第24話
「アグー、他のクラス見に行こうぜ」
「悪い、先約がある」
学園祭当日の予定を考慮して前夜祭も午前中にシフトを集中させた邦雄は、昼をはさんで午後から自由時間となっていた。友人の誘いをやんわりと断り、派手な飾りつけをした教室を出る。
賑わう廊下に踏み出して、ふと前にのろのろと歩く薫がいることに気づいた。
これからリハーサル――かなり緊張しているのだろう。右手と右足、左手と左足と、手足を同時に動かしている。
声をかけようかとも思ったが、やめておく。よけいなプレッシャーになるだけだろう。心のなかで、「がんばれ!」とエールを送り、無言で見送った。
邦雄は階段を上がり、二年の教室へ向かう。
中を覗くと、撮影会が行われていた。このクラスの出し物は、コスプレ衣装を貸し出してポラロイドカメラで撮影するコスプレ撮影会――なかなかに盛況だ。いまはアニメのコスプレした女子数名が撮影中で、巫女とナースが順番待ちしている。
教室を見回すと、隅にぽつんと正人が立っていた。クラスの出し物を手伝うわけでもなく、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「おーい、マサくん」
声をかけると、面倒そうに振り返った。邦雄の姿を確認して、ほんの少し表情がやわらぐ。
「なんだ、お前か」
「マサくん……クラスでも孤立してんだね」
「“でも”ってなんだ、でもって!」
見たままの状況を言ったまでだが、あまり突っ込むと傷つきそうなので自重する。時弥と違って引き際は心得ていた。
正人はこれみよがしに舌打ちを鳴らし、くいっと撮影会をアゴで指す。
「アグ――邦雄もやってくか?」
「入る衣装ないよ。それと、無理して名前で呼ばなくても、別にアグーでいいんだよ」
正人なりに気を使っているのか、時弥達と行動を共にするようになってから、邦雄をアグーと呼ばなくなっていた。
長年呼ばれつづけてきたあだ名を突然やめられると、くすぐったいような寂しいような複雑な気持ちになる。
そもそも邦雄がアグーと呼ばれるようになったのは、小学五年生のとき――ありがた迷惑な学級会で名づけられた。
当時から肥満だった邦雄は、友達から「デブ」や「ブタ」とからかわれ、いじられることが多かった。そこに目をつけたのが、クラスの女子グループだ。生意気な男子を糾弾するための材料に使われたのだ。
生来おおらかな邦雄は、なんと呼ばれようと気にしていなかった。そんな当人の気持ちは無視して、学級会で女子グループは声高に非難を繰り返す。
その結果、他ならいいのか?――という抗弁から、「だったら、アグーならどうだ」と一人の男子が思いつきを口にした。
沖縄県産の黒豚アグーからきている。当時の邦雄はリトルリーグで日焼けして、真っ黒だったことから連想したのだろう。
ブタもアグーも同じではないかと呆れたものだが、女子グループは困惑してその新しいあだ名を了承した。おそらくアグー豚を知らなかったのだと思う。
後々知ることになっても引っ込みがつかず、アグーを黙認するしかなかった。
「マサくんが、一番気に入ってたよね、アグーってあだ名」
「そうだったか?」
アグーは瞬く間に浸透して、リトルリーグのチームでも呼ばれるようになった。
中には悪意を持ってアグーとバカにする者もいたが、そんなときは正人が代わりに怒ってくれた。ただ単にケンカっ早いだけとも言えるが、邦雄はそれがうれしかった。
だから、時弥や武史と違いアグーというあだ名に悪感情はない。呼ばれないことに違和感をおぼえてしまうほどに、愛着があると言ってもいい。
「ねえ、タケくん誘って、トキくんとシンくんのクラスのパンケーキ食べに行こうよ」
「……そうだな」正人はちらりとクラス見回す。「ヒマだし、そうするか」
コスプレ撮影会は盛況で忙しそうだが、その点は見て見ぬふりをする。正人がヒマなのは事実なので。
武史に声をかけて、パンケーキ喫茶に入店した。注文を取りに来た時弥は笑顔で迎える。
「ちょうどよかった。俺の作った失敗作が三つあるんだ」
「いや、そんなもん食わせんなよ!」
「俺は、このコーヒーセットってやつ」
「ぼくはカフェオレセットの三段重ね、ホイップマシマシで」
時弥と正人のかけ合いも慣れたもので、もはや邦雄と武史は動じない。
注文を受けつけ、料理係の生徒に伝え――案外早く戻ってくる。たぶん、でき合いのパンケーキを使ったのだろう。
そのせいか、味は可もなく不可もなく。普通としか言いようのない味だった。
