ⅩⅣ 治癒

 シモベの悪魔祓いの一件の後、イェホシアの評判は雷の如き速さでカナッペウムの街中に広まった。


 そのおかげか、故郷の村とは大違いにここでは皆がイェホシアの言葉に耳を傾けてくれるため、彼はこの街に拠点を置き、神から預かった言葉を伝える活動を行ってゆくこととしたのだった。


 もちろん、村での失敗を繰り返さぬため、現生利益的な救いを求める者に対しては、出し惜しみせずに悪魔の力を借りてその問題を解決してやることも忘れずにである。


 例えば、病や怪我を負った者が治癒を求めてやって来た時には――。


「――おらあ、神殿造営の労役で石の下敷きになって、それ以来、右手が動かなくなっちまっただ。神様のために働いて怪我しただに、司祭さまや戒律学者の先生は、日頃から戒律を破っているための罰だっていって取り合ってもくれねえだよ。聖者さま、どうかおらの右手をなんとかしてけろ!」


「これは破戒のための罰などではありません! 神がそのようなことで罰などあたえるものですか! その腕は罪とも罰とも関係ない、ただの不幸な事故による怪我なのです。わかりました。なんとかしてみましょう……星辰総統ブエル! 我に癒しの力を!」


 その棒のように動かなくなった右手を見せて、必死にその治癒を請い願う働き盛りの男性に、イェホシアは義憤に声を荒げつつ今回も悪魔に助力を求める。


「フン。そいつの腕を治してやりゃあいいんだな。俺様にかかれば簡単なことだ。おまえにその力を宿してやる。あとは手で触れるだけでなんとかなるぜ……」


 すると、獅子の頭に山羊の脚が五本、まるで車輪の如く放射状に生えたなんとも奇妙な姿の悪魔が現れ、そう言って、やはり車輪みたいにクルクル回りながらイェホシアへ向けて突進すると、その体に吸い込まれるかのようにして姿を消す。


「うわっ…! ……ふぅ…なるほど。この手で患部に触れればいいんですね。それじゃ、右腕を出してください……」


「へ、へえ、こうですか……?」


 その突進に一瞬、驚いたイェホシアであるが、悪魔ブエルの意図を即座に理解すると、男性に動かない右腕を前に伸ばさせて、それに自身の右手で降れる。


「さ、これでもう大丈夫ですよ。さ、動かしてみてください」


「え? もう終わりだだか? そんな簡単に治るわけが……あれ? 動くだ!? 腕が動くようになっただよ! 奇蹟だ! これは奇蹟以外の何ものでもねえだ!」


 そうは言われても、当然、そんなこと信じられるわけもなく、それでも一応、右腕に力を込めてみる男性であったが、なぜかなんの支障もなく動くようになっているその右腕に、彼は思いがけずも歓喜の声をあげるようになったのであった。


 しかし、この一件がますますイェホシアの評判を高め、活動の場にしているティアコフ・イヨハン兄弟の家の前には長蛇の怪我人・病人の列ができるようになってしまった。


「これでは私一人では対応できませんね……よし! いいことを思いつきました!」


 そこで彼が考えたのが、弟子達を医者並みの専門家に育て上げることだった。家を借りているティアコフ・イヨハン兄弟ばかりでなく、ケファロ・オンドレの兄弟もそのまま帰らず彼のもとに留まっていたため、その四人にも病人や怪我人の手当てをさせようというのだ。


