第28話

 体育館の壇上で制服姿の少女達がキレのあるダンスを踊り出した。スカートがひるがえり、健康的な太ももがちらちらと目に入る。時おり覗く奥の黒は、丈の短いスパッツらしい。

 学園祭ということで扇情的になりすぎないようにガードはしっかりとしているとのことだが、男子にとって充分に蠱惑的だ。


 客席から下卑た歓声が上がる。先ほどまではまばらだった客入りが、現金なものでダンス部の公演がはじまった途端急激に増えた。そのほとんどが男子生徒だったのは、言うまでもないだろう。

 麻智の手配でこっそり舞台袖に侵入し、待機していた時弥達の目も釘づけとなっていた。一番近くから見れる特等席で、ダンスを堪能する。


 だが、その心情は無邪気に楽しめる観客とは違う。緊張で強張った顔に余裕はまったくなかった。


「もうちょっと違うタイミングで見たかったな」と、邦雄がしみじみ言った。


 このダンスが終わると、ついに出番がやってくる。プログラムに載っていないゲリラショーだ――いま舞台で踊っているダンス部のメンバーもさぞかし驚くことだろう。


「しかし、考えようによってはダンス部の割り込みは都合がよかったのかもな。客が入ってくれた、それも男子の」


 信太郎がぽつりともらした発言に、同意する空気が流れた。

 ヌードショーは裸を見せつけることが目的ではない、裸になったという事実を突きつけるのが目的だ。どちらにしても真っ裸をさらすわけだが、そこで嫌悪感を示しそうな女子よりも笑ってくれるだろう男子のほうがマシという考え方である。


「まだ、どう転ぶか、わかんねえけどな。なあ――」と、正人がぼけっと隣に立っていた時弥の背中を叩いた。

 よろめきながら、「えっ、うん」と曖昧な返事をこぼす。一同の視線が、どうにも覇気のない時弥の顔に集まった。


 しばらく、そのことに気づかないほど注意力が散漫になっている。心ここにあらずといった様子だ。


「おい、時弥、どうしたんだ。なんかおかしいぞ?」


 武史に覗き込まれて、ようやく現実に戻ってきた。目を丸くして、不審を宿した顔を見回す。


「何かあったのか?」

「いや、別に」


 信太郎は眉間にしわを刻んで首をかしげた。一番付き合いの古い友人は、何やら心を乱す出来事があったと察知したのだろう。


「おい、もうすぐ本番なんだぞ。お前がそんなんでどうする、しゃっきりしろ――」

「ちょっと、バカ共!!」


 信太郎の叱咤と、駆け込んできた麻智の上ずった声が重なる。

 珍しく麻智の表情に焦りが満たされていた。額にうっすらと汗をにじませ、肩で息をついている。


「緊急事態が発生した。講堂でアクシデントがあって、急遽吹奏楽部の公演は体育館で行われることになった!」


 突然の通告に理解が追いつかず、時弥達は呆けた顔を見合わせる。言っていることは理解できる、だが、それによって何が起きるか考えが及ばないのだ。

 苛立ちで顔を歪めた麻智が、八つ当たり気味に弟の肩をパンチする。正人に背を叩かれたとき以上に、大きくよろめいた。


「痛いな、何すんだよ!」

「バカ、なんにもわかってないな。つまり、講堂の客が体育館に押し寄せるってことだ。ここに大人とか教師とか集まって、あんたらのバカ企画をがっつり見るってことだぞ。そうなると、どうやっても言い訳が利かない」


 説明されたことで、置かれた状況を理解して青ざめる。

 ヌードショーによって引き起こされる咎めは覚悟していた。が、あくまである程度の範疇で抑える予定で、最悪の事態はさけられるように用意してきたつもりだ。それが、ここにきて構想が崩れ去る。言い逃れできない状況に、追い込まれたわけだ。


