Ⅶ 祝福
「さ、もう大丈夫です。あなた達を苦しめる
一人残らず悪意を向ける者達を追い払うと、いまだ立ち上がることができず、その場で唖然と佇む人々に穏やかな笑みを湛えてイェホシアは声をかける。
「……奇蹟だ……奇蹟が起きた……」
「……先程は火の中でも燃えなかったし……あなたは、もしや神の遣わし賜うた天使様でございますか?」
助かった喜びや安堵の気持ちよりも、今、目の前で起きた現象に対する驚きの方がむしろ勝り、ジョバンネスの弟子達は白昼夢でも見てるかのような顔をしてイェホシアに尋ねる。
「これは奇蹟ではありません。なに、ただ悪魔…いいえ、
だが、イェホシアは静かに首を横に振ると、超常に対する彼らの憶測をその言葉で否定してみせた。
「それよりも、ジョバンネス先生のことはとても残念でした。たいへん惜しい人を亡くしてしまいましたね……」
そして、そんなことは些末な問題だとでもいうように話題を変えると、続けて彼らと彼らの師に対する追悼の言葉を述べる。
「ですが、我々は亡き洗禊者ジョバンネスの意志を継いでいかなければなりません。それ故に、私はあえて皆さんにこう述べます……さあ、今こそ〝祝福せよ!〟と」
「祝福? ……なぜ、このような時に祝福などするのですか?」
加えて、そんな訳のわからないことを言い出すイェホシアに弟子達は怪訝な顔をお互いに見合わせ、不謹慎ではないかと非難の意味も込めて彼に聞き返した。
「それは、神より新たな言葉を預かったからです! そう! 我らの師ジョバンネスの〝禊〟と同じく、我々を破戒の罪より解き放ってくれる御言葉を預かったのです!」
だが、悦びに満ちた笑みを浮かべて彼の返した答えは、ますます以って思いもしないようなものだった。
「神の御言葉を? ……それは、どのような御言葉なのですか?」
予想外ではあってもその興味深い内容に、訝しげな顔をした弟子達は非難も忘れて再度聞き返す。
「これまで、我々は戒律を守ることこそ神の御心に沿うものと思い、戒律を守ることだけに心を砕いてまいりました。戒律を守らねば、即ちそれは神の御心に逆らう罪である…と、そう信じて疑うことなく生きてきました……」
一心に救いを求めるかのような眼差しを向ける人々の質問に、イェホシアは厳かな声で神の預言を語り始める。
「ですが、悪魔…否、聖霊にこの世界の真実の姿を見せられ、私はその中で神の御言葉を確かに聞いたのです! 〝ただ常に神のことを思え! さすれば、その御心に沿って生きることができるであろう〟と! これからは無理をしてまで戒律を守る必要はありません。戒を破ったとて、禊をして浄めねばならぬ罪などないのです!」
「戒律を守らなくてもよい……?」
「破戒しても……禊をしなくても罪はないのですか!?」
あまりにも前衛的であまりにも過激なその言葉に、弟子達は驚きと恐れを抱いて疑念の目を向けてくるが、イェホシアは気にすることもなくさらに続ける。
「そうです! 戒律とは、神のため、正しく生きるための規範ではあっても、所詮は人の造りしただの決めごと……むしろ、それを守っていさえすれば、神の御心に沿えるというものでもないのです! それよりも、いつも心に神を思うのです! そうすれば、誰もが神の御言葉を預かり、その御心のままに罪なく生きることができるでしょう!」
「ただ、神を思いさえすればよい……」
「誰でも、神様の御言葉を預かることができる……」
半信半疑ながらも彼の説教を聞く者達の心の中で、それまで自分達を縛っていた呪縛が雪解けのように解け始めている。
「そういえば、祝福するにはお酒が必要ですね……有翼総督ハーゲンティ! そこの水でワインをお願いします」
一方、そんな聴衆達から不意に視線を外すと、イェホシアは周囲を見回しながら、思い出したかのようにそう独り言を呟く。
「かしこまりました……ハァ…サラマンドロン王もだったが、新たな主は悪魔使いの荒い御仁だ……」
すると、今度は青黒い翼と金色の角を持つ、黒髪に赤い肌をした男が突如現れ、先刻の兵士達が火消しに用意していた水瓶に近づくと、ブツクサ文句を言いつつもその中の水を一瞬にして赤ワインに変えてしまう。
「どうせないでしょうから、ついでに杯も造っておきましたよ、人数分」
「ああ、ありがとう。さすがは錬金術師の悪魔さんですね……ささ、皆さん、各々ワインを手にとってください。おかわりできるくらいたっぷりありますんで」
そして、宙を舞う悪魔が水瓶を持って来ると、やはりその悪魔が差し出した杯を水瓶に浸し、自らワインを酌んでそこにいる者達全員に配り始める。
「き、奇蹟だ……あ、あなた様はいったい……」
またしてもその奇蹟を目の当たりにし、弟子の一人が驚きと畏敬の念を持って震える瞳で彼に問い質す。
「いや、だから奇蹟でもないですし、私はあなた達と同じただの人間ですって……さ、皆さん、ワインは回りましたかね? では、ともに祝福しましょう! 今日、我らが新たに預かった、我らを救う素晴らしき神の御言葉に!」
しかし、彼は手をひらひらと振って再びその見方を否定すると、手にした杯を天に掲げ、声も高らかにそう叫ぶのだった。
求道の放浪と厳しい悪魔の山での修行の末、〝神の言葉〟を預かったその青年の名はイェホシア・ガリール……後に〝はじまりの預言者〟と呼ばれ、その教えは世界宗教〝プロフェシア(預言)教〟へと発展してゆくこととなる……。
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