ⅩⅩ 入城

 マンダーラのメイアーとの結婚の後も、夫婦ともども〝神の御言葉〟を伝える活動に邁進するイェホシアであったが、ここへ来て、彼の支持者の拡大は頭打ちを見せ始めていた……。


 いや、教団は大規模化し、ガリール湖沿岸地域では遵戒派をも凌ぐ一大勢力となったのであるが、エイブラハイーム王国内の他地域においてはまだ戒律を重視する従来のダーマ教の伝統色濃く、また、大神殿のある王都ヒエロ・シャロームは、ハドロス王と結託した神殿派の牛耳る旧態依然のままであった。


「――ここはやはり、ヒエロ・シャロームへ行って伝道すべきです!」


 そんな状況を見かね、もと商人として知略に長け、計算高き十二使者の一人・猪狩屋ししかりやのジュドが、王都での伝道をイエホシアに対して声高に訴える。


「いまだ神殿派と遵戒派が主流のまさに敵地ではありますが、都において先生の名声が高まれば、一挙に国内に〝神の御言葉〟は広まります。内心、神殿派や遵戒派に不満を持っていた者、また同じような考えを持つ隠修派もこぞって我らに共鳴することでしょう」


「私も賛成です。王都を押さえ、イスカンドリアの犬と化している王と神殿派の力を弱められれば、我々〝愛国派〟の動きにも拍車がかかり、独立運動への機運も高まるでしょう」


 ジュドの提案には、愛国派に属するシーモも賛同する。彼らの目指す帝国からの独立という目標にしても、イエホシアのヒエロ・シャローム行きは大変有意義なものなのだ。


「ちょ、待てよ! ……と言いたいところだけど、俺もです。重税を課す王と神殿派が排除されれば、税に苦しんでいる大勢の民を救うことができます」


「俺の好きな馬が傷つきますし、独立戦争になるようなことは望みませんが、それで我が祖国とイスカンドリアとの関係が改善され、平和裏の独立なり、より強い自治が認められるようになるのであれば……」


「独立云々は置いとくとして、ともかくも〝神の御言葉〟を主軸にして、この国もダーマ教も改革されるべきだってばよ」


 また、イスカンドリア帝国よりである徴税士マテヨ、フェリポン、ナルトロマエも、愛国派とは多少意見を異にするものの、ヒエロ・シャロームでの伝道には賛成のようである。


「俺は先生がいいって言う方に従うっす! 先生の言うとおりにしていれば間違いないっすから!」


「うむ……確かに王都入城するのに機は熟したのかもしれんな……」


「わたくしも賛成です。ヒエロ・シャロームならば、ジャルダン川の河原で亡きジョバンネス先生の教えに触れた市民達も多いでしょうから」


 他方、単純なティモスは相変わらずであるし、ケファロやジョコッホら最初期からの弟子兄弟も、妻メイアーもその考えに頷いている。


「…………わかりました。では、これよりはヒエロ・シャロームへ拠点を移し、都を中心に伝道を行うことといたしましょう」


 皆の意見に耳を傾け、しばし試案をした後、イェホシアはいよいよ敵方の総本山ともいうべきヒエロ・シャローム入りの決意を固めた。


「では、決まりですね。先生の都入りをさらに効果的にするために、一つ、私に考えがあります。やはり戦は初手が肝心ですからね……」


 その言葉を聞くと、ジュドは不敵な笑みを口元に浮かべ、なにやら含みのある口調で悪だくみをするかのようにそう告げた――。




「――ジュド君、やはり私は乗り気がしないのですがぁ……私は別に救世主マシアーではないですし、こんな皆さんを騙すような行いは……」


 爽やかな朝の空の下、王都ヒエロ・シャロームまでもう眼と鼻の先という所まで街道を進みつつも、馬に乗ったイェホシアは困惑した様子でそうボヤいている。


「なにを今さら言っているのですか! そう思わすのが肝心なのです! 否! 嘘から出たまことの例えの如く、そうしてダーマの民とこの国に革新をもたらし、真にあなたが救世主マシアーとなるのです! 聞くところによると、先生はヅァウィード王の血を引いてるそうじゃないですか? ならばなおのこと、これは嘘ではなく予言通りの真実なのです!」


 そんな気弱なイェホシアに対し、この作戦の発案者であるジュドは、そのとなりを徒歩で進みながら語気を強めて諫言をする。


 ジュドばかりでなく、あえて馬に乗せられて進むイェホシアのとなりや背後には、他の十二使者や母と妻の両メイアーをはじめ、弟子達がずらずらと付き従ってついて来ている。


「いや、その話はほんとかどうか怪しいものですし……やはり、ここは違う門からこっそり入った方が……」


「ええい! 軟弱な! いい加減、覚悟を決めなさい! ほら、もう〝義者の門〟が見えてきましたよ?」


 なおもうじうじ言っているイェホシアに、ジュドはますます声を荒げると、道の先に見えるヒエロ・シャロームの城壁の方を指さした。


 その城壁には、この街道から市内へ入るために立派な石造りの大門が設けられているのだが、それは〝義者の門〟と呼ばれるものであり、ダーマ人の伝説では民族が危機に瀕した時、この門を潜ってダーマの民を救う〝救世主マシアー〟が現れると予言されているのだ。