「なんで、そんなことになったんだよ。どうにかできなかったのか、姉ちゃん!」

「どうしようもできないトラブルがあったんだ、イカちゃんの判断は間違っていない。わたしだって、その場にいたら同じ判断を下したと思う」

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」


 時弥の筋違いの怒号に、麻智は言葉を詰まらせた。まっすぐ向けられていた視線が、ゆるりとそれていく。


「今回は諦めな」ぼそりと麻智が言った。「状況が悪すぎる、次の機会を待ったほうがいい。いま無理に決行する必要はないと思うんだ」

「なッ――」


 今度は時弥が言葉を詰まらせる番だ。いつもなら口にしたであろう反対意見が、喉に引っかかる。

 麻智の言い分におかしなところはない。何一つ間違ってはいないと、当事者もわかっている。わかっているのだが、納得するわけにはいかなかった。


「ちょっと待てよ。ここまできて中止なんてありえない!」


 真っ先に噛みついたのは正人だ。興奮のあまり大量のツバが飛び散る。


「そうだよね。今日のためにずっと練習してきたんだ、どんな状況だろうとやるしかない!」


 邦雄まで熱くなっている。引く気は微塵もないようだ。


「生徒会長、俺達の覚悟は決まっています。どんな結果になろうと後悔はしません」


 武史が固い意志を静かに告げた。その眼差しに迷いはない。

 本番当日の興奮状態が、冷静な判断を狂わせているのかもしれない。狂っていなければ、ヌードショーなんてバカげた企画を大真面目に実施しようとは思わないとも言える。


 なんにしても、諦めるという選択肢は誰も選ばなかった。決意表明に参加していない一名を除いて――

 信太郎はちらりと横目に見て、眉をひそめる。


「ああん、もう、どうなっても知らないからな。一応アイアイにはわたしから演奏終わったらすぐにはけるように言っておくけど、それまでじっくり考えて、どうすべきかもう一度話し合いなよ」

「わかりました」と、武史が即答した。わかっているとは思えない明朗な声色だった。


 麻智は苦笑して、これみよがしに「ハア」とため息をついてみせた。

 にわかに観客席がざわめきはじめる。講堂から客が移ってきたのだろう。


「他の子に迷惑がかからないようにいろいろと手を回したってのに、結局こうなっちゃったか。うまくいかないもんだ」

「姉ちゃん、どういうことだ。出願書で細工したから生徒会は無関係ってことになるんじゃなかったのか?」

「体育館を預かる管理責任ってやつがあるのよ。わたしは学園祭が終わったらすぐ引退だから、多少ケチついてもどうにかなると思ってたんだけど……」


 結果的に無駄になったが、麻智なりに後輩のことを思って、手を尽くしていたのだろう。

 その遠ざけようとしていた後輩が、舞台袖にやって来た。


「会長、ここにいたんですか!」陽子は声をかけてから、いっしょにいる男連中を不思議そうに見た。「えっと、彼らは……」

「気にしなくていいよ。それより、吹奏楽部は?」

「裏口のほうで待機してもらっています」


「わかった。ちょっくら行って話つけてくる。イカちゃんはダンス部が終わり次第、吹奏楽部のことアナウンスしといて。あと、こいつらが何をやらかそうと一切手を出さないように。知らなかった、気づかなかったで押し通せばいいから」

「ええっ?」


 意味がわからず混乱した陽子を置いて、麻智は駆けて行った。

 残された面々に疑問の眼差しが向けられるが、誰も答えられるはずがなく、白々しく距離を取って話題をさける。

 不審げな陽子から詰問の意思を感じたが、ちょうどダンス部の公演が終了し、それどころではなくなった。慌ててマイクを手に取り、アドリブで事情説明を告げる。


「先ほど講堂でトラブルが発生し、吹奏楽部の公演を体育館で行うことになりました。どうか、よろしくお願いします――」


 アナウンスが途切れると、吹奏楽部の部員が藍を先頭に楽器とパイプ椅子を手にして壇上に入ってきた。最初から決定されていたかのように、迷うことなくパートごとに分かれて並んで座る。


