第16話

 時弥達が校舎裏に行くと、今日は先客がいた。


 どういうわけか合唱部が集まって、発声練習をしている。声を揃えて徐々に音階を高めて、見事なハーモニーを奏でていた。

 呆然とたたずむ時弥達に、合唱部は発声練習をつづけながら睨みを利かす。邪魔立てするなと目が訴えていた。


「おい、どうする?」


 信太郎が困惑混じりの声で問う。外来種の侵略に、なすすべもない固有種の気分だ。


「とっとと追い出そうぜ。ここは俺らの練習場だ」

「マサくん、それはちょっと……」


 暴力に訴えかけそうな正人を、強張った顔で邦雄が止めた。正人はつかまれた腕を乱暴に振り払い、これみよがしな舌打ちを鳴らす。

 攻撃的な正人の態度に、合唱部が怯んでいるのがわかる。それでも、発声練習は止まらない。


「今日はやめとくか。他に練習できる場所ないしな」


 武史はちょっぴりうれしそうだった。一人晴れやかな顔をしている。


「休んでる時間はない。学祭は日曜だぞ!」


 そう時弥は主張するが、武史の言うとおり他に練習できそうな場所はなかった。

 週末に学園祭を控えて、学校のいたるところで生徒は準備に勤しんでいた。ヌードショーという無茶な出し物をやる以上、人目につく場所での練習はさけたい。そうなると、学外も選択肢に上がるのだが、練習に適した場所は何一つ思い浮かばなかった。

 どうしたものかと頭を悩ませているときに、思いがけない救世主があらわれる。


「合唱部、こんなとこで練習してたんだ」


 ひょっこり校舎裏に顔を出したのは、生徒会長の麻智だ。


「ね、姉ちゃん?!」

「そういや今日は音楽室も講堂も埋まってたか。練習場所がなかったんだな」

「何しにきたんだよ」

「そりゃ……バカな弟の様子を見に」麻智は弟を起点に顔を巡らさせて、軽く肩をすくめた。「ここじゃあなんだから、場所移すか」


 時弥達を引き連れて麻智が向かったのは、学校内だった。校舎に入り、階段を上って――次の階に到着すると、また階段を上る。そうして到着したのは校舎屋上を隔てる扉の前だ。これといって落下防止措置の施されていない屋上は、立ち入りを禁止されている。


 扉はつねに施錠されており、生徒が侵入することはできないようになっていた。が、麻智はスカートのポケットをまさぐると、指先でカギをつまんで取り出した。

 カギを差し込み開錠――あっさりと屋上に入ることができた。


「いいでしょ、生徒会特権」麻智は屋上を見て苦笑する。「まあ、ばっちいから普段は来ないけど」


 埃と汚れが蓄積したコンクリの床と、大きな貯水タンクがあるだけの殺風景な景色が広がっていた。思い描くよくある屋上の絵とは、まるで違う。

 端が心持ち段になっているだけで危ないし、照りつける陽射しを遮るものがないので異様に暑い。


「ここなら気兼ねなく練習できるでしょ。ほらっ、やってみな。わたしが評価したげる」


 えらそうに取り仕切る姉に弟は不満たらたらだが、逆らえるはずもなく、しかたなくやってみることにした。

 裏方の信太郎が三分間に編集した曲をスマホで流し、音楽に合わせて踊る。

 通しで最後まで見た麻智の感想は、「ひでぇ」の一言だった。


「このダンス、どうやって考えたの?」

「ネットのダンス動画を参考に、できそうなやつを切り貼りして」と、おもに振りつけを考えた信太郎が説明する。


「まあ、ヘタクソだけどダンス自体はこんもんでいいのか。コンセプトは踊り以外のところだし」


 腕組した麻智が真剣な表情で分析していく。 


「うまく見せる必要はないけど、盛り上がる見せ方をしなきゃいけない。問題は脱ぐタイミングかな。最初の一枚をなるべく早い段階で脱ぐことによって、盛り上がりと期待感と同時に、ショーの方向性みたいものを見せられると思う。後はダレないようにタイミングを計って脱ぐ。ただし、最後の一枚は焦らしに焦らしたほうがいいかもね」