 ジュドはこの予言を利用し、イェホシアをその救世主マシアーに重ねて人々に印象付けようという腹積もりである。


 また、その救世主マシアーはこのエイブラハイーム王国を建国したと云われる伝説の英雄ヅァウィード王の子孫であるともされ、同じくイェホシアの父親はその血筋の者であるという話もあるので、まさにこれは王都の人々の心を掴むのにもってこいだと彼は考えたのだ。


 いつになくイェホシアが騎乗の人になっているのも、そのための演出である。


「ハァ……こんなことなら、悪魔の力を借りて一人で先に来てしまえばよかったです……」


 そうして深い溜息を吐きながらも、嫌々、馬を進めて行くイェホシアであったが、その二階建ての建物ほどもある巨大な〝義者の門〟の下まで辿り着くと、そこには一群の人々が彼らを待っていた。


「貴様達! どこへ行くつもりだ! ここは救世主マシアーが通るとされる由緒ある王都の門、貴様らのような輩が通る場所ではない。早々に立ち去れい!」


 しかも、イェホシア達が近づくと、そんな怒鳴り声をあげて彼らの道行きを阻もうとする。


 その全員が白い衣を纏い、半分はトンガリ帽子をかぶった一団……それは、大神殿に仕える司祭達と、ヒエロ・シャロームに住む戒律学者の集団であった。つまり、神殿派と遵戒派の者達である。


「いいや! ダーマの根幹たる祭祀や戒律を否定する貴様らのような輩が、この神聖なるヒエロ・シャロームに入ること自体、神への冒涜! 立ち去るついでにこの国からも出ていけっ!」


「そうだ! 出ていけっ! この偽救世主マシアーめっ!」


「このダーマの民の風上にも置けぬ面汚しどもめがっ!」


 さらにその一団は石造りの城壁に怒号を響かせ、口々にイェホシア達へ罵詈雑言を浴びせる。


 この神殿派・遵戒派の一団は、ヒエロ・シャロームを目指して進むイェホシア一行の噂を事前に聞きつけ、かねてから危険視していた彼が救世主マシアーを真似て〝義者の門〟を潜る計画を見抜くと、こうして阻止するために待ち構えていたのである。


 本来はその支持する階級や思想的違いにより、お互い対立関係にある神殿派と遵戒派であるが、共通の敵と見なしたイェホシアの前に、どうやら手を組んで共闘体制を布いたらしい……。


「偽救世主マシアーとは失礼な! 私は一度も救世主マシアーなどと名乗ったことはありません!」


 しかし、彼らの言われなき悪口雑言は、逆にそれまで気乗りのしなかったイェホシアの心に火を点けてしまった。


「黙りなさい! あなた達にそのように言われる所以も、我らの道を阻む権利もありません! あなた達こそ、そこをどいて道を開けなさい!」


 顔つきの変わったイェホシアはさらに馬を進めると、彼らの間近まで迫って厳しく反論する。


「それに私は祭祀や戒律を否定しているわけではありません! それを優先するあまり、逆に人々を苦しめている本末転倒な今の状況を嘆いているのです! つまりはそれを民衆に強いている張本人――あなた達のことをです!」


「先生の言う通りっす! 先生を侮辱する者は俺が許さないっす!」


「よく言った! おまえら司祭や戒律学者こそ、神の名を貶める獅子身中の虫だ!」


 イェホシアに続けとばかり、熱血漢のティモスやティアコフはじめ、弟子達も次々にそれに加勢する。


「ほおう。戒律を否定してはいないとな……それがまことか否か、ならば答えてもらおう! かの者をここへ!」


 しかし、彼らは待っていましたとばかりにほくそ笑むと、戒律学者の一人がイェホシアを試すように言った。


 その戒律学者の指示に、彼の弟子と思しき者達が縛り上げられた一人の若い女性を引っ張ってきてイェホシアの前に投げ出す。


「…うぅ……どうか、どうかお助けを!」


 その女性は地べたに這いつくばりながらイェホシアを見上げ、必死の形相で助けを求めている……乱れた髪のかかった顔も艶っぽく、美人だが妙に妖艶な色気を感じさせる女性だ。


「この者は夫のある身でありながら、間男を留守宅に招き入れていた不義密通の罪人だ! 不義密通を働いたものは、石打ちの刑・・・・・と戒律では決まっている! さあ! 戒律を否定しないというのならば、この者へ石を投げよ!」


 その女性を侮蔑するように指さしながら、戒律学者は高慢な態度でイェホシアに難しい選択を迫った。


 もしも彼が石を投げなければ、やはり戒律を否定する反ダーマ主義者だとイェホシアを責めたて、逆に石を投げたならば、けっきょくは苦しむ民を見捨てる薄情な人間なのだと彼を嘲笑う……どちらに転んでもイェホシアに対する民衆の人気を失墜させられる、なんとも狡猾で卑怯な質問なのだ。