 どさくさに紛れて観客席を確認してみると、すでにぎっしりと人で溢れ返っていた。いまだかつて、これほどの人数が体育館に集まったことはなかっただろう。

 時弥はツバを飲んで尻込みする。ふと視界が揺れていることに気づき、おずおずと目線を下げると、震える両足が見えた。完全に怖気づいている。


 指揮者役の生徒が壇上に上がり、ついに演奏がはじまった。演奏時間は約20分――それまでに結論を出さなければならない。

 しばし沈黙が下りる。吹奏楽をBGMに、それぞれ物思いにふけていた。あっという間に最初の演奏が終わり、二曲目に入る。


「なあ、よくよく考えたんだけど」時弥が意を決して切り出す。「姉ちゃんの言うとおり、今回は断念しないか。あまりにも状況が悪い」

「アン?! てめぇ、何言ってんだ?」


 渋面を浮かべた正人が、濁った声を発した。武史も邦雄も露骨に目つきを尖らせて、ぎこちない半笑いの時弥を見る。


「お前らも見ただろ、あの客の数を。こんなところで脱いだら、ただじゃすまないぞ」

「言い出しっぺが、いまさら日和ったこと言ってんじゃねえぞ」

「どうしたのトキくん、らしくないよ」


 邦雄に詰め寄られて、時弥は目をそらす。生まれたときからそうであったかのように、半笑いは顔に張りついたままだった。


「今日じゃなくてもいいじゃないか。もっと安全に遂行できる機会を待ったほうがいいと思わないのか」

「学園祭を目標にずっとやってきた、ここで逃げたらきっと一生後悔する。いつでもいいわけないだろ、今日じゃないと駄目なんだ」


 一番乗り気でなかったはずの武史の熱い主張に、時弥はたじろいだ。その主張がはたして理にかなったものか、誰もわかりはしないが、ただ心情は同調していた。大げさな言い方をすれば、これは自分の殻を打ち破るための戦いなのだ。一度逃げてしまうと、取り返しがつかなくなる。


 動揺によって目を震わせ、喉を鳴らした時弥は言葉を失う。時弥自身も理解している、だが、どうしても足がすくんでしまう。


「もういい、時弥抜きでやろう」


 吐き捨てるように信太郎が言った。声色にふざけた様子はない。


「おいおい、三人でやれってのかよ」

「いや、四人だ。時弥の代わりは俺がやる」

「ちょっと、シンくんマジで言ってんの。練習もしてないのに、いきなり本番なんて無茶だよ」

「ずっと練習を見てきたんだ、動きは頭に入っている。なんとかやってみせるさ」

「本気なんだな?」


 武史が真剣な表情で問いかけた。


「ああ、本気だ」

「わかった、信太郎を入れて四人でやろう」


 時弥がうろたえて口をはさめないでいる間に、するりと話はまとまっていた。本来ならもっともめてもおかしくない状況なのに、突拍子もない解決策を受け入れている。時間がないなかで決断を迫られて、判断力が鈍ってしまったのだろうか。


 ――大きな拍手が響き渡り、歓声が上がった。舞台袖から吹奏楽部が深く頭を下げて礼をしている姿が見えた。演奏が終わったのだ。

 藍が目線で合図を送ると、部員達は手早く片づけを済ませて退出をはじめる。

 ついに、このときがきた。四人の顔が緊張によって微妙に歪む。


「鳥飼、これ頼めるかな」信太郎はスマホを渡す。「スピーカーにつないで、この曲を流してほしいんだ」

「えっ、ど、どういうこと?」

「会長も言ってたように、何も知らないほうがいい。とにかく、曲を流すのだけ協力してくれないか」


 陽子は不審がりながらもセッティングしてくれた。これで準備は整った。


「おい、本当に行く気か、お前ら……」

「時弥、お前に何があったのか知らないが、俺達を巻き込むな。これはお前がはじめたことだが、もうお前だけの計画じゃないんだ。嫌だってんなら、お前はそこで指をくわえて見ていろ」


 胸をえぐられたような衝撃が走った。元々彼らを巻き込んだのは時弥だ。自分勝手な思いを実現しようと、無理に引き入れた。

 それが、土壇場になって逆転している。悔しいような情けないような――言葉ではあらわすことの難しい感情が、揺らぐ気持ちの内側に小さく芽生えていた。


「よし、行くぞ!」


 正人が先頭を切って飛び出す。武史、邦雄、そして信太郎がつづく――その寸前に、信太郎がぽつりと言った。


「じゃあな、ウンコ」


 陽子が頼まれたとおり曲を再生した。スピーカーから軽妙な音楽が流れる。

 客席が一気にざわついた。突然登場した男子四人組に、驚きと困惑が向けられる。


「なんだよ、こんちくしょう――」


 曲に合わせて四人が踊り出す。客席のざわつきは一向におさまらない。意図が伝わらず、戸惑いが広がっていくの感じた。


「そうだよ、俺はウンコだ――」


 時弥は、ここにきてようやく出発点を思い出していた。なんのために、こんなことをはじようと思ったのか。

 ただウンコ扱いを払しょくしたい――その思いだけで周りを巻き込みながら突っ走ってきた。秋穂の謝罪で救われた気になっていたが、根本にあったのは不条理に対する反発心だ。そこは何も変わっちゃいない。幼い頃から積み重ねてきた怒りが、猛烈に吹きあがった。


