、ここは一旦、先生に捕まっていただき、その後奪還することを考えよう。なに、腐敗したハドロス王の衛兵なんか、賄賂を握らせればどうとでもなる」


 いつになく押し黙る兄ケファロの態度に、やはり実情を知らないオンドレは彼を責めてティモス達の意見に賛同するが、現実主義者で論理思考の猪狩屋ししかりやのジュドは、ここでの抵抗には反対しつつ、もっと成功率の高い代替作戦を提案する。


「ハハハ…なあに、皆さん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。悪魔にはそっぽを向かれてしまいましたが、私にはガブリエルさん達天使がついています。捕まっても私一人くらいならなんとでもなるでしょう。ジュド君もそんな違法な手段使う必要はありません」


 突然訪れた危機に混乱し、動揺して言い争う弟子達の姿を見て、イェホシアはわざとおかしげに笑って見せると、そう言って皆を諭した。


 イェホシアは、ここで一つ大きな戒律違反を犯した……即ち、嘘を吐いたのだ。


 本当はどうにもならないことを彼自身が一番よくわかっているのだが、彼を守ろうと血気に逸る者もいる中、そうでも言わなければ皆を納得させ、犠牲を出さずにすますことは不可能であろう。


「あなたがそう言うのでしたら、きっと大丈夫なのでしょう……わたくしは夫の……預言者イェホシアの言葉を信じます」


 すると、それまで黙っていた妻マンダーラのメイアーが、彼の真意を見抜いているのかいないのか、夫の顔をじっと真っすぐ見つめながら、何か強い覚悟を持ってそう発言をする。


「わたしも、息子の言うことを信じましょう……」


 それを聞くと彼の母親の方のメイアーも、祈る様に胸の前で手を組みながら、息子の言葉が真実であることを願いつつそう述べる。


「これまでずっと、預言者イェホシアの言葉を信じてここまで来たんだからな……俺も、兄さんを信じるよ」


「俺もだ。イェホシア兄ぃは昔から嘘つかなかったからね」


 同じく弟ジョコッホと従兄弟のユディも、二人に続いてイェホシアを信じることを宣言する。


「………………」


 そんな家族達の表明した態度を見て、それまで反対していた弟子達も皆、もうそれ以上は何も言わずに黙ってしまった……。


「……さ、この話はもうおしまいです。今日はせっかくの越禍祭の日ですよ? 今夜は楽しく晩餐といこうじゃないですか。ま、ハーゲンディの力を借りれないのでワインに限りはありますけどね。ケファロ君達漁師兄弟にジャルダン川でお魚を捕っておいてもらってよかったです。それにちょうど、都に住むジャモンおじさんの姪っ子のバッターコさんのお店のパンも買ってありますしね」


 そのどこか重苦しい沈黙を払拭しようとするかのように、イェホシアはわざと笑顔を作ると、あえて明るい声で皆にそう促す。


 こうして、彼が家族や弟子達とともにするのはおそらく最後になるであろう、越禍祭の夜の晩餐が始まった……。


「――それでは、我らの神と未曽有の禍を乗り越えた祖先達に感謝しつつ……乾杯ぁーい!」


「乾杯ぁぁぁーい!」


 古くて狭い、日干し煉瓦造りの粗末な搾油小屋の中、けして豪華とはいえないが、あるを尽くしたパンと魚料理の並ぶ長机を囲み、イェホシアと弟子達は声高らかに祝杯をあげる。


 どこか懐かしいこの景色と食卓の雰囲気……おそらくイェホシアや最初期からの弟子達の頭の中には、ティアコフ・イヨハン兄弟の家で伝道を始めた、あの頃の情景が浮かんでいるに違いない。


「……ああ、そうだ。言い忘れていましたが、今後、私のことを裏切ったり、見捨てたりするように見える者がこの中から現れるかと思います」


 ある者はそんな昔を懐かしみ、またある者は内心、今後の成り行きに不安を抱きながら、大いに酒を飲み、大いに魚料理を食らって話に花を咲かせている最中、なぜかふと思い出したように、悪魔アスタロトに見せられた未来のことをイェホシアが口にする。


「ええっ!? まさかそんな! 我々が先生を裏切ることなどありえません!」


「そうっすよ! ぜったいありえないっす!」


 すると、その聞き捨てならない言葉には、だいぶ顔の赤くなっているケファロとティモスが抗議の声をあげる。


 いや、その二人ばかりでなく、皆が同様に少々怒っている様子でイェホシアのことを見つめている。


「いえ、これは確かな事実です。でも、それは致し方のないこと……すべては定められた運命なのです。だから、けしてそのことで自分を責めたり、互いに争ってはなりません。それこそあの魔術師や、神殿派・遵戒派の思う壺です。皆さんは争うのではなく、こんな時こそ逆に手を取り合い、力を合わせるのです。それが、私が〝神〟より預かった御言葉を広く後世に伝えてゆくための武器となるでしょう」


 だが、イェホシアは静かに首を横に振ると、なにやらいつもの説教をする時のような口調で、だが、まるで遺言を伝えるかのようにして、各々の顔を見回しながらそう語って聞かせる。


「………………」


 不意に始まった師の説教に、その場にいる者達は飲み食いする手も止めてじっと黙って聞き入ってしまう。


 中には彼が死を覚悟していることに薄々気づく勘のよい者もあったが、それを口にしてしまったはなんだか現実にそうなってしまうような気がして、誰もそのそこはかとない不安について切り出せる者はいなかった。

 

「とにかく、心に〝神〟を常に思う私達は一つの家族のようなものです。それを忘れなければ、どんな強敵や災禍が襲ってきても、けして挫けることはないでしょう……では、今度はそんな〝神の御言葉〟で結びついた、奇蹟のような私達を祝して乾杯することといたしましょう。はい、皆さん、杯を手に取って……乾杯ーぃ!」


 そんな弟子達の結束を改めて促すかのように、イェホシアは今一度、酒杯を高々と天に掲げて乾杯の音頭をとった――。




 そして、その翌朝……。


「――ん? 貴様が謀反を企てた大罪人イェホシアか!?」


 昇り始めた朝日に浮かび上がり、薄っすらと橙色に染まるオリーブの丘の麓、大軍を率いて包囲する衛兵の長は、静かに現れたその男に声を張り上げてそう問い質す。


「はい。私があなた達が捕えに来た、〝神の御言葉〟を預かりし預言者イェホシアです! 常に〝神〟の御心に添って生きる私には微塵のやましい所もありません。どこへなりと求めに応じて出頭いたしましょう!」


 遠く木陰に隠れて家族や弟子達が見守る中、そんな敵軍の将に対しても堂々と説教するかのようにそう答えると、イエホシアはそのまま軍勢の前へと進み、無抵抗に捕縛された――。

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