第14話
生徒会室に呼び出された治樹は、そこでアシスタントとなる少女を紹介された。
小柄なうえに、床に何か落ちているのかと疑いそうなほどに顔を伏せていたので、第一印象は猫っ毛の頭頂部しか残らなかった。
「彼女がバニーちゃん」
「一年生の
麻智の適当な発言を、すかさず陽子が訂正する。
「こころよく手品くんのアシスタントを引き受けてくれた」
「いや、何も答えないうちに無理やり引っ張ってきたんじゃないですか」
またも陽子が訂正する。聞き捨てならない説明であった。
「えっ、合意してくれたわけじゃないんですか?」
陽子は苦笑して、うなずく。見るからに目立つことが得意そうなタイプではないので、無理強いであったのは納得できる。
だが、足下に視線を落として微動だにしない姿は、極端な人見知りだったとしても異質に感じた。同じく人見知りする治樹でさえ、戸惑ってしまうほどに。
「バニーちゃん、やってくれるよね」
声色こそやさしかったが、麻智の問いかけには有無を言わさぬ圧力があった。本人の気持ちはともかく、そう感じさせるだけの身勝手さが詰まっている。
彼女はスカートをキュッとつかむという最小限の動作で、怯えを表現した。スカートに走った幾重ものしわが、まるでひび割れのように見える。
しばらく待ち、ようやく「あ、う……」と、吐息ともつかない小さな声がもれた。
「よし、こうしよう。イエスならそのまま、ノーなら首を振って」麻智は卑劣な手段に出る。「やってくれるよね」
もう一度、「う……」と声がこぼれた。しかし、首どころか体は動かない。
「決定だね。そういうことだから、手品くん、よろしく」
「それはあんまりでしょ!」さすがに治樹も反抗した。「彼女、嫌がってますよ」
キョトンと不思議そうな表情を浮かべた麻智は、固まった薫に視線を向けて軽く肩をすくめる。どういう心情なのか、まったく理解できない。
この理不尽な状況に口添えしてくれてもよさそうなものなのに、なぜか今回陽子は黙っている。やれやれと呆れ混じりの顔つきで、なりゆきを静かに見守っていた。
「でも、イエスだって」
「あんなの無効ですよ。彼女が大人しいのをいいことに、ズルして押しつけているだけじゃないですか」
何を熱くなっているのだろうと、自分で思う。薫に同情しているわけでも、アシスタントを拒んでいるわけでもない。
ただ、いい加減な気持ちで関わってほしくないというわずかばかりのプライドが、心をざわつかせたのだろう。
「どうして、彼女なんですか。積極的に人前に出るタイプじゃないでしょ」
「ヒマそうだったし。それに――」麻智がそっと耳打ちする。「背はちっちゃいけど、隠れ巨乳らしいよ。バニーガールにぴったり」
陽子にも聞こえていたはずなのに、訂正はなかった。事実らしい。
男心は単純なもので、ちょっとしたことで揺らぐ。ちっぽけなプライドより、おっぱいの優先順位は高かった。
麻智はニヤニヤと笑いながら、ポンと治樹の肩を叩く。
「あとは若い二人に任せるとしようかな。バニーちゃんのことは手品くんが判断してよ」
見合いの席のようなことを言われて、生徒会室を追い出された。
治樹はちらりと隣を見て、どうしたものかと頭を悩ませる。ちなみに、薫はすごい猫背でバストサイズを確認することはできなかった。
「えっと、どうしよう。丹羽さん、やりたくないなら本当に無理しなくていいんだよ」
返事はない屍のよう――とまではいかないが、声が返ってくる様子はない。
行き交う生徒に奇異の視線を向けられて、たまりかねた治樹は場所を変えることにした。
「とりあえず、どこか落ち着けるところに行こうか」
本来の治樹は誰かをリードするような性格ではないのだが、無口すぎる薫が相手では積極的に行動せざるえない。不慣れなエスコートで彼女を先導する、
ゆっくりとした薫のペースに合わせて、ゆっくりと足を進めていく。普段の倍以上の時間をかけて、食堂に入り、テーブル席に腰かけた。
放課後ということもあって、利用する生徒はいないと見込んでいたのだが、数人の女子生徒が隅の席で話し込んでいる。かすかに聞こえる声を統合すると、どうやら学園祭の打ち合わせらしい。ある意味、治樹達と同類だ。
「何か飲む?」
一瞬ピクンと頭が揺れた。が、やはり返事はなし。
しかたなく治樹は好みをたずねることなく自販機でパックジュースを買って、彼女の前に差し出した。独断と偏見で、女の子が好きそうなイチゴミルク味にした。自分用にはカフェオレを選ぶ。
「遠慮せず飲んでよ」
薫はわずかに顔を上げて、前髪の奥から治樹を見た。はじめて彼女と目が合った。が、すぐに伏せてしまう。
「カフェオレのほうがよかった?」
かすかに髪が揺れる。首を振ったと気づくのに、しばらく時間がかかった。ノーと意思表示してくれたのだ。
気をよくした治樹は勝手にパックジュースのストローを刺し、彼女の目線に合わせて、うつむいた顔の下辺りに持っていく。震える小さな手が、ためらいがちに包み込むようにして受け取った。
「あ、り……と、ます……」
お礼を言ったのだと思う。こわごわとストローを口に運び、チュッと小さな音を立てて飲む。
「ところで丹羽さんは、手品を見たことがある?」
かすかに髪が揺れる。ノーだ。
「講堂でやるときは、お客さんがよく見えないだろうから、こういうのはやらないんだけど――」
ポケットからトランプを取り出し、手際よくシャッフルする。時おり小技を交えながらカットして、テーブルの上で扇形に広げた。
前髪越しでも、目を丸くしているのがわかる。
「一枚選んでみて」
薫は言われるがまま指を添えて抜き取る。ハートの4だ。
残りのカードは裏返して、ハートの4を中ほどに挿入――再びシャッフルして、一つにまとめるとテーブルに置いた。
カード束をトンと指で叩く。つづけざまに、トントンともう二度。
「いま上から三枚目に上がってきた」治樹は一枚ずつカードをめくっていき、三枚目のところで、「ほらっ」
表を向いたハートの4があらわれた。薫が息を飲む様子が伝わってくる。案外いいお客さんだ。
調子に乗って、もう一度シャッフル――今度は五度カード束を叩き――五枚目でハートの4を引いた。
薫が驚いてくれるのがうれしくて、今度はボールを取り出す。はじめて買った手品道具で、あの日から毎日欠かさず練習してきた一番得意としている手品だ。
立てた右手の指の間を、ボールが右から左に、左から右に、スルスルと滑らかに移動して、小指と中指にはさむ形で止まった――と、同時に、ボールは分裂。手のなかでグルグルと、二つとボールが行き来する。
さらにボールは三つに増えて、一つに戻り、最終的に消えた。消えたボールはどこに行ったかというと――左手の中だ。
「すごい……」
これまでで一番はっきりとした声だった。口元にうっすらと笑みが宿っている。
「どう、面白かった?」
問いかけると、薫は顔を伏せて動かなくなった。
楽しんでくれていると思ったのだが、違ったのだろうか?――そこで、はたと気づく。
『イエスならそのまま、ノーなら首を振って』
あのふざけたやり取りが、まだつづいているのだろうか。治樹はおそるおそるたずねる。
「アシスタント、やってくれるかい」
薫は微動だにしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます