第27話
「ど、どど、どうしよう!?」
手品ショーで起きたアクシデントを目の当りにして、陽子は焦りパニック状態に陥っていた。拍手は起こっている、うまく成功を装うことはできていた。でも、残された状況は深刻だ。
舞台は、水と金魚と砕けたガラスで溢れている。幕を下ろし、最速で片づけたとしても、どれほど時間がかかることか。
サッと清掃して表面上取り繕うだけなら、さして時間はかからないかもしれない。しかし、散らばったガラス片でケガをするようなことは、安全面も任されている生徒会としてさけたかった。生徒を危険にさらすような適当な仕事はできない。
どうする、どうする、どうする、どうする――こんなとき、麻智ならどうする?
ここにはいない生徒会長の姿を、陽子は無意識に探してしまう。爆発しそうな心臓に翻弄されて、涙腺が熱くなっていくのを感じていた。
「落ち着け、陽子!」
肩を強くつかまれ、反動で涙が一粒こぼれた。
「に、兄さん……」
前年度生徒会長であった兄が、ひょっこり顔を出したのは午後の部がはじまってすぐのことだ。卒業生とはいえ、いまや部外者であるにも関わらず、講堂の舞台袖に平気な顔をしてやって来た。
家で見慣れたひょろりとした長身に、のんきそう顔――ただし、メガネだけは見慣れた普段使いと違って、よそ行きのオシャレメガネだった。
「麻智はどうしたんだ?」
講堂公演の進行が妹であることを不審がって、兄は様子を見に来たらしい。本来は生徒会長の役目なので、前任者として気になるのはしかたない。
「体育館のほうの進行やってる」
「なんで、そっちなんだ」
「そんなの知らないよ。どしてもって頼まれて、わたしだって困ってる」
本当に困る事態が起きるのは、もう少ししてから。このときは、まだ余裕があった。
しばらく兄弟並んでぼんやりと演劇部の舞台を見る。学校で兄といるのはなんとなく気恥ずかしさがあったので、早く戻ってくれと思っていたのだが、どういうわけかいつまでたっても立ち去ろうとしない。
いい加減言葉にして退散させようとかと考えたはじめた頃、ちょうど様子を見に藍が来た。いっしょにいる兄の存在に気づき、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる。
「おー、パイセン、ひさしぶり」
「うげっ、磯山」
「そんな嫌そうな顔すんなよ!」
藍は容赦なく兄を小突いた。一年の頃から麻智を通して知り合いだった分、扱いが気安い――というか、妙に雑だった。何か弱みでも握られているのか、先輩後輩の関係が逆転しているように思える。
兄は脇腹を押さえながら、恨めしそうに藍を見た。
「相変わらずだな、磯山は」
「わたしのことはどうでもいい。こんなとこで何してんのさ、麻智は体育館だぞ」
「それは聞いた」
「だったら、さっさとそっちに行きなよ」呆れた様子で藍は言った。「そんなふうにグダグダやってるから、いつまでたっても進展しないんだ。あんなんでも女なんだから、パイセンがリードしろよ」
「磯山には関係ないだろ……」
ここで藍に冷やかされたことで意固地になったのか、兄はそれ以降立ち去ろうとする気配を見せなかった。
うっとうしいことこのうえなかったが、いまとなってありがたい。この困難な状況を、乗り切る知恵を生徒会長経験者にすがる。
「兄さん、どうしたらいい?」
「そんなこと俺に聞くなよ。現役のお前らが対処しろ」
突き放すような物言いに、苛立ちをおぼえた。肝心なときに、まるで頼りにならない。
兄の言うとおり、自分達で対処すべき問題ということはわかっている。それでも、OBなら助言の一つもあってしかるべきではないだろうか。
不思議なもので苛立ちが感情に割り込んだことで、ほんの少し動揺が薄れてくれた。その点だけは兄に感謝する。
「鳥飼さん、ごめん!」と、焦り顔で治樹が舞台袖に入ってきた。
「大丈夫だった? ケガはない?」
「ぼく達は大丈夫。それよりも、舞台をムチャクチャにしちゃって、どうしたらいい?」
