第15話

「えー、今年の野球部の出店、焼きトウモロコシないの?!」


 火曜日の放課後――生徒会室に訪れた野球部新主将は、出店で使うコンロの他にオーブントースターの追加申請を願い出た。

 野球部は七年前に監督が代わって以降、農家である監督の実家から送られてくるトウモロコシを使った、焼きトウモロコシの出店が伝統となっている。野球部秘伝の醤油ダレを塗った焼きトウモロコシは絶品で、運動部の出店のなかでも特に人気が高い。


「あれ、大好きだったのに」と、生徒会長の麻智は心底落胆している。


「だから、今年はトウモロコシが不作で数量を用意できないってだけで、別にやらないってわけではないんス。代わりに送ってもらうじゃがいもで、足りない分はじゃがバターで補おうって話になっただけで」

「それで、オーブントースターを使うんだね」陽子は申請用紙を手早く書き上げて、麻智に渡した。「許可、いいですよね」


 どこに引っかかる問題があったのか、難しい顔をした麻智は承認印に朱肉をつけはしたが、書面に押そうとはしない。

 理由のつかめない新主将は戸惑い、日焼けした黒い顔に汗を滴らせていた。


「……許可してもいいけど、その代わり、わたしの分は売り切れないようにキープしといてよ。前夜祭と本番で二本――いや、三本キープ。約束してくれるなら、ハンコ押したげる」

「わ、わかりました。キープしとくッス」


 一件落着とばかりに、麻智は笑顔で承認印を押した。職権乱用はなはだしい。

 でも、ちょっぴり気持ちはわかる。「わたしの分もキープしてほしい」と、喉元まで出かかった言葉を陽子は必死に飲み下す。

 新主将が生徒会室を後にすると、麻智は背を反らして「うーん」と伸びをし、その反動で勢いよく立ち上がった。


「わたし、今日はこれで上がる。あとのことは、イカちゃん頼むね」

「えっ、帰っちゃうんですか。何か用事でも?」

「ちょっとね。家庭の事情ってやつかな」


 麻智はカバンを手にすると、そそくさと帰っていった。

 少し様子がおかしい気もしたが、麻智の様子がおかしいのはいつものことだと考えなおす。裏で何かよからぬことをやっているのかもと頭のなかに警鐘が鳴り響くが、どうせ止められやしないのはわかっている。君子危うきに近寄らず――ここは知らないでいるのが一番平和であると判断した。

 それよりも、いまは仕事を片づけるほうが重要だ。


「美術部の進展状況見てきまぁす」


 校門前に飾られる大看板から、校内各所に彩りを添える絵やオブジェ類の制作設置は美術部が担当している。進展状況によっては、よそから人員を集める必要があったが、「順調すぎて怖いくらい」と美術部部長は余裕を見せた。


 普段部室に顔を見せない幽霊部員にも集合をかけて、総勢12名で作業に当たっているとのことだ。「いまの世の中、美術もうまさより早さ!」をスローガンに、〆切厳守を徹底させているらしい。

 美術がそれでいいのか?――という思いがなかったと言えばウソになるが、生徒会としてはありがたいので黙っておいた。


 とにかく経過は順調なようで、ひとまず安心だ。陽子は気持ちと連動した軽い足取りで、生徒会室に戻る。


 ――その途中、食堂前を通りかかったとき、ふと視界の隅に治樹の姿をとらえた。よく見ると、対面には背を丸めて座る薫の姿もあった。

 アシスタントの件がどうなったのか、気になっていた陽子は声をかけることにする。


「手嶋くん」


 治樹は振り返り、薫は顔を動かすことなく目線だけを向けた。


「あっ、鳥飼さん」


 二人の手元にはパックジュースと、それぞれ手書きのメモが置かれていた。どうやら手品ショーの演目の流れを説明していたところらしい。二枚の書き文字は違ったので、おそらく片方は薫が書き写したのだろう。


「アシスタント、やることにしたんだね」


 薫に聞いたつもりなのだが、答えたのは治樹だった。


「うん、さすがにバニーガールは無理だけど」

「それは気にしなくていいよ、会長が勝手に言ってるだけだから」


 苦笑を浮かべて薫を見る。相変わらず無口だ。動きも少ない。ただ昨日と違い、かすかに体を揺らしていた。

 内股をすり合わせるようにして、モゾモゾと動く。視線も安定していない。陽子はすぐにピンときた。


「手嶋くん、ちょっと話があるんだ。ひとまず休憩にしてよ」

「それは、別にいいけど……」

「そういうわけだから、丹羽さん、休んでててね」


 治樹の腕を引いて、少し離れる。すると、薫はいそいそと立ち上がり、彼女にしては早歩きで食堂を出ていった。


「あれっ、どこ行くんだろ」

「鈍いなぁ、お手洗いを我慢してるのわからなかった? 手嶋くんが気づいてあげないと駄目だよ」

「えー、難易度高すぎるよ、それ」


 男性に女性の便意を察しろというのは酷な話だとは思う。だが、内気すぎる少女を相方にするなら、難しくてもやってもらわないと困る。


「でも、うまくいってるみたいで安心した」

「うまくいってるのかなぁ。よくわかんないや」

「あの、手嶋くん――」


 陽子は口からこぼれそうになった言葉を、必死の思いで飲み込んだ。

 そろりと食堂入口に目をやる。薫はまだ戻ってきていない。


「どうしたの?」

「えっと、ううん、なんでもない……」


 バニーガールの推薦があったと麻智が話を持ってきたのが先週土曜日のことだ。クラスで孤立している彼女を心配した推薦人が、何かのきっかけになるのではと薦めたらしい。命じられるまま陽子が簡単な人物調査をしたところ、いろいろと問題を抱えた生徒だとわかった。

 薫は中学時代にひどいイジメを受けて、不登校となり、最終的には転校を余儀なくされた。幸いにも高校進学後はイジメられてはいないという話だが、人と接することに恐怖を抱くようになり、誰とも関わることなくつねに一人だった。


 このことは、治樹に告げないように麻智から口止めされている。必要なのは、“誰かといっしょに成し遂げたという思い出”であって、事情を知ったことによる同情ではないと。


「がんばってね」


 薫が緩慢な歩みで戻ってくるのを横目に見て、陽子はぽつりと言った。

「えっ、うん」と、治樹はよくわからないまま答えて、少し首をかしげた。


 二人と別れて、食堂を後にする。ちらりと見た向かい合って座る治樹と薫の姿に、思わず頬がゆるんだ。

 誰とも関わろうとしなかった薫も、変わりたいと思っていたのかもしれない。推薦人の期待通り、何かのきっかけになることを願うばかりだ。


 これまで生徒会の役割として、思い入れなく学園祭の雑務に関与してきたが、はじめて成功させなければと陽子は強く思った。

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