ⅩⅩⅡ 邂逅

「――イスカンドリア皇帝に税を納めるべきかどうかと問われるか? そのようなこと考えるべくもない! 見よ! 現在、我が国で使われている貨幣は皇帝カエサルの顔が刻印されたイスカンドリアのものだ! ならば税という形で皇帝カエサルのものは皇帝カエサルに返してやればいい! 神のものは神に返すべきだが、これは我らが神の財を渡すにあらず! 戒律違反にはあたるものではない!」


 大神殿の聖堂内において、前回同様、質問をふっっかけて罠に嵌めようとする戒律学者に、イェホシアは時の皇帝クラリウスの刻印された銀貨を見せつけて答えてやる。


「うぐぅ……」


 どちらを答えても、戒律違反か帝国への反逆罪で批判できるはずだったものが、その盲点を突く彼の返答に戒律学者は文字通りぐうの音も出なくされてしまう。


 王都ヒエロ・シャローム入城の後、そうして時に神殿派や遵戒派を論戦でやり込めつつ、毎日のように大神殿で〝神の御言葉〟を人々に伝える説教を行っていたイェホシアは、この都においても確実に支持者を増やしていっていっていた……。


 ただし、昼間の大神殿においては民衆の目もあるので安全なものの、夜は神殿派と遵戒派、さらにそれと繋がるハドロス王の臣下に襲撃される恐れがあるため、郊外の〝メッサマネ〟と呼ばれるオリーブの樹が茂る低丘陵の、今は使われていない古い搾油小屋を借りてそこに弟子達ともども潜んでいる。


 無論、ただ単に隠れているわけではない。悪霊の王アスモデウスというベリアルにも匹敵するほどの強力な悪魔の力を借りて、メッセマネの周囲に結界を張り巡らせると、自分達を不可視の存在に変えてけして見つからないようにしているのである。


 だが、ある日の夕刻のことだった……。


「――今日は〝越禍祭〟の日だ! 今夜は久々に大いに飲んで騒ごうではないか!」


 その日は、まだダーマ人の祖先達が異国の地で奴隷として虐げられていた頃、神の下せし未曾有の天罰を無事に乗り越えたことを記念する祭の日で、ヒエロ・シャロームの街も大いに賑いを見せていた。


 そこで、イェホシア達も潜伏する搾油小屋においてささやかな宴を設けようと思っていたのであるが……。


「せ、先生! た、た、た、大変です!」


 いつものように大神殿での説教から戻り、皆で宴の支度をしようとしていた矢先、思索にふけりたいとオリーブの森の散歩に出ていたイヨハンが血相を変えて飛び込んで来た。


「どうした、おイヨはん? また変な夢でも見たのか?」


 その様子に、少々夢見がちでよく悪夢を見たりする彼の性格から、いつものことだろうと冗談めかしてオンドレが尋ねる。


「ゆ、夢なんかじゃありません! 兵が……王とイスカンドリアの兵がこのメッサマネを取り囲んでいるんです!」


 だが、慌てた様子でイヨハンが答えたのは、誰も予想していなかったような、突然の危機的状況を知らせるものだった。


「なんだって!? そりゃほんとうか!?」


 彼の兄ティアコフをはじめ、その危急の知らせに全員が騒然となる。


「とにかく、まずは様子を見に行きましょう! イヨハン、それから、ケファロとティアコフもついて来てください。他の者はここに待機です!」


 皆同様、驚愕の表情を浮かべるイェホシアであったが、冷静な態度でそう告げると、指名した三人の弟子だけをつれて搾油小屋を飛び出した……。




「――これはいったいどうしたことだ……」


 オリーブの森を抜け、外へと通じる道の出口当たりまで来ると、確かにその低丘陵を包囲するようにして、淡い橙色に染まる夕暮れ時の景色の中、武装したエイブラハイーム王国の衛兵隊の姿がそこにはあった。


 いや、ハドロス王配下の国軍ばかりではない。駐留するイスカンドリアの兵士と思しき軍団や、神殿派・遵戒派と思しき輩もそこには混ざっている。


「我々を捕らえに来たのでしょうか?」


「それ以外、考えられませんね……しかし、なぜ見つかったのでしょう? アスモデウスの力で我々は不可視の存在になっているはずなのに……」


 オリーブの樹の影に身を潜めながら、血の気の失せた顔でケファロが尋ねると、イェホシアはそれに頷きながらも、信じられないという様子でその大軍勢を見つめる。


「アスモデウス! どうしたのです!? 我らは不可視の存在になっているのではないのですか!?」


 その疑問にイェホシアは、声の大きさに注意しつつも強い口調でアスモデウスを呼び出そうとした。


「…………アスモデウス? どうしたのです? アスモデウス!?」


 しかし、呼びかけてみてもまるで反応がなく、聞こえてくるのは風の音と、兵士達の甲冑がカシャカシャと擦れあう騒めきばかりである。


「……!? ケファロ? どうしたのです!? ティアコフ!? ああ。イヨハンまで!?」


 いや、異変はそれだけではなかった。ふと振り返ると、背後にいた弟子達三人は意識を失い、その場に倒れてしまっている。


「安心しろ。家令公子ガアプの力で意識を奪っただけだ。その方が話しやすいと思ってな。それから、何度、アスモデウスを呼ぼうと無駄なことだ。今やすべての悪魔は我が意思に従っている」


 驚き、動揺するイェホシアの耳に、そんな男の声が不意に聞こえた。


「……!?」


 とっさにそちらへ目を向けると、夕陽に色濃さを増したオリーブの木陰に溶け込むかのようにして、そこはフードを目深にかぶる、隠修士の如き黒いローブ姿の者が立っていた。


 また、その傍らには、屈強な暗青色の肉体に蝙蝠の翼を持つ、坊主頭からはニ本の角の生えた半裸の悪魔か控えている……家令公子ガアプだ。


「…………あなたは?」


「我が名はシモール・マゴス。そうだな……そなたの言い方でいえば、同じく〝神から言葉を預かった〟者とでも言ったところか、預言者プロフェタムイェホシア・ガリール。ここではなんだ。静かな所で話そう……」


 唖然と尋ねるイェホシアに、その男――シモールは、緑に光る蛇のような眼で兵達の方を見やりながら、オリーブの森の奥へとイェホシアを誘った――。

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