第10話

 出願書の締め切り日が明日土曜日ということで、いまのうちに提出しておこうと時弥は言った。

 姉の性格上、期限ギリギリで提出した場合、忙しさに苛立って精査することなく問答無用で却下することも考えられたからだ。


「精査されないほうが、都合がいいんじゃないか」


 企画の内容が内容だけに、信太郎の言い分も理解できる。ただし、それはバカ正直に本当の企画内容を記入した場合の話だ。


「バカだな、信太郎は。当然表向きは違う企画でとおすに決まってるだろ」

「バカに、バカにされるとは思わなかった……」


 麻智の部屋から失敬してきた無記入の出願書にペンを走らせる。


「なんだ、これ」覗き込んで、武史が首をかしげた。「バラエティ☆ダンス・ショー?」

「だから、表向きだ。別にこれをやるわけじゃない」

「それはわかってるけど、どういうことやるのか聞かれたとき、ちゃんと答えられないようなものだとまずいだろ」


 あくまで参加(仮)と言い張る武史が、協力的な意見を口にする。その場のノリに流されて、常識的な問題点を思わず指摘したにすぎないとしても、少しずつ歩み寄ってきてくれていることを実感した。

 本人はまだ気づいてないようなので、時弥はこっそりとほくそ笑む。


「大丈夫。そこらへんはちゃんと考えてある」

「心配だなぁ」と、時弥以外の気持ちを代弁するように、邦雄がつぶやいた。


 出願書の全項目記入が終わると、さっそく提出に生徒会室へ向かう。

 扉前に立ち、ノックをしようと拳を作ると――タイミングよく、内側から扉が開かれた。


「うわっ!?」と、飛び出してきた陽子とぶつかりそうになる。さけようと横にずれた陽子の肩が、扉の端に当たった。ガチャンと派手な音が鳴る。

「おーい、大丈夫?」


 中から、あまり心配しているように聞こえない、のんびりした麻智の声がした。在席中のようだ。

「大丈夫か?」と、弟も同じことをたずねる。


「うん、平気。時弥くんは?」

「まったく問題ない。ピンピンしてる」


 安堵して微笑みを浮かべた陽子だが、すぐにハッと我に返り、焦りを表情ににじませた。


「ごめんね、急いでるんだ」


 陽子は慌てた様子で、軽く頭を下げると駆けていく。

 その後ろ姿を見送り、時弥達は生徒会室に足を踏み入れた。都合のいいことに、いま生徒会室にいるのは姉の麻智だけだ。


「鳥飼、どうしたんだ?」

「ちょっとダンス部が面倒なこと言いだしてね、聞き取りに行かせた」

「そういうトラブル処理は、姉ちゃんが行ったほうがいいんじゃないか」


 弱腰な陽子よりも、傍若無人な麻智のほうが適しているように思える。


「ダンス部はもう代替わりしてて二年が主体だから、同学年のイカちゃんのほうが話をつけやすいのよ」


 何も考えてないように見えて、案外考えているのだなと感心する。いまから行う交渉を思うと、何も考えていないほうが好ましいわけだが。


「で、あんたらは、何しに来たんだ?」

「……これ持ってきた」


 出願書を渡すと、麻智はメガネをかけてチェックする。読み書きの際だけメガネをかけるタイプだった。

 一通り目を通して、不可解そうに「ん?」と声をもらす。メガネを少しずらし、疑念のこもった目で弟を睨んだ。


「このバラエティ☆ダンス・ショーって何?」

「名前のとおりバラエティなダンスのショー。発表するとき、あっと驚いてほしいから、いま詳細は言えない」


 時弥の背後でざわつく。信太郎達は顔を見合わせて、この対応に動揺した。

 ――このバカ、これで押し通すつもりなのか?!

 誰が見ても無理に決まっている。事実無理だった。


「却下」麻智は一言で片づける。

「待てよ、姉ちゃん。そんな簡単に決めていいのかよ。生徒の要望を、よく考えもしないで切り捨てるなんてサイテ―だぞ!」


 時弥の抗議をつまらなそうに聞いていた麻智は、フンと鼻を鳴らしてバカにするように軽く肩をすくめた。まったく歯牙にもかけない。


「こんなよくわからない要望を聞き入れたら、やばいことになるのは目に見えてる。女の勘が、あと姉の勘が、絶対に許可するなと言ってんだよ」

「そこをなんとか! なんとか!!」


 しつこく食い下がる時弥を乱暴に引きはがして、麻智は苛立たしげに出願書を指で叩いた。


「ちゃんと何をやるか説明してくれるなら、考えないわけでもない」


 時弥は目をそらした。後ろの面々も同じく。

 まさかヌードショーと正直に答えるわけにもいかず、うまい言い訳が出てこない。

 口ごもった弟を見て、姉は深いため息をもらした。


「あのさ、人に言えないような企画をとおせるわけないだろ」

「お、俺の人生がかかってんだ……」


 ようやく吐き出した言葉は、やけに重い。麻智は目を丸くして驚いたようだったが、だからといって許可とはいかないものだ。

 バカがバカなりに何やら考えているらしい――と、そのことだけは、ちゃんと伝わった。麻智は眉間にしわを寄せて、ほんの少し顔を伏せた。出願書に書かれた『バラエティ☆ダンス・ショー』の文字を目が追っている。


「先輩に聞いた話なんだけど、あんたらみたいにウソの企画をとおしてバカをやった生徒が昔いたんだって」


 麻智は穏やかな声色で語りはじめる。それは、やらかそうとしている弟への説得――いや、脅しか。


「何をやったかは知らないけど、かなり大きな問題になったらしい。それに激怒したのが、現文の緒方。あんたらだって知ってるでしょ、あのオッチャンが相当おっかないって。揉めに揉めて、最終的には病院送りになったらしいわよ。体育館の窓ガラスが一枚他と違うのは、そのときの名残りだって話」


 邦雄がゴクリとつばを飲む。

 にわかに信じられない話だが、体育館の窓ガラスの違いは気になっていたことだ。


「なあ、ここは諦めるしか――」

「わかった」


 武史の言葉尻を食い気味に、時弥が答えた。そのままフラフラとおぼつかない足取りで生徒会室を出ていく。


「ホントにわかってんのかねぇ」


 ぼそりとつぶやいた麻智に頭を下げて、信太郎達は後を追った。

 うつむき加減に廊下を歩く丸まった背中には、いつもの無駄に旺盛なバイタリティを感じない。


「こればっかりは、しょうがねえよ」


 さすがに不憫に思えて、信太郎は落ち込んだ友人を励ます。


「そうだな、しょうがない。こうなったらゲリラでやるしかないな」

 全然くじけていなかった。

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