時弥と信太郎も休憩に入るということなので、五人揃って見て回ることにする。
適当に寄ったテニス部屋台の網焼きフランクフルトを食べながらブラブラ歩いていると、進行方向に長く伸びた行列があるのを発見した。行列の先を目で追うと、それは野球部の屋台だ。焼きトウモロコシの香ばしいにおいが漂ってくる。
正人も気づいたようで、わずかに目をそらし、眉間にしわを寄せていた。
「あ、あれ見ていかない」
気を使って、邦雄は別の場所を指差す。たまたま目に入った、園芸部監修の休憩所だ。並べられた長椅子の周囲に色とりどりの花が飾られていた。
「ちょっと休んでいくか」
知ってか知らずか信太郎が応じたことで、自然と休憩所に足が向く。
邦雄が安堵したのも束の間、腰を落ち着けたところで、あっさりと気遣いは無に帰すこととなる。
「そこで見かけたんだけど、野球部の屋台に寄っていこうぜ。姉ちゃんが言うには、焼きトウモロコシが絶品らしいぞ」
事情を知っているはずなのに、時弥はまったく考慮しない。
正人は一瞬険しい表情を浮かべたが、「フウ」と短く息をついて、呆れ混じりの苦笑をもらした。時弥の空気の読めなさに、すっかり慣れてしまったのだろう。
「アグー、それとお前らにも言っておくことがある」正人はためらいがちに、喉に絡まっていた決意を吐き出す。「学祭が終わったら、俺は野球部に戻ろうと思ってる」
「マサくん、本当に?!」
「ああ、俺には他にできることねえしな。……学祭で思いっきり恥をかいたら、ろくなプレイもできない情けない自分なんて、たぶん吹っ飛んじまう」
時弥達は顔を見合わせて、屈託なく笑った。
「それでいいんじゃないか。ホケツからやり直せばいいさ」
「ウンコ、ハナクソマン、それに信太郎。短い間だったが、いろいろと世話になったな」
あえて、その呼び方をしたのだろう。照れ隠しでもあり、感謝の気持ちのあらわれとして。
その想いは、しっかりと伝わった。
「最初はどうなることかと思ったけど、お前がいてよかったよ、ホケツ」と、時弥もあえて呼び名を合わせる。
「そういうのは、まだ早いんじゃないか、ウンコ」と、武史も合わせてくれた。
「こういうのは早いほうが逆にいいかもしれないよ、ハナクソマン」と、邦雄もうれしくなって加わる。
「アグー、てめぇも結構テキトーだな」と、正人は笑う。
つらい思い出の象徴であるあだ名だが、それがあったからこそ、こうして親しくなれたとも言える。それぞれの心に、妙な感慨が染み渡っていく。
「……なんか、疎外感があるんだけど」唯一あだ名のない仲間を除いて。
一同憮然とした表情の信太郎に目を向けて、思わずプッと吹き出す。なんだかおかしくて、笑いが止まらなかった。ここではあだ名がないほうが少数派――これまでになかった状況だ。
しばらく子供のように笑いじゃくり、ようやく落ち着いたところで、邦雄はふと脳裏をよぎった疑問を口にする。
「ヌードショーで恥を上書きした後は、ぼくらってなんて呼ばれるんだろうね。印象はそっちに移るってことでしょ」
「そりゃあ……なんだろう?」
そこまで考えていなかったらしく、時弥は言いよどむ。
「ヌーディスト1号2号3号4号ってところかな」信太郎がニヤリとして言った。「もしくは、大・中・小・かぶり」
悪意のある名称だ。笑われた、さっきの仕返しなのかもしれない。
「おい、かぶりってなんだ。かぶりって!」
「言っておくけど、ぼくは小さいんじゃなくて肉に埋もれてるだけだからね!」
「大きすぎるより、中くらい……普通がいいって話だぞ、うん」
「俺が大きいんじゃなくて、他が平均以下なだけだな」
どことなくうれしそうな武史に、かぶりが噛みつく。
「おい、少しばかしでかいからって、何を余裕こいてんだ。知ってんだぞ、お前がこっそりむいてんの!」
「あれは、その、あれだ。ちょっと調子が悪かったんだよ!!」
芽生えたはずの連帯感が、早くも崩壊しそうになっている。ギャアギャアと珍妙なことを口走り騒ぎ立てる一団を、通りかかった生徒が不思議そうに見ていた。
明日が本番だというのに、いったいどうなることやら。でも、このほうが自分達らしいと邦雄は思った。
バカな企画を打ち立てて、実行しようというバカの集まりだ。バカみたいに騒がしく、バカみたいに勢いだけで突っ走らなければ、きっとうまくいかないだろう。
どこかで足踏みしたとき、それは失敗の序曲に違いない。
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