「な、なるほど……」


 これまでになかった着眼点に、信太郎は納得してさっそくメモを取りはじめた。ほんの少しだが、光明が射した気がする。

 一同感心して麻智を仰ぐなか、時弥だけは面白くなさそうにむくれた。


「何考えてんだ、姉ちゃん。急に来て、急にアドバイスして、何を企んでいるんだ?」


 麻智は小バカにするように鼻で笑う。


「弟がバカなのはしょうがないけど、弟がバカなうえにしょうもなかったら、姉としては嫌なんだ。バカだけど面白いヤツだねって言われるくらいにはやってもらわないと」


 どういう理屈かいまいちわからないが、とにかく助言はありがたいことだ。それは時弥も理解しているので、不満はあるが口をつぐむしかない。

 弟の心の動きを的確に察知して、姉は勝ち誇った笑みを浮かべる。


「それにしても、ここ暑いね」


 シャツの胸元をパタパタと振って、風を送り込みながら麻智は言った。

 弟はともかく、他の男子には目の毒だ。特に武史は鼻の下を伸ばして、口元がだらしなくゆるめている。


「トキ、何か冷たい物買ってきてよ」

 時弥は同じことを、そくりそのまま隣に流す。「正人、そういうわけなんで冷たい物買ってきてくれ」


「ハア?! 舐めてんのか、てめぇ。なんで俺が行かなきゃいけない!」

「そりゃ、一番最後に入った一番の下っ端だから」

「じゃあ、お願いね、下っ端くん」


 弟も弟なら、姉も姉だ。正人はグッと声を詰まらせたあと、諦めからくる長いため息をもらした。


「俺をパシリに使うとは、腹立つ姉弟だな」と、口にはしたが、それほど怒っている様子はない。「で、何を買ってくればいいんだ?」

「君のセンスに任せる」

「嫌な注文のしかたするなぁ……」

「おごったげる。感謝なさい」と、麻智は財布から千円札を取り出して渡した。すごいドヤ顔で。


 買い出しにいく正人を、いい笑顔で邦雄は見送る。普段パシらされてる側なので、よほどうれしいようだ。

 はからずも休憩時間となり、各々思い思いに体を休める――と言っても、まだ一度踊っただけなので余裕がある。時弥と邦雄は屋上の端から下を覗き込み、だらだらと話していた。信太郎は麻智の意見を聞きながら、ショーの構成を練りなおす。口こそはさまないが武史も、その輪に加わっていた。


「あっ、そうだった!」


 何やら思い出したのか、おかしなタイミングで麻智が声を上げる。

 信太郎は驚いて、ビクッと体を震わせた。構成の修正点をメモしていたシャーペンが、横にずれて不格好な線を描く。


「生徒会長として聞きたいことがあったんだ。あんたら、いつ飛び入りするつもりなんだ? 他に迷惑がかかるような時間帯だと、許可するわけにはいかないよ」

「大丈夫、その点はちゃんと考えてある」


 時弥の「考えてある」は信用できない。仲間の怪訝そうな視線が群がった。


「いや、ホントにちゃんと考えてるって。姉ちゃんの部屋で体育館と講堂の進行表見たんだけど――」

「勝手に部屋に入るなって言ってるだろ。トキ、あとで説教な」


「うッ……」心が折れそうになったが、時弥は気を取りなおして考えを話す。「とにかく進行表によると、講堂最後の出し物が注目されてる吹奏楽部だった。父兄とか教師連中はそっちに回るだろうから、そのタイミングで出ようと思ってる。体育館のほうが演目少なくて早く終わるから、ちょうどいいと思うんだ。誰にも迷惑はかからない。その代わり、早々に体育館の客が帰ってしまったら、誰も見てくれない可能性もあるけど」


 時弥にしては、ちゃんと考えているほうだ。安堵の息が聞こえてくる。

 麻智はスマホを取り出し、記入しておいた進行表を確認した。


「トキが見たのは、古い進行表だな。最新の予定では、講堂最後の吹奏楽部は3時開始で終了は20分後、そこから締めの挨拶を入れて3時半に終わる。体育館はダンス部がねじ込んできたから全部終わるのは3時終了だったのが3時10分にずれ込んだ。その後に乱入するなら、結構いいかもね。うまい具合に吹奏楽部とかぶってる」


 うれしい誤算に時弥は喜ぶ。ヌードショーを見てもらうことが目的だが、父兄や教師はターゲットではない。騒ぎが大きくなる分、むしろ邪魔なのだ。

 問題になるのは覚悟のうえ。でも、できるならば小さな問題で済ませたいと思うのは、人として当然だろう。


「そうそう、それと、もう一回出願書を書いてきてくんない」

「なんでさ?」

「問題が起こった後、生徒会は無関係だという証拠にする。却下したって事実がほしいから、前みたいな適当なやつじゃなくて、ありえそうなんだけどありえない絶妙な感じがいいな」

「難しい注文だなぁ」


 時弥は困り顔で頭をかく。前の出願書もそれなりに考えて書いたものだった。


「それ、俺がやってもいいかな……」


 申し出たのは意外なことに武史だ。照れくさそうにしながらも、ためらいなく進み出る。


「やってくれんなら、俺としてはありがたいけど」

「そうか、じゃあ俺がやるってことで。――あの、生徒会長、いつまでに提出すればいいですか?」

「忙しくなるだろうから、前夜祭までにはほしいかな。金曜がリミットだね」

「わかりました」


 妙に積極的な武史に疑念を抱く。が、時弥の意識は、すぐに別のところへ食いついた。ちょうど正人が戻ってきたのだ。

 両手に抱えたパックジュースに全員が群がる。


「うわぁ……」と、時弥は落胆の声をもらす。

「センスない……」と、麻智も同様に気落ちした。


 正人が選んだのは、お茶とスポーツドリンク。熱冷ましには悪くない選択に思える。

 だが、二人はお気に召さなかったようだ。つまらなそうな顔で、しぶしぶパックに手を伸ばす。


「てめぇら、本当に腹立つ姉弟だな!」


 正人の苛立ちは、この日練習が終わるまでおさまることはなかった。

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