第4話

 暦が変わり、10月を迎えた火曜日。

 足を引きずり教室に入ってきた信太郎は、時弥の顔を見るなり、「協力してもいい」と言った。

 突然のことに時弥は戸惑い、うろたえる。 


「昨日一晩考えて、別にお前のバカな企画に協力してもいいかなと思った」

「あんなに嫌がってたのに、急にどうしたんだ?」


「ほらっ、この足だろ」包帯は巻いていないが、足を軽く揺らす。「ショーに出ることはできないけど、裏方としてなら手伝ってもいいかもと思ったわけだ。ほらっ、この足だし」


 やけに足の負傷を強調する。何やらよからぬことを考えているのだろうか。

 時弥はその頭のなかを読み解こうと、平静を装ったうさんくさい顔をじっと見つめた。


「な、なんだよ……」

「信太郎、何を企んでるんだ?」


「何も企んじゃいないって!」なおも疑わしそうに目を向ける時弥に、こらえきれず信太郎は折れた。わりと、あっさり。「わかった、正直に話す。話すってば!」

「最初から、そうしろ」


 勝ち誇った時弥に釈然としない様子であったが、信太郎は反抗を舌打ちのみでとどめて、素直に協力にいたった考えを口にする。


「どうせ、時弥がしつこく誘ってくるのはわかっていたから、先手を打って表に出ない裏方ポジションを確保しようと思ったんだ。バカなショーに出ることに比べたら、裏方は恥をかかなくていい分マシだ。この足だし、マジに無理できないからさすがに納得してくれると読んでいた。この足だし」


 言いたいことはわかった。時弥は腕を組んだ姿勢で、ニヤニヤ笑いながら軽くうなずく。


「少し思い違いをしているな。実は、もう信太郎を誘う気はなかったんだ。でも、どうしても裏方をやりたいってんなら、手伝わせてやろうじゃないか」


 なぜか偉そうな時弥に心底イラッときたらしく、信太郎の顔が左右で引き裂かれたように歪む。が、どうにかこうにか苛立ちを腹の底に押さえ込んで、思いがけない心境の変化を問いただした。


「お前こそ、急にどうしたんだ?」


 時弥は周囲に目を配り、誰も聞いていないことを確認してから小声で説明する。


「俺も一晩考えたんだよ。そもそもヌードショーをやろうと思ったのは、ウンコ扱いを払しょくするためだ。そのメンバーに加えるなら、同じような苦しみを知るヤツのほうがいいんじゃないかってな」

「それって、もしかして――」

「ああ、ハナクソマンだ!」


 そうは言っても、友人の信太郎が嫌がるふざけた企画に、赤の他人のハナクソマンこと茂木武史が簡単に応じてくれるはずもない。元クラスメイトの信太郎の話では、武史はいたって普通のマジメな生徒だという。天地がひっくり返っても、ヌードショーに参加するような男ではないとのことだ。


「いいかい、信太郎くん。世の中に絶対なんてないのだよ」と、時弥が冗談めかして言う。

「そういう笑えないジョークを飛ばすヤツとは、絶対ウマが合わないと思う」


 とにかく現状では、協力してくれる可能性は低いだろう。そこで、こっそりと武史についてリサーチして、協力せざるえない弱みを握ろうと時弥は提案した。卑怯極まりない手段である。

 嫌々ながら信太郎も付き合うことになり、休み時間のたびに彼の過去を知る同じ小学校・中学校出身者に話を聞いて回った。


 そうしてついに、現在中三である武史の妹と交際しているという下級生の存在を突き止める。身内からの情報を引き出せるチャンスだと、昼食を超特急でたいらげて、一年教室に向かおうとしたとき――廊下でばったり武史と遭遇した。

 どことなく不穏な気配を漂わせた武史が、尖った視線を向けてきた。


「浦部、コソコソと俺のことを調べているらしいじゃないか」

「違う。調べてるのは、こっち!」


 信太郎は一切迷うことなく時弥を突き出した。よろめきながら前に出た時弥は、愛想笑いを浮かべる。


「やあ、どうもどうも。俺は――」

「知ってる。有名人だからな」

「それなら話が早い、ハナクソマン」

「……ウンコ」


 お互いうれしくないあだ名で呼び合い、ファーストコンタクトをはたす。時弥は精一杯の親しみを込めた顔つきを作っていたが、武史はあきらかに警戒していた。

 まだ弱みを見つけられないでいるが、リサーチしていたことがバレている以上、ここで後には引けない。出たとこ勝負だが、どうにかして前向きな返事を勝ち取らなければならなかった。


「ハナクソマンは、どうしてハナクソマンって呼ばれているんだ?」

「そんなの、どうだっていいだろ……」


 実は直接聞かなくとも、リサーチのおかげであだ名の由来は知っていた。あえて尋ねたのは、トラウマを刺激して気持ちを揺さぶるためだ。


「ハナクソマンから脱却したいと思わないか。俺は、ウンコから脱却したい!」


 武史は大きく目を見張り、無意識に鼻の下を隠すように手を添えていた。そこに、何もないというのに、


 ――武史がハナクソマンと呼ばれるようになった契機は、中学二年生の二学期はじめに集約する。大元は生まれた頃から身に宿っていたものだが、きっかけとなったのはそのとき発せられた何気ない一言に他ならないだろう。


 武史は生まれつき鼻の下にホクロがあった。幼い頃はそれほど目立つものではなかったが、成長するにつれてホクロも大きくなり、中学に上がる頃には顔を見るときまず焦点を合わせるのはホクロというぐらい印象に残るようになっていた。

 ただ、ホクロをネタにからかわれるようなことはなかった。周囲にいたのがやさしい人達ばかりだったのか、他人の容姿を容赦なくいじる年代をうまくくぐり抜けてこれたのか――真偽は不明であるが、平穏にすごせていたのは確かだ。


 それでも武史にとってホクロがコンプレックスであった。鏡を見るたびにホクロが目につき、思春期の繊細な心をささくれ立てた。

 そうして悩みぬいた末に、武史は一つの決断にいたる。ホクロの除去だ。


 両親と相談して了承をえた武史は、中二の夏休みに形成外科でホクロを取り除いた。

 もうつらい思いはしなくてもいいと、心身共にすっきりとした顔で、心新たに迎えた新学期に、その事件は起きる。


「茂木、ハナクソ喰ったのか?」


 ホクロが消えた顔を見て、クラスメイトが心無い一言を放った。言った本人は傷つける意図のない冗談のつもりだったと思う。事実教室は大爆笑に包まれた。

 だが、笑いごとでは済まない。この一言が契機となって、これまで押さえ込んでいたものが爆発したようにハナクソいじりが広がる。


『ハナクソ喰い』にはじまり、『ホクロマン』に移り、そして最終的にたどり着いたのが、誰が呼んだか『ハナクソマン』だ。

 高校に上がる頃にはハナクソいじりは落ち着いていたが、消えないトラウマとして、いまも胸の深いところに残っている。


「脱却って、どういう……」


 武史が食いついたことに、時弥は心のなかでガッツポーズを決めた。

 ここが勝負どころだと、身を乗り出して熱弁する。


「別の恥で印象を上書きするんだ。いっしょに、ヌードショーをやろう!」


 まるで世界が凍りついたかのように、静かで重い沈黙が下りる。

 困惑を顔に張りつけた武史は、ぐるぐると周囲を見回しはじめた。あまりに意味不明な提案に、ドッキリと勘違いしてカメラを探しているのかもしれない。


 どうやら、こいつは本気で言っている?――長い時間をかけて、その考えに行きつくと、武史は大きく息を吸い込み、はっきりと言った。


「やるわけないだろ、バカ!!」


 呆れを通り越して怒りに全身を震わせた武史は、きびすを返して去っていく。

 その不愉快をまとった後ろ姿に、信太郎はぽつりと言葉を送る。


「ですよねー」

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