第13話

 学園祭まで一週間を切って、学校はにわかに浮ついた空気を帯びはじめていた。

 美術部が校門に設置する大看板の制作をはじめ、公演発表を控えた文化部は活動に熱を入れる。各クラスの出し物も決定し、それぞれ準備を本格的に開始した。


 そんな騒々しい放課後のなかにあって、まるで学校中の不機嫌を集合させたような、渋い顔つきの時弥が校舎裏に向かっていた。

 その後ろにつづく信太郎は、怒りがにじみ出た背中を呆れ顔で見ている。


「そんなに怒るなよ。しょうがないだろ」

「しょうがなくない! せっかく姉ちゃんが折れたっていうのに、全員やる気がなさすぎる!!」


 時弥は日曜日に集まって練習しようと呼びかけたのだが、誰も乗ってこなかったのだ。全員がウダウダと理由をつけて、断ってきた。

 日をまたぎ、月曜日になっても怒りはおさまらず、いつもなら流したであろうクラスメイトの「ウンコもらしたのか?」という軽口に噛みつき、一悶着を起こしたほどだ。


 ――とはいえ、いつまでも怒っているわけにもいかないとわかっている。道中にある自販機で好物のバナナジュースを買って飲み、リフレッシュを試みた。

 気持ちも新たに歩き出した時弥は、無理に笑顔を作って校舎裏に踏み入れた。が、せっかく作った笑顔はあっさりと崩れることになる。


「どうして、お前が……」


 なぜか、そこには武史と邦夫の他に、正人もいたのだ。

 怪訝そうな眼差しを受けて、正人は尊大な態度でフンと鼻を鳴らした。


「なんだ、俺がいちゃあ悪いのか?」

「悪い」

「てめぇは本当に口が減らねえな。俺も参加してやろうと思って、来てやったってのに」


 言葉の意味が理解できず、時弥はぐるりと顔を巡らせて信太郎を見た。


「いや、俺に聞かれても……」

「いっしょにやってやると言ってんだよ、そのヌードショーってやつを!」


 時弥は首をかしげて、疑問をそのまま口にした。


「なんで?」


 細く切りそろえた眉が吊り上がり、形相に険しさが混じる。目を凝らさなければわかりにくいが、日に焼けた黒い肌にほんのり赤みが差していた。表情とは裏腹に、正人は照れている――そう気づけたのは、古い友人の邦雄だけであろう。

 気づくはずもない時弥は、おじけづいて思わず後ずさる。


「てめぇが言った、自分の人生を自分で決めるための戦いってやつに、思うところがあったんだ。誰かじゃねえ、自分が決めなきゃいけないってのは、俺も同じ気持ちだ。その足がかりになるなら、これも悪かねえかなって……ちょっと思った」

「別に無理しなくていいんだぞ?」


 これまでの勧誘とは打って変わって、やけに消極的だ。 


「おい! 俺がやってもいいと言ってやってるのに、なんだその態度は!」

「いや、三人で充分だと思ってたから。やるって言うなら、まあ、拒みはしないけどさ」


 噛み合っているんだか、いないんだか――言い争いのような交渉をする二人から離れて、信太郎は笑顔で見ている邦雄のたるんだ脇腹をつついた。

 くすぐったそうに脂肪ごと体を震わせた邦雄が、のっそりと顔を向ける。


「あれ、本気?」

「そうみたい、マサくんも内心自分を変えたいと思っていたのかもしれないな。それに、トキくんと仲良くなりと思ったのかもね。あんなふうにマサくん相手に遠慮なく話せる人、ほとんどいなかったから」


