第19話

「会長、今日は手嶋くんの手品道具を講堂に運ぶ予定になってるんですけど、運搬を手伝ってくれる人の手配してくれましたか?」


 陽子はスケジュール表に目を通して、気になった点をたずねた。

 ぐてっとテーブルに身を預けた麻智が、「やっといた」と、気だるげに答えた。今日はやけに元気がない。学園祭の準備も大詰めを迎えようとしている木曜日――生徒会長として精力的に動き回っていた麻智は、疲労がピークに達しているのかもしれない。


「わたしは別件で行けないから、イカちゃん指示役よろしくねー」


 さっそく水槽を仮置きした体育館脇に向かう。

 校舎から体育館をつなぐ渡り廊下周辺では、今日も吹奏楽部が練習中だった。各パートごとに分かれた小さなグループが、一定の距離を置いてあちこちで練習に励んでいる。その集団は体育館近くまでの一帯を占拠しており、もっとも離れた場所にいたグループは、ちょうど手品道具が置かれたところに陣取っていた。


「あー、そこ駄目!!」


 陽子はギョっとして、慌てて駆け出す。チューバを演奏中の大柄な男子生徒が、シートに包まれた水槽の端を椅子代わりとして腰を下ろしていたのだ。

 何が駄目なのか理解していない男子生徒は、目を白黒させてマウスピースから口を離した。


「そこに座っちゃ駄目。大事な物なの!」

「えっ? ええっ?」


 動転していたせいか、手をついて立ち上がったために、一点に体重がかかってピシリと不吉な音がシートの中から聞こえた。

 青ざめて顔をひきつらせた陽子は、強引にシートをはがして確認する。


「よかった、大丈夫だ……」


 見たところ水槽に損傷はない。あくまで見たところは。


「どうした、よっちゃん」


 騒ぎを聞きつけて、吹奏楽部部長の藍がやって来た。

 あまり大ごとにして、チュ-バの彼が叱られてはかわいそうだと思った。陽子は笑顔を作り、たいしたことはないと取り繕う。


「それ大事なものだから、気をつけてねって説明してただけですよ」

「ふーん」視線は明らかに疑いが込めらていたが、ふと水槽に向けられると流れが変わった。「で、何これ?」


 シートの隙間から覗く水槽と、そのなかに詰められたいくつものケース――前提知識がなければ、一見してわかるはずもない。


「手嶋くんの手品道具です」

「ああ、あの手品くんの――」と、藍が口にしたとき、ちょうど治樹が姿をあらわした。その後ろに、ぴったりアシスタントの薫がひっついている。


 薫は周りに集まっている吹奏楽部に物怖じしているのだろう。その分、治樹との親密さを感じられて、陽子はほっこりした。


「あ、どうも」


 治樹は藍の存在に気づき、軽く会釈する。

 藍は軽く手を上げて応えた。そして、陽子の隣にすいっと寄って耳打ちする。


「手品くんの後ろにいる、あの座敷童は何?」

「座敷童って……。手嶋くんのアシスタントをしてくれることになった丹羽薫さんです」

「バニーガール、本当にやる気なんだ」


 二人がこそこそと話している間、治樹はずっと落ち着かない様子であった。吹奏楽部の注目を一身に浴びている状況なので、しかたないのかもしれない。

 薫はさらに顕著で、もうほとんど治樹の背中に顔を張りつけているような状況だ。よけい目立つだけだと言ってやりたい。


「あの鳥飼さん、今日講堂で練習できるって聞いたんだけど」

「ごめんね、会長が手配した運搬係がまだ到着してないの」

「なんだったら、うちの部員貸そうか?」


 ありがい申し出だが、学園祭を控えた吹奏楽部の貴重な練習時間を奪うのは抵抗があった。しかし、治樹達をいつまでも待たせておくわけにもいかない。

 どうすべきか悩み、うろたえた陽子は結論を出せずにいた。こんな他愛もない問題に手こずる陽子を、藍は呆れた表情で見ている。

 そこに、悩みを解消してくれる運搬係が、ようやく到着した。場違いな声と共に。


「あっ、アイアイだ」


 時弥が数人の友人を引き連れて、吹奏楽部の集団を突っ切り歩いてきた。急いでいる様子はまったくない。


「わたしのこと、そのふざけた愛称で呼ぶの、あんたら姉弟だけだぞ」

「そうなんだ。姉ちゃんが言ってるから、みんなアイアイって呼んでるもんだと思ってたよ」

「あいつの適当な名づけに、付き合うヤツなんていない」

「姉ちゃんがつけたわりには、いいあだ名だと思うけどなぁ。アイアイって、アイアイって感じだし」


 姉の麻智を通して交流のある二人は、親しげに言葉を交わす。事情を知らない吹奏楽部の部員は、少しピリッとした緊張感を漂わせていた。

 鬼軍曹のように厳しい部長を、軽視するようなふざけた態度が気に入らないのだろう。ただ無神経なだけだと、知らないばかりに。

 部員達は怪訝そうに時弥を見て、ひそひそと正体を確認しあう。


「あいつ、誰だ?」

「二年のウンコ。よくウンコもらしてるって話だ」

「一年の頃、トイレを詰まらせてウンコまみれにしたって聞いたことがある」


 尾ひれのついた噂話が、時弥の人物像を脚色していた。訂正すべきだと思ったが、どう言って正すべきか言葉を探っているうちに、別の場所から雷が落ちた。


「てめぇら、うっせえぞ。邪魔だからどっか行って、バカみたいにピーピー楽器吹いてろよ」


 威圧するように鋭い声を発したのは、野球部の山里正人だ。その迫力に部員達は息を飲んで、ぴたりと口を閉じた。

 陽子は首をかしげる。以前ポスター貼りや生徒会室前で遭遇したときには、彼はいなかった。あのときは深く考えなかったが、不思議な取り合わせだと顔ぶれを見て思う。


「生徒会長から頼まれた。手嶋、これを講堂に持っていけばいいのか?」


 武史が誰よりも先に運搬係の任務を思い出してくれた。二人は同じクラスだったこともあり、話は簡単にまとまる。


「ありがとう、茂木くん。世話になるね」

「いいさ。さっさと終わらせちゃおう」


 武史に治樹、他の面々も、薫までも、まだ藍と話中の時弥を除き、全員の視線が陽子に集まった。

 指揮役を任されている以上、もちろん陽子が仕切らなくてはいけない。慌てて彼らと水槽と進行方向と、三つの場所にぐるぐると目線を巡らせる。


「えっと、うん、案内するから、水槽――そ、その荷物を持って」


 あたふたと焦り、声が上ずる。藍の苦笑が目に入り、カッと顔が熱くなった。


「おい、時弥も手伝えよ。そっちの角のほうに入れ」と、信太郎が指示する。

「わかってる。邦雄、もうちょっとそっちに寄ってくれ」

「了解。このくらいでいい?」


 全員で水槽を囲み、「いっせーの」と声を合わせて持ち上げた。いきなりフラついた。

 ギャアギャアと騒ぎながら、慎重に運び出す。


「しっかりしろよ、よっちゃん。次期生徒会長なんだから、これくらいビシッと取り仕切らないと」


 冗談まじりの藍の言葉に、笑いながらも内心落ち込んでいた。生徒会長なんて無理だと、自分自身一番よくわかっている。

 でも、麻智のことだから絶対に指名してくる。いまから学園祭後が憂鬱で、無意識にため息がこぼれていた。

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