第23話

 学園祭を明日に控えた土曜日の前夜祭。外部からの訪問客こそ迎えないが、本番当日と同じ予定で開催される。

 開始時刻は午前9時――生徒会長による「前夜祭、スタート!」との校内放送が学校中に響き渡った。


 色めき立つ教室のなかで、忙しなく動きつづけていた陽子も、このときばかりは手を止めた。ちらりと壁かけ時計に目をやって、再び働きだす。

 陽子はクラスの出し物である手作り雑貨店の品出しを、朝からずっと休みなく行っていた。生徒会の仕事でクラスの出し物に協力できないことが申し訳なく、せめて品出しくらいはとがんばっている。


「鳥飼って、いつも忙しそうだな」


 クラスメイトの武史が、感心しているような呆れているような顔で言った。


「学園祭が終わるまでの辛抱だから……」


 正直忙しいことよりも、学園祭終了後のほうが憂鬱だった。生徒会長の引継ぎが頭をかすめるたびに、ため息がこぼれる。体を動かしているほうが頭を空っぽにできて、よほど気持ちが楽になれた。

 もう一度、壁かけ時計に目をやる。すでに9時22分、講堂の公演が10時開始で集合は9時30分だ。今日はリハーサルのみだが、遅れるわけにはいかない。


「ごめん、行かなきゃ!」

「おー、そうか、わかった」


 クラス委員に声をかけて、大急ぎで教室を出ようとしたときだった。ふと視界の隅で、熱心にビーズ細工をする治樹の姿を見つけた。

 マジシャンだけあって、器用にビーズをつなげて綺麗なブレスレットを作っている。


「手嶋くん、午後からリハーサルだよ。忘れないでね」

「あっ、うん――」


 ブレスレット作りに集中したまま、治樹は顔を上げることなく曖昧に答える。本当に聞いているのか確認したいところだが、もうそんな時間は残っていない。

 教室を飛び出し、前夜祭の浮かれた空気を突っ切り駆け足で講堂に向かう。


 到着したの9時32分、間に合わなかった。が、時間厳守と言っていた張本人がまだ来ていない。

 待つこと15分以上――すでに講堂公演のトップバッターを務める合唱部がスタンバイするなか、ようやく麻智が姿をあらわした。


「ごめん、イカちゃん。クラスでちょっとしたアクシデントが起きて、片づけるの手間取った」

「……歯に、青のりついてますよ」


 陽子は冷めた視線を時間厳守と告げた口に向ける。確か麻智のクラスの出し物は、変わり種たこ焼き店だった。


「えっ、ウソ?!」珍しく慌てた様子でチェックする。「鋭いなぁ、さすがイカちゃん」

「そんなことより、早く準備してください。講堂公演を取り仕切るのは、生徒会長の役目ですよ」


 講堂公演がはじまって以来、そういう伝統だ。


「それなんだけどさ、とりあえずイカちゃんやってみてよ。構成は頭に入ってんでしょ」

「きゅ、急に何を言いだすんですか!」思いがけない要求に、陽子は混乱する。「これは会長のリハーサルでもあるんですよ!?」

「いいからいいから、はい」と、紙ペラを押しつけられる。それは公演用のアナウンス原稿だった。


 冗談ではなく、本気のようだ。ギョッとして青ざめた顔を上げたときには、麻智は軽い足取りで逃げていた。


「そういうわけなんで、よろしくー」


 そう言って、生徒会長は無責任にも職務放棄した。本当に講堂から出て行ってしまう。

 訳がわからずうろたえた陽子は、周囲を見回し助けを求めるが、仲間であるはずの生徒会役員は一人残らず目をそらしていた。時計の針が9時59分を指す。


「ああん、もう!!」


 憤りを声にしながら、舞台袖に飛び込みマイクをつかむ。

 片目を秒針に、もう片方の目は原稿に向けて、マイクを口元に運ぶ。緊張によって手が震えて、マイクが安定しない。

 午前10時ジャスト。もう、どうにでもなってしまえ!――やけっぱちになって、陽子は原稿を読み上げた。


「ただいまより――」マイクの電源が入っていなかった。慌ててスイッチを押し、再開する。「たン、ただいまより、学園祭こ公演を開始します。まずは合唱部による校歌をおッお送りします」


 時間調整に固執するあまり、早口なうえに何度も噛んでしまった。訝しげに入場する合唱部に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 進行役の変更は、どんな経緯だろうと公演する部には関係ない。これ以上迷惑はかけらないと、真面目な陽子は進行表とにらめっこした。


 合唱部の出番が終わると、次は書道部による書道パフォーマンスがはじまる。こちらはほうきのような巨大な筆を使うということもあって、実践はせずに段取りを確認するだけで終わった。


 その次が、午前の部最後となるダンス部のステージだ。本来なら治樹の手品ショーは、この時間帯に行われる予定だった。

 舞台で繰り広げられるダンスには目もくれず、陽子は時計とアナウンス原稿と進行表をぐるぐると見回す。


 ダンスが終了すると、一旦幕を下ろしてアナウンス。「ありがとうございました。午前の公演はこれにて終了です。午後の公演は1時からとなっております。観覧のお客様は、どうかお早めに着座してお待ちください」