陽子と同じことを治樹も問うてくる。もちろん答えられるわけがない。
まごついている間に、薫がどこからか箒とちり取りを持ってきた。よほど慌てていたのか、まだバニーの耳をつけたままだ。
「と、とりあえず、すぐに片づけるから、少しの間場をつないでくれないかな」
「無理だよ」と、反射的に言ってしまい、陽子はしくじったと顔をしかめる。
二人の表情がみるみる曇っていく。自分達の失態を悔恨している様子が、痛いほど伝わってきた。
ひっそりと応援してきた陽子は、ここでショーの評価を落としてはいけないと心の底から思った。懸命にやり遂げた治樹と薫に、失敗の烙印が押されることはどんな手段を使ってもさけたい。
頭をしぼって、必死に対処策を考える。が、それが簡単に浮かぶようなら苦労はしない。
長すぎる待ち時間に、観客がざわつきはじめていた。もう猶予は残されていない。
陽子は意を決すると、マイクを手に取った。
「申し訳ありません。ただいま、生徒会の不手際により、講堂舞台の使用に問題が発生しました。つきまして吹奏楽部による公演は、緊急措置として体育館にて実施したいと思います。お手数でありますが、どうぞ体育館にお越しください」
言ってから、これで本当によかったのか不安になる。
「鳥飼さん、そんなの駄目だよ。ぼくの責任なのに、生徒会が泥をかぶるなんて間違ってる!」
「道具の管理は生徒会の役目だから、水槽がもろくなっていたのを見落としたのも生徒会の責任だよ」
「ぼくが悪いんだ、早く取り消して。吹奏楽部に迷惑をかけるわけにもいかない」
「別に構いやしないよ」
平然と言ってのけたのは、その吹奏楽部部長の藍だ。アナウンスを聞いて、状況確認に来たようだ。
「でも、急に場所を変えるなんて大変なんじゃないですか。楽器を持っていかなきゃいけないわけだし」
「そんなのいつものことだし、気にすることはない。どこだろうとやることは同じなんだ、いちいちうろたえてたら吹奏楽なんてやってらんないさ」
以前のように、その場だけの方便だろうか。とても問題がないとは思えない。だが、ウソだろうと受け入れてくれた心遣いはありがたかった。いくらか救われた気持ちになる。
「勝手に決めちゃって、本当にすみません」
陽子は改めて頭を下げる。その
「痛ッ!」と反射的に口にしたものの、それほど痛みはなかった。手加減してくれたのだろう。
「だから、いいって言ってんだろ。むしろ、よく機転利かせたって褒めようと思ってたのに、いつまでも残念がってるんじゃない。よっちゃんは何一つ間違っちゃいない、胸を張りな。それと――」
藍はニッと笑って、視線を治樹に移した。
「手品くんもよくやった。最初に会ったときは頼りなさそうにだったのに、男を見せたな。ちょっと感動したよ。あんたらがつないでくれたバトンは、絶対に無駄にしない。あとのことは任せろ!」
誰より男らしいセリフを言って、藍は合図を送る。すでに移動準備を進めていた部員達が、体育館に向けて動きはじめた。
「片づけはとりあえず置いといて、あんたらもおいでよ。パイセンもね」
困惑気味の治樹にうなずいて、いっしょに行こうと伝える。もはや清掃に緊急性はない。いつだって――明日に回したっていいのだ。
とにかく、つづきは体育館で行われることに決定した。自分でそう決めた。いまは、このことを体育館の麻智に報告するのが先決だろう。
スマホを取り出し、公演中のため切っていた電源を入れる。
「麻智が言ってたんだ。お前はやればできる子だって」兄が苦笑しながら、おどけた調子で言った。「あいつの人を見る目は、本物っぽいな」
そう言われて悪い気はしないが、ちょっぴり複雑な思いもあった。このモヤモヤした気持ちを、兄に八つ当たりして解消する。
「男を見る目もあればいいんだけど」
「お前なぁ……」
電話がつながる。陽子は早口でまくし立てた。
「もしもし、陽子です。実はトラブルがありまして――」
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