第21話

 金曜日の昼休み――すっかり学園祭に染まった校舎の廊下を、不機嫌な顔で歩く生徒会長を見かけた。両手に大量の紙袋と弁当入れのポーチを持ち、時おり疲弊した腕を休ませながらゆっくりと進んでいる。


「生徒会長、持ちましょうか?」と、ためらいがちに声をかけると、パッと花が咲いたような笑顔が返ってきた。

「おー、武史くん。すごい助かる」


 麻智は片方の紙袋を遠慮なく押しつけた。ずしりとした重みが武史の腕にのしかかる。

 これを両手に持っていたのだから、女性としては相当に力持ちの部類だろう。弟とは大違いだ。


「ずいぶんと重いですね。なんですか、これ?」

「歴代の卒業アルバム。学園祭にくる卒業生用に卒業アルバムを展示するんだってさ」


 教師発案の企画なのに、準備は生徒会に押しつけてくると麻智は不満たらたらだ。

 武史は苦笑して、展示場所となる空き教室にお供する。


「生徒会も大変なんですね」

「偉ぶって思われがちだけど、実際のところ生徒会はただの雑用係にすぎないよ。教師ウエ生徒シタにはさまれた、悲しい中間管理職だな」


 本気とも冗談ともつかない軽口を叩きながら、空き教室に到着。事前に並べてあった長テーブルに紙袋を置いて終了だ。


「さすがに展示くらいはやってもらわないと。そこまで面倒みきれない」麻智はにっこり笑いかける。「ありがとね、武史くん」

「いえ、そんな――」


 武史は恐縮して、ぎこちなく首を振った。同時に、チャンスとも思った。

 こうして二人きりになれるのは、もうないかもしれない。そう考えると、胸の奥に溜まっていた想いが自然と口からこぼれていった。


「あの、実は俺、前に……一年の頃に、先輩に助けられたことがあるんです」

「助けた? ごめん、記憶にないな」

「たいしたことじゃないんです。でも、あのとき俺は救われた。お礼をずっと言いたかった」

「そんなん気にすることないのに」


 麻智は快活に笑う。あのときも、こんなふうに笑っていたことをはっきりとおぼえている。


 ――高校に入学して一月ほどたった頃の出来事だ。

 中学から顔ぶれが変わり、まだクラスに馴染んでいなかったとき、武史はほとんど言葉を交わしたこともない同級生に突然「ハナクソマン」とからかわれた。同じ中学出身の同級生に話を聞いたのだろう。いまにして思うと、彼なりの不器用な距離の縮め方だったのしれない。


 だが、高校生となって過去の辛い思い出を振り切れると信じていた武史は、感情的になって手を出してしまう。

 殴り合いのケンカに発展し、周りにいた生徒に止められた。お互い引っ込みがつかなくなって、羽交い絞めにされながらも怒りを吐き出しつづけていた。


 そこに、あらわれたのが麻智だ。偶然通りかかったらしい。

 気まぐれに仲裁を買って出て、ケンカの理由を聞いて回る。まだ生徒会長になる前であったが、すでに学校で広く知られていた麻智ということもあって、彼女の裁量を受け入れる空気になっていた。


 似たようなことは中学のときもあった。からかわれケンカとなり、教師が割って入って止める。教師は「ケンカ両成敗」と断じた。

 麻智はというと、「あんたが悪い!」と、からかってきた同級生に謝罪するように言った。一切迷いのない判決に、武史は心が震えた。


 からかったほうが悪い――当たり前のことだ。でも、それをはっきりと言ってもらえることは案外少ない。

 あのとき、武史は救われた気がした。何を言われても自分は悪くないと思えるようになった。トラウマを克服するきっかけを、麻智が与えてくれたのだ。

 それなのに、動転した当時の武史は礼を言えなかった。だから、いまここで言う。


「ありがとうございます」


 はにかんだ麻智は照れ隠しに頭をかく。が、その指を唐突に引き抜いて、どこか不審げな表情でまじまじと武史の顔を見た。


「ひょっとして、わたしに恩義を感じて弟のバカに付き合ってくれてる?」


 武史は一瞬言葉を詰まらせた。最初は確かに姉弟と知り、背中を押されたことは否めない。でも――


「違います」きっぱりと言いきった。「いまは、俺の意思でやろうと思ってます。どうしてこんなふうに思うようになったのか、自分でも不思議なんですけど」

「そっか」


 麻智はうれしそうに微笑む。

 行動を共にして、練習を積み重ねて――正直認めたくない部分もあるが、仲間意識が芽生えているのだと思う。


「そういうのいいね。うん、やっぱりこういうのは自分の意思で決めないと。君みたいな子、好きだよ」


 武史は心のなかでガッツポーズを決める。

 ムラッと感情が揺らぐのを感じて、必死に押さえつけながらポケットをまさぐる。


「先輩、これ頼まれてた出願書です」

「おー、そうだったそうだった。お昼まだだから、食べながらでもいい?」


 返事を待たずに弁当を開けて、食べながら用紙を受け取る。卵焼きにかじりつき、ご飯をかき込んで咀嚼しながらメガネをかけて、きんぴらごぼうをつまんで、ご飯をかき込んで咀嚼しながら目を通す。

「おふりょ?」と、麻智は口に詰め込んだまま声を出した。白い歯に、ふりかけの粒が張りついている。


「いろいろ考えたんですけど、言い訳に使うなら、こういうのがいいんじゃないかと思って」


 お風呂同好会が送る同好会勧誘ショー――それが、武史の思いついた出願書案だ。生徒会が却下して、学園祭でショーを行った後の言い訳として活用できると考えた。お風呂同好会を名乗っているので、脱ぐことの理由づけにもなる。

 麻智はご飯を飲み込むと、箸を持ったままグッと親指を突き出した。


「いいんじゃない、これ。やるねー、武史くん!」

「よかった。ちょっと不安だったんですよ」

「バカ弟のとこなんかじゃなくて、生徒会にほしいくらいだよ。もうすぐ引退のわたしが言うことじゃないけど」


 その言葉が、武史の胸を打つ。わき起こった喜びが、抑えきれず顔をほころばせていった。

 もう我慢できない。溢れ出した気持ちのままに、口を開く。少し調子に乗りすぎだと思いながらも。


「せ、先輩は、どういう男がタイプですか?」

「急だね」


 麻智は苦笑しながらエビフライを頬張り、少し考える。メガネをかけたままなので、悩む姿がいつもより知的に見えたが、残念なことにエビの尻尾が口の端でひょこひょこ動いていた。。


「すみません。変なこと聞いちゃって……」

「いいよ」尻尾をつまんで弁当箱に戻し、にんまり笑って答える。「わたしが好きなのは、真面目で、からかって楽しい人」


 からかって楽しいかはわからないが、真面目だとは思っている。武史はチャンスがあるのではと、内心踊り出しそうになっていた。

 だが、麻智のタイプにはまだつづきがあった。


「あと、背が高くてメガネが似合って、運動はそこそこでもいいけど、勉強ができて、やさしい人がいい。それにそれに、年上だな」


 やけに具体的な例がポンポン飛び出してくる。まるで見本となる人物がいるかのように。

 武史は喉に少し引っかかるような感覚をおぼえて、小さく咳払いをした。


「あの、それって……そういうことですか?」

「そういうこと」

「あ、そうですか……」


 学園祭を目前に控えて、武史はひっそりと淡い恋心を散らすのだった。

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