 今度は噛まずに言えた。ほっと胸を撫でおろし、安堵の笑みをこぼす。が、陽子以上に満面の笑みの麻智を見つけて、その顔はいびつに強張った。


「会長、どこ行ってたんですか!」

「ごめんごめん、ちょっと大切な用事があってね。でも、うまくやってたじゃない」


 言い方に引っかかった。まるで見ていたかのような言葉遣いだ。


「本当に何がしたいんですか……」

「ごめんって、お昼おごるから勘弁してよ」


 いつになく食い下がる陽子に押されて、麻智は昼食でご機嫌取りをする。お腹はすいていたので、これは素直に受けることにした。

 サッカー部の塩焼きそばと、野球部の焼きトウモロコシにじゃがバターを合わせた昼食。デザートで二年のパンケーキ喫茶にも行こうという話になったのだが、残念ながらこちらは時間がなくて断念せざるえなかった。


 午後の部がはじまる20分前に講堂へ向かう。何も言わず麻智は、客席に行こうとしていた。


「会長、またサボる気ですか?!」

「うん」さすがに若干申し訳なさそうにしながらも、「イカちゃんに任せる」麻智はためらうことなく言った。


 結局午後も陽子が進行役を引き受ける。半ば覚悟していたので、今度はすんなりとアナウンスをこなせた。

 午後の部最初の演目は、演劇部による舞台劇だ。つづいて各学年の代表者による弁論大会、手品ショー、ラストを飾る吹奏楽部となっている。


 演劇部の舞台は、劇そのものは無事やり遂げたが、終了後に少々問題が起きた。舞台道具の撤去に手間取ることが判明したのだ。改善点を洗い出して、迅速な撤去を目指すと演劇部部長は約束してくれた。


 次の弁論大会の練習はない。参加者が使用するテーブルと椅子の位置確認だけ済ませた。


 そして、ついに手品ショーの番だ。

 緊張の面持ちで舞台に立った治樹と薫の両名は、これ以上ないくらい――ボロボロだった。リハーサルを終えた演劇部が客席にいて緊張しているようだ。


「おいおい、大丈夫か、手品くん」


 出番待ちで舞台袖に来ていた藍が、心配そうに様子を見ている。まるで我が子の発表会にハラハラしているお母さんのようだ。


「なぁに、大丈夫」いつの間に来ていたのか、麻智が適当なことを言う。「この二人は本番に強いタイプだから。たぶん」

「うわぁ、説得力ねぇ」


 麻智の根拠のない自信に、藍は呆れる。


「何しに来たんですか?」


 ムッと眉を上げて、不信感にまみれた陽子は冷たく突き放した。


「意地悪しないでよ、いいもの持ってきてあげたのに」

「いいもの?」


 ちょうど手品ショーが終わり、憔悴しきった治樹と薫が戻ってきたところだった。水槽の手品は今日も見送ったようだ。

 入れ替わりに吹奏楽部が舞台に上がる。


「おつかれさま、どうだった」


 聞くまでもなく大失敗であることはわかる。それでも、笑顔で麻智はたずねた。


「さんざんでした。ぼくがミスばっかりしちゃって、丹羽さんにも迷惑をかけてしまった」


 薫は泣きそうな顔で大きく首を振る。はじめて会った日のことを思うと、声こそ出さないが感情豊かになったような気がする。

 ニコニコと笑いながら、麻智は彼女の猫っ毛にふれた。


「そういうときもある。本番じゃなかったのを、ラッキーと思おう。で、もう失敗しないために、わたしが用意したのが、これ!」

「なんですか、それ……」

「イカちゃん見たことないの? バニーの耳だよ。手芸部に頼んで、特別に作ってもらった」


 ウサギの耳を模した髪飾りだ。二本の耳が薫の頭の上でひょこひょこ揺れる。


「うん、かわいいかわいい。バニーちゃん、似合ってるよ」

「確かにかわいいですけど、ちょっと浮きませんか?」

「いや、いいかも」と、意外なことに治樹が乗り気になる。「視線誘導の役に立つかもしれない。丹羽さん、つけて舞台に立ってくれるかい?」


 薫は身動きせず、前髪の奥から治樹を見つめていた。

 感情が読めず陽子は困惑するが、「そっか、ありがとう」と、どういうわけか治樹は喜ぶ。彼らにしかわからないやり取りがあったようで、話はまとまったらしい。

 陽子は首をかしげる。その隣で、麻智はわかったような顔をして満足そうにうなずいていた。


「ところで、本当に何がしたいんですか?」


 ウサギの耳を揺らして戻っていく薫の後ろ姿を目で追いながら、陽子は抑えた声でぼそりと言った。我慢したつもりだが、声にほんの少しトゲが混じってしまう。


「うん、そのことなんだけど、イカちゃんに頼みたいことがある」わずかにバツが悪そうな顔をした麻智は、小さな深呼吸を間にはさんで、つと舞台を見た。「明日も講堂の進行役をイカちゃんに任せたい。うまくやっていたし、きっと大丈夫だと思うんだ」


「ちょっと待ってください。講堂の進行役は、生徒会長が行う伝統なんですよね!」

「イカちゃん、伝統はぶっ壊すためにあるんだよ」


 冗談めかしていたが、その声色には隠しきれい真剣さが宿っていた。


「急にそんなこと言われても……」

「お願い、陽子ちゃん。どうしても、体育館で見届けたいことがあるんだ」


 イカちゃんでもよっちゃんでもなく、陽子と名前を呼んだ。それだけ本気だというあらわれだろう。

 陽子は迷った――迷いながらも、一つ思いついたことがあった。伝統はぶっ壊すものだというなら、生徒会長の引継ぎ伝統も壊していいのではないか。


 吹奏楽部の演奏をBGMに、陽子は思惑を練りながら小さくうなずいた。

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