第3話

「骨、折れた?」

「たぶん折れてはいない。でも、当分無理はできそうにないな」


 包帯にくるまれた負傷した足を軽く揺らして、信太郎は笑顔で言った。物置部屋でぶつけた足の痛みが引かないので保健室で見てもらったところ、大事を取ってご覧のような処置をされたということだ。

 少なからず痛みはあるだろうに、ほがらかな表情はくずれない。骨を折ってギプスで固めた腕を、どこか誇らしげに披露していた小学校時代の友達を思い起こす顔つきだった。


「いやぁ、時弥の手伝いをしてやってもいいと思ってたんだが、この足じゃあできそうにない。残念残念」

「ウソつけ!」


 思わぬ負傷で、期待していた信太郎の参加は泡と消える。

 これからどうするべきか悶々としている間に、気づけば放課後となっていた。顔を上げて周囲を見渡すと、どういうわけかクラスメイトの大半が残っている。何人か抜けているのは、「ごめーん、部活行かなきゃいけないの」というふうに、部活を理由に退出した生徒がいたからだ。


 教壇に立っていたクラス委員の会田秋穂が、去っていく背中を不服そうに見送る。あらかた部活抜けを主張する生徒がいなくなったことを確認して、秋穂は黒板に向き直るとピンクのチョークを手にした。


『学園祭の出し物について』


 黒板に書かれた文字を見て、時弥は急激に興味を失う。

 放課後に学園祭のクラス出し物について話し合うと、ちらりと聞いた気がする。いまは自分のことで手いっぱい、他に気を配る余裕がなくて、すっかり忘れていた。


「えー、前回配った出し物アンケートの結果が出たので発表しまぁす。別にこれで決定というわけじゃないから、意見があったらドンドン言ってください」


 クラス委員ということで、学園祭委員も押しつけられた可哀想な秋穂が、ふてくされることもなく真面目に取り仕切っている。

 えらいと思ったが――それだけだ。いまの時弥は関心のない問題に、首を突っ込んでいる時間がなかった。


 バレないようにこっそりとスマホを取り出して、机の下で操作する。動画サイトを開いて、検索バーに『ヌードショー』と打ち込んだ。


 検索結果がずらずらと並ぶ。

 いくつか適当に再生してみたが、これはと思うものはなかった。適度にエロいものはあって、見応えという意味では充分だったが、参考にはなりそうにない。でも、一応見る。出し物の話題に関わる時間はないが、エロい動画は見る時間は別腹だ。


 満足したところで、別のサイトに移行する。裸体に規制がかかる一般動画ではらちが明かないと感じた時弥は、ここで禁断のR-18越えを決断した。

 参考にするなら、やはり本格的なショーであったほうがいい。という建前で。


 胸を高鳴らせながらタップして、動画サイトを開く。ヌードショーで検索すると、予想通り数えきれないほどの動画が引き上げられる。

 しかし、ここで思わぬ誤算があった。本格的なエロサイトでは、ヌードショーを撮影したものよりも、ヌードショーに検索ワードが引っかかっただけの単なるエロ動画がメインとなっていたのだ。


