第17話
「今日はクラスの出店の予行練習するから、残れる人は残ってね」
クラス委員で学園祭実行委員の会田秋穂は、授業終了と同時に大きな声で言った。反応はいまいちだったが、先週から今日の予定は告げていたので、クラスメイト全員が認知しているはずだ。
本番まで残りわずかとなった水曜日――少しでも多くヌードショーの練習に時間を割きたいところだが、表向きは空いている以上、クラスの出し物をないがしろにするわけにもいかなかった。
――と、そう思っていたのは信太郎だけかもしれない。
「練習に行こうぜ」
時弥はまったく意に介さず、予行練習をサボる気でいるらしい。
「いや、そういうわけにもいかんだろ。武史達もクラスの準備があるって言ってたし」
「えー、俺らがいなくても平気だって。こういうのは女子が張り切ってやるもんだろ」
時弥の意見はわからないでもないが、男子にも世間体というものがある。公然と輪を乱すような行為を行うと、女子側の圧力で学生生活に支障をきたす恐れまであった。
元からウンコ扱いの時弥はともかく、信太郎は肩身が狭い思いをするのは勘弁願いたい。どうにか時弥を説得して、終了次第集合と仲間に連絡網を回した。
「それじゃあ、ホットプレートを準備するから、パンケーキを作ってみようか」
秋穂指揮の下、予行練習がはじまる。
事前に話を通していたので、部活や抜けられない用事で退席したクラスメイトは案外少ない。三分の二ほどが残って、それぞれ作業に取りかかった。
ある程度分担を決めていたので混乱はなかったが、不効率な最初のうちはどうしても愚図ついてしまう。麻智のような自分勝手と紙一重のリーダーシップがあればまた違ったろうが、押しつけられて委員になった秋穂にはだらけた場をまとめるのは荷が重かった。
そんななか、ちょっと前までサボろうとしていた時弥だが意外とマジメに作業をこなしていた。調理用ボールにホットケーキの粉を入れると、きっちりと分量を量った牛乳と卵を加えて、泡立て器でシャカシャカと混ぜる。
ただ気になることがあるのか、しきりに首をかしげていた。
「なあ、信太郎。うちのクラスってパンケーキ喫茶なんだよな」
「そうだけど」
ハンドミキサーでホイップクリーム作りながら、信太郎はぞんざいに答える。
「これホットケーキの粉なんだよ。パンケーキと違うけど、いいのかな」
「どっちも同じようなもんだろ。気にするな」
「いやいや、駄目だろ。看板に偽りありだ」
時弥は妙なことにこだわる。おそらく看板の違いに目くじらを立てる客はいないと思う。
「パンケーキとホットケーキに厳密な違いはないんだって。日本では生地が甘めのものをホットケーキと区別しているみたいだけど、ちゃんとした決まりはないよ」
「うわっ、会田秋穂!」
いつから話を聞いていたのか、背後から秋穂が疑問に答えた。時弥の露骨な態度に、少し傷ついたふうに見えたのは気のせいだろうか。
信太郎は真偽を確かめようと、こっそり観察していたのだが――唐突にジュっと火が通り焼ける音がして、彼女はそちらに向いてしまった。
「あれー、全然膨らまない」
さっそくパンケーキ作りに取りかかった女子達が騒いでいる。
「ちょっぴりマヨネーズを混ぜたら、うまく膨らむんだって」
秋穂が豆知識を披露すると、「へえ」と素直な驚きが上がった。女子達のかしましい声が一層大きく響く。
「会田秋穂、変なことにくわしいな」
「そうじゃないだろ……」と、信太郎はため息をついた。
おそらく学園祭実行委員として、クラスの出し物を成功させるために調べてきたのだろう。誰に頼まれたわけでもないのに。
時弥はやけに警戒しているが、秋穂が善良であることは歴然としている。同じ裏方として、信太郎はシンパシーさえ感じていた。
「前夜祭まで慣れればいいから、焦ることはないよ」
秋穂は失敗つづきのクラスメイトに気を配っている。思慮深さも持ち合わせているところを見るに、元々委員長気質なのだろうか。
「そういや前夜祭って、土曜日だったよな」
「そりゃ日曜日の学園祭当日の前日なんだから土曜だろ」
唐突に時弥が当たり前のことを聞いてきた。
前夜祭は、学園祭の前日に行われる訪問客のないプレオープンのようなものだ。本番日はゆっくり生徒が他クラスの出し物を見学にいく機会をえられない場合もあるので、前日に楽しんでおこうという趣旨で開催される。基本的にクラス・部活の出し物は本番と同じ段取りで試行されるが、公演関係は最終リハーサルが行われることになっていた。
「前夜祭に練習できるかな?」
「公演はないとはいえ難しいだろうな。金曜が実質最後の練習になるかも」
「じゃあ、ますますこんなことやってられないぞ」
「だからって、放り出すわけにもいかないだろ。早く終わらせたいなら、さっさと作り方をマスターするんだな」
なるほどと納得して、時弥はすぐさまホットプレートと対峙する。男子生徒がわらわらと集まってきた。
注目のなか、おタマで生地をすくい流す。形がいびつになったので、整えようとおタマの底で広げると、よけいに崩れていく。
「ヘタクソ!」
「ぶきっちょ!」
「ウンコ!」
外野のヤジに苛立ちながら、どうにかできあがったパンケーキは、べちょべちょの生焼けだった。
このままだと腹を壊しそうなので、加熱をつづけると黒焦げになった。
「アホか!」
「大バカ野郎!」
「このウンコもらし!」
遠慮のないヤジを浴びながら、一応食べてみる。当然まずかった。思わず「うえっ」と出した舌は、焦げが張りついて黒く染まっている。
笑いが起こり、喧騒が広がっていった。れを、一部の女子が咎める。
「ちょっと男子、うるさいよ!」
「食べ物作ってるときに下品なこと言うな!」と、もっともな怒りも飛んでくる。
瞬間的に険悪な空気が流れたが、時弥が前面に立つことで場をおさめた。
「すまない、俺のせいだ。ここは俺が身を引くから仲良くやってくれ!」
時弥は教室を飛び出していった。よくわからない自己犠牲を発揮した時弥を、全員が呆然と見送る。
ただ単に逃げたと気づけたのは、信太郎くらいだろう。それと、あと一人――
「溝口くんと、あなた達は何をしようとしているの?」
信太郎にだけ聞こえる声で、秋穂はそっと言った。その表情は真剣そのものだ。
返す言葉が思いつかず、ただ顔を強張らせる。彼女は何を知っていて、何を聞こうとしているのか――信太郎の頭のなかでぐるぐると疑念が回り出す。
結局秋穂はそれ以上何もたずねてくることはなかったが、信太郎は予行練習が終わるまで戦々恐々としていた。
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