 カナッペウムでの論争の一件を聞き、その失敗の轍を踏まないために遵戒派は考えたのである。


「お、お助けください! ど、どうかお慈悲を!」


「先生……」


 地べたに投げ出された不義の女性は重ねて許し懇願し、弟子達は不安な表情でイェホシアの動向を見守る。


「わかりました。では、戒律に則って彼女に罰を与えましょう」


 だが、イェホシアは迷うことなく二者択一の答えを選ぶと、彼らしくもない言葉をさらっと口にする。


「せ、先生!」


「フフフ……そうかそうか。では、皆の前でしかと石を投げて手本を見せてみよ」


 それを聞くと、弟子達はひどく動揺して慌てふためき、司祭や戒律学者達はしてやったりと悪どい笑みを浮かべてイェホシアに石打ち刑を催促する。


「ですが、彼女だけを罰するのは不公平です。それならば、戒律を破った罪人を皆平等に罰しないと……豹総統オセ! こちらにいる方々の破った戒律の数を教えてくれ」


 ところが、続けてイェホシアはそう断りを入れ、唐突に大声をあげて悪魔を呼び出した。


「ひっ! ひょ、豹だ……!」


 その声に、赤い斑模様のある緑の眼をした、大きく美しい豹がどこからともなく彼の傍らに現れる。


「この悪魔オセは隠された秘密を暴く力があるのです。なので、皆さんがうっかり申告し忘れていた戒律違反も残らず数え上げてくれるんで安心してください」


「こいつらの破戒の罪を数えればいいんだな? そうさな……こちらの司祭様は主なもので230、そっちの戒律学者の先生は180と言ったところか……おお、そこの弟子の若僧など893もやぶっているな……」


 イェホシアが説明をする内にも、その大豹は美しい緑の瞳で司祭や戒律学者達を見つめ、腹に響く低い声で次々にその破戒の数をあげてゆく……複雑で多岐に渡る膨大な数の戒律は、その専門家である戒律学者だとてすべて守ることは不可能なのだ。


「ああ、そんなにも戒律を破っているとなると、不義密通にも並ぶ大罪人ですね。それでは、皆さんにも一緒に罰を受けてもらいましょうか。そうですね。石打ち刑というのも残酷で忍びないですし……そうだ! せっかくですし、ここはオセに喰い殺してもらいましょう!」


「グルルルルル……イェホシア、こいつら喰ってもいいのか?」


 オセの数え上げる破戒の数を聞き、恍けた調子でわざとらしくイェホシアがそう告げると、当の大豹は不気味な唸り声を響かせながら、舌なめずりをして彼に確認する。


「ひ、ひ、ひゃあああ~っ!」


「た、助けてくれぇぇぇ~っ!」


 鋭い牙の覗く口から涎を垂らし、自分達を獲物として見ている大豹の悪魔に、司祭と戒律学者の群れは悲鳴を上げて一斉に逃げ出した。


「ガルルルルル…!」


 全速力で走り去る彼らの後を、本気なのか冗談なのか、豹公オセも狂暴な唸り声とともに追いかけてゆく……。


「ふぅ……あなたもこれに懲りたらほどほどにするのですよ? 戒律を破ることは自由ですが、後は自己責任です」


 門を塞ぐ邪魔者がいなくなると、あまりのことに呆然と横たわったままの女性にイェホシアはそう声をかけてウィンクをする。


「……あ、ありがとうございます! あ、あなた様は救世主マシアーなのですか?」


「いいえ。私はただの預言者・・・です……さあ! 義者の門は開きました! 皆さん、大神殿に参りましょう!」


 ようやく気を取り直し、慌てて礼を述べると尊敬の眼差しで尋ねる彼女に、イェホシアは何事もなかったかのようにそう答えて、いよいよ弟子達とともに王都ヒエロ・シャロームへ入城した。


 救世主マシアーが現れるとされる〝義者の門〟を潜り、大神殿を目指して都の大通りを進むイェホシアと弟子達の一行は、騒ぎを聞きつけた市民達によって注目の的となった。


 そして、まさしく予言に語られる救世主マシアーの如き彼に興味を持った人々もその列に加わり、大行列となった一団はそのまま都の中央にそびえる大神殿に参詣した。


「――ご参詣の皆さん! 私は祭祀や戒律を軽んじているわけではありません! しかし、それよりもまず先に大切にすべきことがあると言っているのです! 即ち、常に神を心に思うことです! その気持ちさえあれば、たとえ祭祀を行うことが困難であったり、戒律を守ることができない者であっても神の御心に添って生きることができるのです!」


 義者の門での騒動で怖れをなし、司祭達神殿派もどこかへ身を潜めていたため、神への礼拝を終えた後にイェホシアは、その巨大な大理石造りの真っ白い大聖堂で参詣者達に向けて説教を始める。


 荘厳なドーム状の天井に響くイェホシアの神より預かった言葉が、王都の人々の心を大きく揺り動かしたのは言うまでもない……。


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