第2話
学園祭を二週間後に控えた9月末日の月曜日の朝、「信太郎、話がある。ちょっとツラ貸せ!」
時弥は教室に入るなり、のんびり自席でスマホを眺める友人の腕を取った。不意打ちの強襲に慌てふためく信太郎は、落としそうになったスマホをお手玉して――かろうじてキャッチ、ほっと安堵の息をもらす。
「なんだよ、朝っぱらから」
恨みがましい目を向けて、呆れ混じりの声を吐く。
「いいこと思いついたんだ。相談に乗ってくれ。とにかく、どこか人気のないところに行こう。そこで作戦会議だ」
「相談なのか作戦なのか、どっちだよ」
「どっちでもいっしょだ。いいから行くぞ!」
ぐいっと腕を引っ張るが、信太郎は机にかじりついて動こうとしない。
時弥はムッとして、さらに力をこめるが、あっさりと引き返されてつんのめった。やせ型で貧弱な時弥は、ゴリラどころかチンパジーほども腕力がない。バレー部バスケ部からスカウトがくる、体格のいい信太郎にかなうはずもなかった。
「頼む、付き合ってくれよ。トモダチじゃないか!」
普段絶対主張しない“トモダチ”発言まで足して訴えても、信太郎は頑として首を縦に振らない。
何を意固地になっているのだと、身勝手な都合で時弥はプンスカ怒りをあらわにする。
「ちょっとくらい、いいだろ!」
「一時間目、緒方の現代文だぞ」
時弥は教室に貼りつけられた時間割に目をやり、ため息と共にすごすごと自席についた。
学年主任と生活指導を兼任する緒方は、元号が昭和の頃から学校に居座る古株教師である。かつては道を外れた不良生徒を、何人もゲンコツで沈めてきた暴力教師であったらしい。いまでこそ昨今の風潮に迎合して体罰は封印しているが、過去の数々の逸話は連綿と語り継がれて、“怖い教師”の威厳をしっかりと保ちつづけていた。
とうに五十代を越えているはずなのに、恰幅のよい体つきは衰えを知らず、厳つい顔立ちには似合わない園芸部顧問という立場から、袋詰めの重い肥料や大量の苗を楽々と担ぐ姿がよく目撃されている。
現役柔道部員と腕相撲をして、瞬殺したのはつい先日のことだ。
「次の時間まで待つか……」
授業をサボったところで、ゲンコツが飛んでくることはないだろう。でも、ここで無理をして悪印象を持たれるのは、いろいろとまずい気がした。
おっかない教師緒方の授業は、当たり障りのない面白みのない授業だった。時計の長針がくるりと回っていくのを熱心に眺めて、滞りなく授業が終了すると、すぐさま信太郎の席に飛んでいく。
「いかないぞ」
「なんで?!」
「授業をサボるのは悪いことだからな」
「このケチ!!」と、よくわからない悪態をついたところで、信太郎はまったく取り合ってくれない。
結局その重い腰を上げたのは、昼休みになってからだ。弁当を手にした時弥は渋る信太郎を連れ、人気のない場所を探して校内を歩き回る。
ようやく見つけた誰もいない部屋は、教員用トイレ横の掃除用具を詰め込んだ物置であった。とてもじゃないが、昼食に相応しい場所とは言えない。
締めきっていた窓を開けて換気をし、都合よく溜めてあった新聞紙を敷いて、どうにかこうにか体裁を整える。
「こんなとこで食うのかよ。時弥はウンコ慣れしてるから平気かもしれんが――」
「それだ!」
弁当のふたを開けながら、時弥は食い気味に叫んだ。
「びっくりした。なんのことだ?」
「ウンコだ、ウンコ。お前らは気軽に俺をウンコ呼ばわりする。それをどうにかしたいって、ずっと思ってたんだ」
「あー、ごめん」時弥の剣幕に呑まれて、信太郎は素直に謝った。「本当にそう思ってるわけじゃないんだぞ。ネタだよ、ちょっとしたネタのつもりで言ってるだけなんだ」
おかずのちくわの磯辺焼きを噛みちぎり、時弥はむくれ顔を浮かべた。
「本気で言ってないことは、俺だってわかってる。こんなもん軽口だって、頭ではわかってんだ。でもさ、傷つくんだぞ、言われたほうは」
真正面から非難されて、信太郎は反省する。冗談だとわかっていても、言われて傷つく言葉があることくらい、子供じゃないんだから理解していた。それでも、意図せずポロッと口からこぼれてしまうことがある。悪意なく、意識もなく、刷り込まれた印象としてウンコを結びつけてしまうのだ。
信太郎はバツが悪そうに、登校時買っておいたパンをかじる。もう場所に対する文句は、口にできる状況じゃなかった。
「俺、考えたんだよ。高二にもなってウンコ呼ばわりは、ひどすぎるだろ。だから、他のもんで上書きすればいいんじゃないかって」
「他のもん?」
「裸だよ。学祭でヌードショーをする!」
言葉の意味は理解できても、意図するところが理解できない。信太郎は思わず、「ハア?」と疑問の声をもらし、口からパンの欠片をこぼした。
時弥のほうも意図が伝わらなかったことが釈然せず、疑問を表情に塗り込めている。
「いや、なんで? ヌードってどうして?」
「ウンコに勝るインパクトは、ヌードくらいしかないだろ。わかれよ、それくらい」
信太郎は頭が飛んでいきそうなくらい激しく首を左右に振った。
「全ッ然わからん。何が、どうつながったら、そこに行きつくってんだ。頭おかしいんじゃないのか!」
「そうかな。単純な話だろ」
「ああ、単純すぎて泣きそうになる。バカだバカだとは思っていたが、ここまでバカなバカとは思わなかったよ。いくらなんでもバカすぎるだろ、バカ」
「あれ、ウンコからバカに上書きされた?」
信太郎はギネスでも狙っているのかというくらい長いため息をついて、心底哀れな生き物を見るような目を時弥に向ける。
「されてないし。お前はバカウンコだ。バカウンコヌーディストだ」
バカ呼ばわりは完全に悪口であるのに、ウンコがうすれた気がして時弥はちょっぴりうれしかった。
無意識にニヤけ顔となり、信太郎はドン引きした。
「で、協力してくれるよな」
「するわけないだろ。なんで俺が、ヘンタイショーの片棒を担がなきゃいけないんだ!」
「えー、いっしょにヌードショーしようぜ」
「死んでもやらねぇ。一人でやってろ、バカ!!」
信太郎は余りのパンを口に詰め込むと、走って逃げ出した。途中スチールの用具入れに足をぶつけて、「ギャアッ!」と悲鳴を上げながらも、一切止まることなく部屋を出ていく。
残された時弥は仕方なく一人で弁当をたいらげ、新聞紙を片し、窓を閉めてから物置部屋を後にした。
軽く尿意をもよおしたので、こっそり教員用トイレを利用して教室に戻るも、信太郎はどこにも見当たらない。よっぽどヌードショーに抵抗があるのだろうか?
信太郎が教室にあらわれたのは、昼休みが終わり授業がはじまってから。
片足に包帯を巻いた痛々しい姿であったにもかかわらず、満面に笑みをたたえていた。
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