 といっても、その教師はイエホシアではなく、医学や薬草学に詳しい悪魔である……。


「――ええ、熱病にはこちらの薬草が。胃の痛みにはこっちの薬草がよう効くので憶えておくように……ああ、こら、オンドレ君、居眠りをしない!」


 白髪頭で長い髭を蓄えた老医者のような姿の悪魔――探索者の総統フォラスが、机を並べる二組の兄弟に懇切丁寧、薬草のことを教えている。


 最近は町の人々がお布施をくれるようにもなってきたが、生活のために出ている漁の合間を縫って、四人はイェホシアの手伝いをすべく、目下猛勉強中なのである。


 また、救いを求めてやって来る人々の中には病気や怪我だけでなく、シモベの時同様、〝悪魔祓い〟を頼む者達もいた……。


「――ゲッ! ベリアルっ! なんであんたがここに……俺は強え者には巻かれる主義なんでね。ここはおとなしくお暇させてもらうぜ……」


 その度に、イェホシアはまたベリアルを呼び出し、その悪魔界での権威に頼って悪魔を追い出していたのであるが……。


「おい。俺はこれでも悪魔の中じゃ偉くていろいろ忙しいんだ。いちいちんなことで俺を呼び出すな。そういう魔除け専門はハウレスの方だ。今度からはこいつにたのめ」


 眉間に皺を寄せ、ひどく面倒臭さそうにベリアルがそう断ると、彼のとなりには豹の毛皮を纏い、燃えるように赤く光る眼をした色黒の男が姿を現す。また、その右手には投槍を持ち、左手には大鷹をとまらせている。


「ハウレスさん! お久しぶりです。その節はハウレスさんにもお世話になりました」


 その悪魔――豹公ハウレスにイェホシアは見憶えがあった。あの〝悪魔の山〟での修行の際、ベリアルに言われてこの世界の真理・・を彼に見せた張本人である。つまりは、イェホシアが〝神の言葉〟を預かる直接の原因を作った者といって過言ではない。


「ああ、久しいな。ベリアルのめいだ。やむをえん、これからは俺が力を貸そう……それにしても、悪魔憑きになる者がやけに多いようだな」


 懐かしそうに顔を綻ばすイェホシアに対し、ハウレスは不愛想にそう答えると、救いを求めてやって来た民衆の列を見やりながら呟く。


「イェホシア先生! どうか娘に取り憑いた悪魔を祓ってやってください! 昨日からこの調子で、話もまともにできないのです!」


「ガハハハハ、神ヲ冒涜セヨ! 神ノ正シイトスルコトト真逆ノコトヲスベテ為スノダ!」


 ハウレスの視線につられてイェホシアもそちらを覗うと、とても少女のものとは思えない声で喚き立てる娘と、それを必死に抱きかかえて悪魔祓いを請い願う母親の姿が目に映る。


「またか……そう言われてみれば、確かに最近、よく見かけるようになったかもしれませんね。前は悪魔憑きなんて、ごくたまにしか起こらなかったと思うんですが……なぜでしょう?」


 ハウレスに言われて初めて気づいたが、その言葉通り、近頃はよく来る悪魔祓いの依頼に、イェホシアもそこはかとない疑問を感じて小首を傾げる。


「さあな。俺も悪魔だが他の者のことはわからん。とりあえずはあれをなんとかすればいいんだな? 悠長なことは嫌いだ。とっとと片付けるぞ。フン!」


 だが、ハウレスはやはり愛想の欠片もなくそう答えると、手にしていた投槍を悪魔に取り憑かれた少女目がけて突然、投げつける。


「……っ!」


「ギャァァァァァっ…!」


 当然、目を見開き驚くイェホシアだったが、その槍は少女の肉体をすり抜け、中に入っていた悪魔だけを貫くとその勢いのまま外へと弾き飛ばす。


「なっ! ……な、なんてことするんですか!?」


「安心しろ。攻撃したのは霊体の悪魔だけだ。じゃあな。用は済んだんで俺はもういくぞ……」


 その乱暴なやり方に抗議するイェホシアだが、ハウレスはなんの問題もないとばかりに短くそれだけを告げて姿を消す。


「……ま、ママ……あたし、どうしちゃったの?」


「ああ! 娘が、娘がもとに戻りました! ありがとうございます!」


 確かにその言葉通り、投槍に貫かれた少女の方は悪魔憑きも治り、特にどこも怪我していない様子である。


「……ま、まあ、無事に悪魔は祓われたようなんでいいんですが……」


 意識を取り戻した娘を抱き、涙を流して礼を言う母親の姿を見つめながら、イェホシアはいいんだか悪いんだか、なんだか複雑な感情を抱く。


 そんなわけで、〝上位君主〟という、じつは悪魔界におけるかなりのお偉いさんだったベリアルに代わって、近頃頻繁に頼まれる悪魔祓いは豹公ハウレスの担当になったのだった。

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