「もらして、何が悪い。ウンコくらい、誰だってもらすだろうがッ!」


 気づいたときには、舞台に飛び出していた。そして、ぎこちなく踊る信太郎の背中に飛び蹴りを放つ。

 予想外の攻撃を受けて、信太郎はなすすべもなく無様に転がった。振り返った顔には、驚きと怒りが満ちている。


「そこで見てろ。あとは俺がやる!!」


 時弥の乱入でラッキーなことに盛り上がった。目に見えるアクシデントは人を興奮させるものだ。

 何人かが時弥を見て、「ウンコ!」と声をかける。


「うっせー、黙ってろ!」


 興奮状態の時弥は、叫びながらシャツを強引に脱ぎ捨てた。ボタンが弾けて、下に着込んでいたTシャツがあらわになる。白い無地のTシャツに、『Who am I?』と手書きの文字が入っていた。


 脱ぐタイミングはあきらかに早かった。踊りながら残り三人はギョッと目をむく。どうすべきか困惑するが、いまさら合わせることは不可能だ。


 結果、時弥だけが一段階早く脱いでいくことになる。


 三人がシャツを脱ぎ捨てるタイミングで、待てばいいのに時弥はTシャツを引きちぎった。

 体育館に笑いが巻き起こる。手製の『Who am I?』Tシャツを着た三人と、上半身裸の一人によるダンスだ。誰がはじめたのか手拍子まで加わり、思いがけず客席と一体感が生まれる。ここまでは――あくまで、ここまではゲリラショーを好意的に受け入れてもらえた。


 問題は、次の段階だ。三人がTシャツを引きちぎると同時に、時弥はズボンを素早く脱ぐ。練習のかいあって、スムーズに脱げた。

 笑いと悲鳴が混じり合って、渦となり体育館を満たす。


 観客はタータンチェック柄のボクサーブリーフ一丁となった時弥に、さまざまな感情を投げつけた。男子は愉悦を、女子は反感を、大人達は驚きと怒りを浮き立たせる。

 ちらりと客席に目を向けると、いきり立った教師を必死になだめる麻智の姿があった。


 時弥が早まったことで予定が狂ってしまっている。本来なら、他三人と同じようにまだ上半身裸の状態で、ギリギリ冗談で許してもらえるラインだった。このまま先走ったまま一足先に全裸になれば、計画はそこで終わる。最後の瞬間を遅らせることで、やり切ろうという計画なのだから。


 武史も邦雄も正人も、踊りながら横目で時弥の反応を探る。踏みとどまってくれれば、それでよし――だが、時弥に対する信頼感はスズメの涙ほどもない。


「おい、時弥!」


 邪魔にならないように隅に移動していた信太郎が、制止の思いを声にした。

 だが、時弥は止まらない。直前まで嫌がっていたくせに、いざはじまると迷いを一切見せない。

 三人がズボンを脱ぐタイミングで、時弥はパンツを脱いだ。全裸になったのだ。


「ギャアアッ!!」と、体育館の屋根が吹き飛びそうなほどに大きな悲鳴が上がった。怒号、もしくは紛糾と言ってもいい。


 もはやダンス曲は、ほとんど耳に届かない。それでも踊りつづけられるのは、練習の成果だろう。

 我慢の限界に達した教師達が、中断させようと乱入する。そのなかには、顔を真っ赤に染めて赤鬼のような形相をした緒方の姿もあった。教師としては当然の行動なのだが――信太郎が飛びかかり、身をていして阻止した。


 面白がった男子生徒の一部も、その場のノリで教師を止めてくれる。当人としては「なんで?」という思いもあるが、いまはありがたかった。


「これが狙いか、バカ!」踊りながら武史が叫ぶ。

「一人で全部背負おうなんて、させない!」太鼓腹を揺らし、邦雄が言った。

「なんでも思い通りになると思うなよ。絶対脱いでやる!」正人はすでに下着に手をかけていた。


 曲は聴こえないが、体に染み込んだ踊りに合わせて次々と最後の一枚を脱いでいく。素っ裸の四人組の完成だ。

 もはや、ちゃんと舞台を見ている人物が存在するのか怪しい状況であったが、そんなことは関係ない。ヌードショーは最初から最後まで自分達のためのショーだった。


 クライマックスは四人が集まりポーズを決める。拍手はない、ただ絶叫だけが響いている。それでも満足だった。


 一息ついた時弥は、呆れ顔で言った。「バカだな、お前ら……」


「時弥だけに、いいかっこさせるわけにはいかないからな」

「どっちかというと、かっこ悪いことなんだけどね」

「ざまぁみろ、バカ野郎。てめぇ一人でやってんじゃないんだ」

「本当にバカだな、お前ら!」


 時弥は笑った。フルチンのままで。

 次の瞬間、教師達が飛びかかってきた。

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