第12話

 通いなれた通学路も車上から見ると、普段と印象が変わる。年代物のワゴン車の助手席で揺られていた治樹は、窓を開けて吹きつける風を浴びながら、いつもより少し高い目線で流れる景色を眺めていた。


「手嶋くん、暑いかい? クーラー強くするよ」

「あ、大丈夫です、赤間先生。暑くないです」


「そうかい?」と言いながら、カルチャーセンターで手品を教えてくれている老マジシャンは、芸を披露するときのような滑らかな手つきでクーラーのつまみを弾いた。

 残暑厳しい10月の日曜日――照りつける陽射しは真夏のそれと変わらない。赤間が勘違いするのもしかたないことだ。

 師匠のやさしさを無下にできず、治樹は手動のハンドルで窓を閉めた。


「今回は、本当にありがとうございます。休みなのに車まで出してもらって」

「なに気にすることはない。かわいい弟子の晴れ舞台の準備だ。これくらい、どうってことないさ」


 笑いながら赤間はハンドルを切る。ゆるやかなカーブを越えた先に、高校が待っていた。

 本日は学園祭で治樹が行うマジックショーの道具運搬日。前日、生徒会長が急に注文してきた。なんでも月曜日から学園祭の準備が本格始動して、納入品の受け取りは混雑するらしく、日曜のうちに運び込んでほしいとのことだ。

 もっと早くに言ってほしかったと、痛切に思う。


 治樹は口からこぼれそうになった吐息を飲み込んで、ちらりと後ろの荷室に目をやった。

 透明なガラス水槽のなかに、使用する手品道具を詰め込んである。すべて赤間からの借り物だ。かつて全国を飛び回り舞台に立っていた赤間が、実際に披露していた本格的な手品道具である。

 学園祭での公演を告げて、アドバイスをもらおうとしたところ、道具を貸してくれるという話になったのだ。


「大がかりなものは、カルチャーセンターで使わないからね。好きに使ってくれてかまわないよ」と、赤間は笑顔で言った。


 すでに一線を退いて五年以上になる。赤間が舞台から下りたのは、アシスタントであった妻の死去がきっかけだった。一人では舞台に立てなかったと、さみしそうに笑いながら教えてくれた。


「おっ、あれだね」


 フロントガラス越しに、校舎の側面が見えた。道なりに進んで校門を通り、駐車場に停車させる。


「やっ、くん」


 居合わせた生徒会長の麻智が迎えてくれた。日曜日だからか、スカートは制服であったが上に着ていたのはTシャツだった。『FUCKING KILL』と出迎えには不適格な文字がプリントされている。


「こんにちは、お嬢さん。荷物はどこに置けばいいのかな?」

「少しお待ちください。いま荷運び要員が来ます」


 穏やかな声色で、麻智は応対する。猫をかぶっていると、それなりにおしとやかに見えるのはタチが悪いと思った。

 ほどなくして男子生徒を引き連れた陽子がやって来る。練習中の野球部員を呼んできたようだ。


「これを、体育館のほうに持っていって」


 麻智の号令の下、野球部員六人がかりで手品道具の詰まった水槽を運ぶ。


「講堂じゃないんですか?」

「そっちはゴチャゴチャするから、しばらく荷物は置いとけないんだ。本番前には運ぶから、とりあえず体育館に仮置きしといて」


 荷運びを野球部員にだけ任せておくのは悪いので、治樹も後を追っていく。

 駐車場から体育館までは、かなりの距離があった。何度も手伝おうかと思ったのだが、逆に足手まといになりそうで加わるのにためらう。


「くそっ、なんで俺らがこんなことを……」

「しかたないだろ、前キャプテンの土井さんの命令だ。あの人、学園祭の打ち合わせで今日学校に来てるから」

「ゴリラには逆らうな――とか、謎の言葉を言ってたけど、あれなんだ?」

「知るかよ。暑いんで、ちょっとおかしくなってるんだろ」


 野球部員の悪態を聞き流しているうちに、体育館が見えてくる。先立って体育館の扉を開けた陽子は、困り顔を浮かべて首を振った。


「バスケ部が練習中。中に置いとくのは危ないと思う」


 簡単に割れるような水槽ではないが、ガラス製である以上重いバスケットボールが当たるような事態はできるだけさけたい。

 治樹は悩んだ末に、ダンボールを敷いて体育館の脇に仮置きすることにした。


 手伝ってくれた野球部に礼を言い、陽子と二人で雨除けのためにシートで包む。その作業中に、のんびりと麻智がやって来た。見ているだけで、作業の手伝いはしてくれない。


「ねえ、くん」赤間がそばにいないので、かぶっていた猫を脱ぎ捨てている。「良い話と良い話の二つがあるんだけど、どっちがいい?」


 この手の二択は、普通良い話と悪い話ではないだろうか。治樹は苦笑する。


「会長、それどっちでもいっしょですよ」

「さすがイカちゃん、そこに気づくとは――」

「誰でも気づきます」


 陽子は呆れながらシートを結んで、「よし!」と満足げに言った。かなり几帳面な性格のようで、治樹一人だと見逃したであろうだぶついたところを、手を滑らせてきっちりと平らにする。


「えっと、なんですか、良い話って」

「一つは、念願のバニーちゃんが見つかった。月曜日に紹介するから、待ってて」


 まさか、あれは本気だったのかと治樹は驚く。バニーガールに応じてくれた女子がいたことにも。


「もう一つは、なんと学園祭の公演で吹奏楽部の直前に格上げになりました!」

「ダンス部の有志が講堂での公演だけじゃなくて、生徒向けの体育館公演もやりたいって言いだしてね。その関係で公演プログラムをちょっといじらなきゃいけなくなったの」と、陽子が説明を補足する。


 こちらは、正直あまりうれしい話ではなかった。

 不安で曇った治樹の顔を見て、麻智はニッと笑いかけた。


「大丈夫、きっとうまくいく。少なくとも手品くんは、うちのバカと違って怒られることはないだろうから」

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