第7話
一年生のアグーこと阿藤邦雄が、ヌードショー参加を了承してくれた。理由は、「何か、やってみようと思っていたところだったんです」という曖昧なものだった。
勧誘の提案者だというのに、なぜか一番納得できないでいる武史が、くわしい事情を問い詰めようとするが――ここでタイムアップ。授業開始のチャイムが響く。
話し合いは放課後に持ち越しとなり、一旦解散する。
「あいつ、絶対おかしい!!」
「茂木が 誘おうって言ったくせに」
「そうだけど、そうだけどさ……」
釈然としない想いに気持ちをかき回されて、武史は胸中の不審をあますことなく顔に映したまま教室に戻っていった。
顔にこそ出さないが、時弥にしても感想は同じだ。邦雄の曖昧な説明だけでは、いまいち納得ができない。
いつも以上に長く感じる授業時間に焦れながら、時おり睡眠をはさみつつ乗り切り、ようやく待ちに待った放課後が訪れる。
時弥達三人は連れ立って、再び一年の教室に向かう。
帰宅する生徒の波に逆行して、たどり着いた教室では、邦雄が自席に座って大人しく待っていた。こちらの姿を見つけると、のそのそと脂肪を揺らしながら廊下まで出てくる。
「さっきの話のつづきなんだけど――」
改めてヌードショー参加理由を問おうとしたときだ。思いがけない人物と遭遇する。
「あっ、トキ」
姉の麻智だ。生徒会役員の鳥飼陽子を連れて、なぜか一年の教室が並ぶ階に来ていた。
武史が恐怖を感じたように、ブルッと身震いする。知らないところで、怪力メスゴリラの被害にあったのだろうか?――と、時弥は深く考えることなく、勝手に被害者だと思い込んだ。
「あんた、こんなとこで何してんの」
「姉ちゃんこそ、何してんだ?」
「わたしは生徒会の仕事」そこで、麻智はニヤリと笑う。「ちょうどいいとこで会った、トキ手伝いな」
有無を言わせぬ命令口調で、姉は弟をアゴで使う。長年刷り込まれた絶対的な上下関係に、逆らうすべはなかった。
命じられるまま学園祭のポスター貼りを手伝わされる。美術部作のポップな色使いが鮮やかなポスターだ。ポップすぎて肝心の開催要項が読みづらくなっていたが。
「ごめんね、時弥くん」
陽子が申し訳なさそうに謝る。彼女とは、麻智を介して知り合いだった。
「いいよ、慣れてる」
「生徒会長、ちょっと強引なところあるんだ」
「たぶん、世界で一番知ってる」
ポスター貼りは時弥と陽子が左右に持って高さを調整し、麻智が目視で水平を確認するという原始的な作業だった。もっと他に簡単な方法がありそうな気がするし、そもそもきっちりとした水平である必要はない気がする。
それでも麻智は、この方法が絶対であるかのように執着する。昔から妙なことにこだわるところがあった。
「トキ、動くなよ――あっ、イカちゃん、ちょっと下げて――イカちゃん、ちょい上――トキ、動くなって言ってるだろ」
カメラの構図を決めるときのように、指でフレームを作って水平を確認している。正確に測れるとは思えない手法だ。
しかし、そんなことよりも引っかかったのは、麻智が口にする「イカちゃん」である。
「イカちゃん、そのままで――トキ、3ミリ上!」
「……なあ、姉ちゃん。ひょっとして、その“イカちゃん”ってやつ、鳥飼のことか?」
「そうだけど」
さも当然のように言いきる。
「なんで、イカちゃん? 前はよっちゃんって呼んでたろ」そこまで口にして気づいた。「まさか、よっちゃんだからイカ?」
「わたしがそんな単純なわけないだろ。あるとき、ふと思ったんだ。“鳥飼”って字と、“
それも単純なことには変わりないように思うが、反撃が怖いので黙っておく。
複雑な表情を浮かべた陽子に目をやり、時弥は心の底から同情した。
「大変だな、お互い」
「ええ、本当に、お互い」
顔を見合わせ苦笑を交わす。同じ苦労を共有する者として、同情と共に親近感を抱いた。
「いや、時弥も同類だぞ」これまでのやり取りを総括するように、信太郎がこっそりとツッコむ。「見た目はあんまり似てないけど、間違いなく姉弟だわ」
自分本位なところも、周りが振り回されて苦労するところも、そっくりだ。
「そこ、だべってないで、あんたらも手伝いなさい!」
結局信太郎達も巻き込まれて、たった一枚のポスターを貼るのに総勢六名も労力をかけた。そのわりには少しずれていた気もするが、誰もそれを指摘することはなかった。
一仕事終えて満足げにうなずいた麻智は、ちらりと廊下の奥に目を向ける。陽子が手にした学園祭ポスターは、まだ数枚残っていた。
「じゃあ、次の貼りに行こうか」
「いや、待った待った。姉ちゃん、俺達だってヒマじゃないんだ。もう手伝わないからな」
「何を言ってんだ。帰宅部なんだから、やることなんてないだろ」失礼なことを、堂々と言い放つ。「どうせ、遊びにいくだけでしょ。それなら学園祭運営に協力して、生徒の役に立ちなよ」
「その学園祭のことで集まってるんだ」
麻智はキョトンとして、その場に居合わせた面々を見回した。まとまりのない顔ぶれに、少し首をかしげる。
「なに、ひょっとして出し物でもやる気?」
「まあ、そんなところ……」
「ホントかぁ? バカなこと以外取り柄のないトキに、何ができるって言うの」
「バカなことを――」と、信太郎がつぶやき、武史は苦笑した。
納得できない様子の麻智は、じろじろと遠慮のない視線を一人ずつに送り、真偽を確かめようと顔を近づけて探る。
「ホントにそうなの?」
「ええ、まあ」と、微妙に目をそらしながら信太郎は答えた。
「はい、そうです」と、邦雄は笑顔を浮かべて真正面から目を合わせる。体つきだけでなく、心も大物だ。
「あっ、その……」最後に見つめられた武史は、頬を赤らめてそわそわと目を泳がせる。「や、やります」
その言葉に、真っ先に反応したのは時弥だ。
「言ったな! ちゃんと聞いた、言質取ったからな!! 姉ちゃんが証人だ、取り消しは認めないぞ!」
普段の武史なら、時弥のバカな発言など冷静に対処できたことだろう。だが、ますます赤面していく動揺した状態では、反発の言葉すら出てこない。
それをいいことに、時弥は鬼の首を取ったように喜んでいた。
「なんかよくわからないけど、出願書の締め切りは土曜日だから、それまでに提出しなさいよ」
まだ完全に納得してくれたわけではないだろうが、喜ぶ弟に水を差すのは不憫に思ったのか、軽く肩をすくめて追及は放り投げてくれた。
麻智は陽子を引き連れ、次のポスター貼りに向かう。「しょうもない企画だったら、問答無用で落とす!」という捨て台詞を残して。
「よし、メンバーも揃ったことだし、ショーの構成を本格的に考えないとな!」
「ちょっと、やっぱり俺は――」
武史を無視して、時弥は景気づけに手を振り上げた。
「学園祭、がんばろー!」
このとき、邦雄の参加理由問題がうやむやとなっていたことに、まだ誰も気づいていなかった。
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