 時弥は渋面を作り、小さくうなる。思い描いたヌードショーは簡単に見つかりそうもない。でも、一応見る。


「――溝口くん。ねえ、聞いてる?」


 突然現実に引き戻す声が間近から発せられた。

 顔を上げると、いつの間にか秋穂が目の前にまで来ていた。


「うわっ、会田秋穂……」


 思わず口からこぼれたフルネームに、秋穂はどのような感情が混じり合ったのか判別つかない複雑な表情を浮かべた。


「どうした、時弥。ウンコもらしたか?」


 バカなクラスメイトが茶化して――すべっていた。静まり返った教室の空気に耐えられず、赤面した顔を伏せる。ざまぁみろ、と思った。


「クラスの出し物の話をしているんだから、ちゃんと聞いてよ。興味がなくても、せめてスマホを見るのだけはやめ……」


 彼女の視線がスマホの画面に落ちて、固まった。

 音声は消していたが、画面上で絡み合う男女の姿までは消せない。釘付けとなっていた目が、ハッと我に返った瞬間、ものすごい勢いで明後日の方向に飛んでいった。


「バ、バカじゃないの!」

「いや、これには深いワケがありまして……」

「早く消しなさい!!」

「ごめんなさい……」


 秋穂は荒い足音を鳴らし、肩を怒らせて教壇に戻っていく。後ろからでも耳が真っ赤になっているのがわかった。

 さすがに、これ以上波風立てるのはまずいと思った時弥は、素直にスマホの電源を落とす。こっそりブックマークに登録しておいたので、見返したくなっても安心だ。


「えー、とりあえず、クラスの出し物は第一候補の『パンケーキ喫茶』で進めたいと思います。ただ他のクラスとかぶっていたり、調理道具の使用許可が下りなかった場合、変更になるかもしれません。そのときは第三候補の『ネイルサロン』になると思います。第二候補の『バンジージャンプ体験会』は問答無用で却下されると思うので」


 黒板には、第四候補に『うどん・きしめん食べ比べ会』が挙がっていた。動画に夢中になっている間に、だいぶ議論が交わされていたようだ。どんな議論だったか、ちょっと見てみたかった。


 出し物が決定したことで、放課後の集会は終了。秋穂の冷たい視線をさけるため、早々に教室から脱出する。

 隣のクラスでも似たような集会が行われていたのか、ほぼ同じタイミングで生徒があふれ出てきて、廊下は一時混雑した。


「時弥、さっき何やってたんだ?」


 足を引きずった信太郎が、声をかけてくる。足の負傷はハッタリではないようだ。


「ヌードショーについて調べていた」

「お前は本当にバカだな……」


 信太郎は呆れ返りながら、そっと窓際に寄った。時弥もならって、隣に並ぶ。

 二人の前を帰宅する生徒の波が流れていく。そのなかに秋穂の姿がないか、戦々恐々であった。


「あんまり会田を困らせるなよ。小学校の頃からの知り合いなんだろ」

「だから、会田秋穂はおっかない。苦手なんだよ」


 説明不足で信太郎は首をかしげる――そのとき、ふいに通行人と肩がぶつかり、バランスをくずしてよろめいた。

 足の負傷で踏ん張れず、時弥がすかさず支えなくては倒れていかもしれない。


「あっ、ごめん。浦部、大丈夫か?」


 ぶつかった生徒が、申し訳なさそうに謝った。

 時弥はその顔に見覚えがあった。名前まではおぼえていないが、確か隣のクラスの男子生徒だ。


「平気平気、茂木、気にすんな」

「そっか、よかった。足、どうしたんだ?」

「ちょっとヘンタイの魔の手から逃げて痛めた。名誉の負傷だ」

「何それ――」


 時弥は親しげに言葉を交わす、二人の顔を交互に見る。

 そこに、思わぬ声が飛んできた。時弥がまったく予想だにしなかった罵倒の一種だ。


「何やってんだ、ハナクソ。早く行こうぜ」


 彼は信太郎に別れを告げて、何事もなかったように去っていく。ハナクソ呼びした同級生と、いさかいを起こすこともなく、平然と肩を並べて帰っていった。

 目を丸くして、あんぐりと口を開けて、呆然自失となった時弥を不思議そうに信太郎が覗き込む。


「おーい、どうしたんだ?」

「なに、いまの。なんでハナクソ?」


 信太郎は肩をすくめて、うすく笑う。どこか小バカにしたような態度が腹立たしい。


「時弥は自分のことには敏感なのに、他人のことには無頓着だな。あいつは茂木武史、高一のとき同じクラスだった。いつからそう呼ばれているかは知らないが、茂木のあだ名は――ハナクソマンだ」

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