「あいつ、バカだからな」

「その点も気が合うのかも。マサくん野球ばっかりやって勉強してないから、結構バカなんだ」


 武史がうんざりした様子でため息をもらした。


「バカが増えるのか、また面倒なことになりそうだ。――しかし、山里がヌードだと裸の王様になるな」


 邦雄がプッと吹き出した。なんとかこらえようと我慢していたが、ついに決壊して贅肉を震わせて大笑いする。


「いいんじゃないかな。裸の王様でも正直に笑ってもらえるなら、悪いことじゃない」


 こうして新たに正人を加えてスタートすることになったのだが、肝心のダンスは相変わらずボロボロだった、

 あまりのひどさに正人はあ然とする。


「だから、日曜日も練習しようって言ったんだ!」

「そういう問題か? お前らがやってるのは、ボールの握りも知らないまま見よう見まねでキャッチボールをやってるようなもんじゃねえのか?」


 正人が運動部らしい意見を出した。確かにダンスの基礎を知らぬまま真似ているので、体の動かし方が不自然になっている部分はあった。

 だが、いまから基礎を学んでいたのでは、学園祭に間に合わなくなる。


「別に基礎をやれって言ってるわけじゃねえよ。基礎を知識として知っておけば、なんとなく体の使い方はわかるだろ」


 時弥達は顔を見合わせて、微妙な表情を浮かべた。


「スポーツエリートは言うことが違うな。俺には無理だぞ、そんなの……」

「ぼくも……」


 運動神経に自信のない時弥と、運動に向いてない体型の邦雄は、難題を前に早くも打ちひしがれている。

 前途多難な状況に、できないことが理解できない正人は苛立たしげに舌打ちを鳴らした。参加に踏み切ったのは、失敗だったのではとすでに後悔しそうになっている。


「なあ、一度ダンス部の見学行ってみないか」ふと思い立ったように信太郎が提案する。「一朝一夕でダンスがうまくなることはないだろうけど、見せ方の工夫次第で少しはマシになると思うんだ。そういうところなら盗めるかもしれない」

「それはいいな」と、時弥は即座に乗った。


 さっそくダンス部が練習中の体育館に向かったのだが、正面から見学というのは少々抵抗があった。ダンス部は女子部員のみで構成されて、ヒップホップ系のチームダンスをメインとしている。その性質上、高校生が踊るにしてはなかなか際どい振りつけも多かった。

 バカな男子五名が、鼻の下を伸ばして見学するのはつらいものがある。


「裏から覗くか」


 時弥の言葉に、反対する者はいなかった。全員が無言で、ただニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。

 シートに包まれた謎の物体を横目に、体育館を囲うように植えられた生け垣沿いに裏側へ回る。体育館には明かり窓の他に、換気用の斜めにスリットの入った隙間が等間隔で並んでいた。体を屈めた不自然な姿勢になるが、そこから中が覗ける。


 メインフロアでは、バレー部とバドミントン部が練習中。奥にある壇となった舞台に、ダンス部はいた。

 軽妙な音楽に合わせて、息の合ったチームダンスを踊っている。時おり扇情的な振りつけも入り、見世物としてなかなかのものだ。思わず見入ってしまう――鼻の下を伸ばしながら。

 通し稽古が終わると、それぞれ課題点の修正を行う。素人目には、何が駄目だったのかまるでわからない。


「どうだ、信太郎。何かつかめそうか?」

「レベルが違いすぎて、まったく参考にならない……」

「おっ、もう一度頭から踊るっぽいぞ」


 隙間にかじりついていた武史が言った。慌てて時弥も覗き込むと、肩がぶつかり信太郎がよろける。


「おい、邪魔だぞ、時弥」と、信太郎が尖った声を発した。

「お前こそ邪魔だ。武史も、もうちょっと横にずれろよ」と、時弥は体を寄せてグイグイ押していく。

「やめろ、ここは俺の場所だ」と、ムッとした武史は頑として動かない。

「アグー、そのでかい体をどけろ」と、正人は腕力に物を言わせた暴君と化す。

「やだよ。ぼくも見たい」と、負けじと邦雄は無理やり体をねじ込もうとした。


 ベストポジションを巡って、熾烈で下らない争いが勃発する。まるで世紀の一大事であるかのように、誰一人としてゆずらず、険悪な空気が流れた。

 この争いを停戦させたのは――思いがけない人物であった。


「おい、そんなところで何をやってるんだ?!」


 ギクリとして振り返った先には、軍手をして大ぶりな剪定バサミを持った生徒指導教師の緒方がいた。おそらくは園芸部の一環として、生け垣の手入れをしていたのであろう。

 屈んだ姿勢であったことが幸いし、正確に個人特定はできていないようだ。ただ何かよからぬことをしていると感じ取ったらしく、みるみる表情は険しくなり、手にしたハサミを乱暴に閉じた。


「やばい、逃げろッ!」


 別に更衣室を覗いていたわけではない、見てはいけないものは何もなかったはずだ。たとえバレたとしても、白い目で見られることはあっても、叱責されることはなかっただろう。でも、一目散に逃げた。


 覗き行為につきまとうインモラルな雰囲気に酔って、判断が狂ったのだと思う。

 真っ先に飛び出した正人を先頭に、体育館の正面側まで戻ってきた。足も抜群に早い正人であったが、前方不注意――危うくシートに包まれた謎の物体にぶつかりそうになった。


「邪魔だ!」と、腹立ちまぎれに蹴りを入れて、そのまま駆け抜けていく。

 時弥達は必死に追いかけるが、瞬く間にその姿は見えなくなった。

 結局今日も進展と呼べるものは何もなく、無為に時間だけがすぎていくのだった。

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