第5話

 扉を少し開けて、中を覗き込む。

 長テーブルと収納ケースと資料ラックで構成された部屋には、女生徒が三人いた。部屋の奥で長テーブルをはさみ談笑している女二人と、手前でノートパソコンの入力作業に没頭している女というポジショニングである。


 入室のタイミングを計る治樹ハルキは、奥の二人の会話が止まる瞬間を狙っていた。遠慮が必要な要素はなかったのだが、人見知りで内向的な治樹にとって、無用の注目は心臓に悪い。できるならば存在を意識されながらも、意識されすぎないという絶妙な入室が理想だった。


 そう思っていたのに、「あっ、どうぞ。入って下さい」と手前の女生徒が気づき声をかけてきた。

 しかたなく治樹は、短い深呼吸を繰り返して心を落ち着けると、勇気を振り絞り生徒会室に足を踏み入れた。


 奥に鎮座した生徒会長と、その友人らしき女生徒の視線が痛い。幸運だったのは、手前の女生徒はクラスメイトで、顔見知りである分緊張がうすまってくれたことだ。


「あっ、手嶋くん」

「鳥飼さん、これ……」


 クラスメイトの鳥飼陽子に出願書を渡す。彼女が生徒会役員であることは知っていたが、こうして実際に働いている姿を見るのははじめてだった。


「ちょっと待ってね」と、陽子はそそくさと出願書を生徒会長に回した。

 生徒会長はメガネをかけて、テーブルに置いた書類に目を通す。と、興味を持ったのか、その友人も上から覗き込んできだ。影が落ちて見えにくいと、ちょっとした小競り合いが起きる。

 出願書を読んでいる時間よりも、キャイキャイとじゃれあうように言い争う時間のほうが長かった。


「えっと、話は聞いてるよ。手品くんだっけ」

「手嶋くんです」


 すかさず陽子が訂正する。


「いや、手品くんでしょ」

「手嶋くんですよ」


 治樹の名前について、 お互い一歩もゆずらない。


「なに、この不毛な問答……」呆れ返って友人が出願書に記入された名前を確認する。「手嶋が正解だね」


「違う、手嶋だけど手品!」

「麻智、意味わかんないんだけど。前からおかしなヤツだとは思ってたが、ついにイカれたか?」

「イカちゃんはよっちゃん!」


 意味不明なやり取りに、治樹は圧倒されて口をはさめない。

 生徒会長は少し得意げに、治樹の前で治樹について説明をはじめた。


「彼は高校生マジック大会で1位になった手品くん。国営放送のニュースでも取り上げられたことがあるんだって」

「8位です……」

「あっ、そうなんだ」


 しかも、参加人数12人中の8位だ。たいしたことはないと、誰よりも自覚している。


「麻智は本当にいい加減だな。よく生徒会長やってられるもんだ」

「うっさいなー、アイアイはちょっと黙ってろ。いま大事な話してる途中なんだ。――手品くん、君のことは聞いてる。先生に言われて学祭で公演するんでしょ。大変だと思うけど、がんばんなよ」


 やさしく語りかけてくれる生徒会長に、頬が熱くなる。これまで遠くから見ていた印象でしかなかったが、間近で接し、改めて凛々しく格好いい女性だと思った。

 それだけに、公演を頼まれた情けない経緯が心に引っかかり、まっすぐな激励を申し訳なく感じる。


 治樹が担任教師に懇願されて、断りきれず公演に応じることになったのは、生徒会長も言っていたニュースが原因であった。


 ――そもそも治樹が手品にはまったのは、小学校六年生のとき。偶然立ち寄ったデパートのオモチャ売り場で、手品道具の実演販売を見たことがきっかけだ。

 まるで魔法のように不思議で鮮やかな手品を披露するマジシャンに憧れた治樹は、なけなしの小遣いをはたき手品道具を購入した。小さなボールが増えたり消えたりする、初歩的な手品の道具だ。実演販売のマジシャンいわく、誰にでも簡単にできる手品ということであったが、実際は初歩的とはいえ、ある程度練習が必要だった。


 不器用な治樹が修得するのに要した時間は、約半年。初披露は、小学校卒業時の謝恩会となる。

 かなり緊張していたが、自分ではうまくやれたと思う。客受けも、そこそこよかった。


 謝恩会で一番受けていたのは、お調子者の同級生が演じた担任教師のモノマネ。二番目が音程のずれたヘタな歌を熱唱した男子。三番目は数人の女子が、この日のために焼いてきたクッキーを配ったとき。四番目くらいに、治樹の手品がくる。もっとも盛り上がった部分は、「手嶋が手品をする」というダジャレだったが。


 苦労に見合った成果とは言えないだろう。それでも、治樹はうれしかった。人前で芸を披露することは、内気な少年にとって特別な思い出となる。


 中学に進学した治樹は、手品の腕をもっと磨きたくて、カルチャーセンターのマジック講座に通うようになった。そこで師匠となる老マジシャンと出会い、彼の勧めで高校生マジック大会にも参加した。


 結果はさんざんだったが、テレビのニュースに取り上げられる。治樹が発表した大きな水槽を使った手品は、技術的に未熟で審査員のプロマジシャンのお眼鏡にかなうものではなかったが、素人目にはわかりやすい派手さがあって、大会の取材映像で一番長く使われたのだ。


 これを見た父兄の一部が、学園祭の舞台で水槽の手品を上演してくれないかと学校側に要請した。テレビ局の編集技術が優秀すぎて、素晴らしい手品だと勘違いしたまま――


「手品くんは吹奏楽部の前座をしてくれるんだから、感謝しろよ、アイアイ」


 からかうように言った生徒会長の言葉で、彼女が何者なのかようやく気づいた。

 磯山藍、吹奏楽部部長だ。けっして部活が盛んとはいえない高校で、吹奏楽部は唯一全国出場を果たして銅賞に輝いている。


 学園祭では生徒内輪向けのおちゃらけた公演は体育館で、訪問客向けの見栄えがいい部活動の発表公演は講堂で行うのが通例となっていた。講堂公演の目玉は、なんといっても全国銅賞の吹奏楽部による演奏であろう。


「こんなところでサボってないで、練習に行ったほうがいいんじゃない。三年はこれが引退公演になるんだろ」

「いいのいいの。大会終了で三年は実質引退してて、こんなもんお遊びだ。学祭でついで聴こうなんてミーハー連中は、どうせヘタ打とうが気づきゃあしないよ。手品くんも肩肘張らず、気楽にやんなよ」

「うわー、アイアイにだけはいい加減って言われたくないわ」


 吹奏楽部部長の放言に苦笑がもれる。もっと自分にも他人にも厳しい人だと、勝手に思い込んでいた。

 でも、おかげで少し気持ちが楽になったのは確かだ。


「ところで、出願書には手品くんの名前しかないけど、アシスタントは使わないの?」

「えっ?」思いがけない質問に、治樹は戸惑う。考えたこともなかった。「一人でも、なんとかなるので」


「えー、手品なんだからアシスタントはいるでしょ。バニーガールのアシスタント」

「バ、バニーガールですか?」


 生徒会長はずいぶんと古いタイプのマジシャン像を思い浮かべているようだ。


「そのほうが絶対盛り上がるって。いまからでも遅くないから誰か誘ってバニーガールになってもらおう!」

「手品くん、気にしないでいいぞ。こいつバカだから」


 呆れ返った吹奏楽部部長の声を、曖昧にうなずいて流す。


「バニーガール、いいと思うんだけどなぁ」


 なぜか生徒会長は、異様にバニーガールを推していた。

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