第3話 巻貝亭

 馬車が外壁の門で行われている検問を潜り抜けて都市の中に入ると、アルビスとジャッハは御者の老人にお礼を言う。それから、二人はお祭りのように人で賑わっている大通りの前で馬車を降りた。

 老人と馬車はそのまま大通りを進んでいき、やがて他の馬車や荷車などに紛れて見えなくなった。

 

 アルビスは日も傾いてきたので、本格的な町の見物は明日にして、とりあえず宿を探すことにする。

 幸いにも宿の場所はパルスに何度も来たことがあるという御者の老人から聞いていた。あの老人なら悪い宿を紹介したりはしないだろう。

 そう思ったアルビスはジャッハを肩に乗せて、人の流れに身を任せるように歩き始める。

 

 パルスの大通りは綺麗な石畳になっていてとても歩き易かったし、視界に映る建物はどれもガッチリとした印象を抱かせるものだった。

 やはり、海からの潮風が絶えず吹いているので、建物が脆くならないよう、頑丈に造られているようだ。

 他にも津波などの対策もされているのかもしれない。

 

 あと、建物の色はほとんどが茶色で統一されていた。中には美しく見える琥珀色の建物もあった。遠くに見える光の神、イリスを奉る神殿などは特に美しい琥珀色をしている。

 

 一方、大通りの両端には商品棚が通りに面している店がたくさんあった。なので、歩いているだけで思わず買いたくなるような武器を売っている店を見つけることができた。

 他にも、日用品を売る雑貨屋や薬屋、料理を売るお菜屋などもあったので、つい棚の前で足を止めてしまった。

 ジャッハもお惣菜屋で売られている鶏のから揚げを物欲しそうに見ていたし。

 

 アルビスは老人から言われたことを思い出しながら、大通りから外れた細い通りにも足を踏み入れる。

 すると、すぐに三階建ての宿の看板を見つける。看板には巻貝亭と書いてあった。ここが老人に教えてもらった宿で間違いないと思い、アルビスは緊張しつつ宿の中に入った。

 

「いっらしゃい…。何だ、子供か」


 宿の一階は酒場のようになっていて、バーカウンターの内側には筋肉質な体つきをした髭面の男がいた。

 男はグラスを磨いていたが、アルビスを見ると憮然とする。

 大方、子供のアルビスを見て金を取れそうな客ではないなと思ったのだろう。だから、愛想も良くない。

 

 とはいえ、宿の中は清潔な状態を保っているようで、木製のテーブルや椅子、壁や床なども小綺麗な雰囲気を漂わせていた。

 宿の主人の愛想はともかく、悪い宿ではなさそうだとアルビスも思った。

 

「泊まりたいんですけど良いですか?」


 アルビスは宿の主人の機嫌を損ねないように控え目に言った。


「金さえ払ってくれれば別に構わんよ。泊まるだけなら一泊、三千ルーダだ。食事は別料金になるが」


 まあ、妥当な値段だなとアルビスは思った。


「それで構いません。でも、喉が渇いているので部屋に入る前に何かの飲み物を頂けませんか?」


 今は初夏の季節だ。猛暑というほどではないにせよ、それなりに暑いのは確かだった。だから、喉も渇いている。


「分かった。滅多に来ない子供の客だし、ジュースくらいは安値で出してやるよ」


 宿の主人は気前の良さを見せた。それを受け、アルビスはやっぱり悪い宿じゃないなと思った。


「俺はハイジョッキのビールだ。泡はたっぷりと盛ってくれよ」


 ジャッハの言葉に宿の主人は目を丸くした。


「喋るドラゴンを連れているのか。ふん、どうやらただの子供ってわけじゃなさそうだな」


 宿の主人はジャッハを値踏みするような目で見た。


「まあ、色々ありまして」


 赤の他人に自分が抱えている事情を話すわけにもいくまい。


「別に詮索はしないさ。とにかく、ジュースとビールはすぐに持ってきてやるから待ってろ」


 そう言うと、宿の主人はカウンターの奥の扉の中に入って行った。しばらくすると、宿の主人はジュースとビールを運んで来る。


「お、旨そうなビールだな。泡の立ち具合も中々のものだし、宿屋の主人もやるじゃないか」


 ジャッハは運ばれて来た泡たっぷりのビールを見て言った。だが、アルビスは浮かれることなくリンゴジュースに口を付けると、気持ちを切り替える。


「何というか、不躾なことを訊くようですけど、この町で何か旨い儲け話はありませんか?」


 アルビスは気を悪くさせないような声色で、バーカウンターに戻ろうとしていた宿の主人に尋ねた。


「そんなことを訊くなんて、あんたらはよそ者だな。まあ、儲け話がないわけじゃないが、あいにくと俺の口からは教えられんよ。そういう話を聞きたきゃ、情報屋を当たった方が良い」


 宿の主人は難色を示した。


「それが面倒だから、あなたに訊いているんです。情報代ならちゃんと払いますし、何でも良いから教えてくれませんか?」


 アルビスは食い下がった。


「悪いがそれはどうしてもできないんだ。この町じゃとにかくギルドっていう組合の力が強くてな。情報を売り買いしたきゃ情報屋ギルドに加盟しなきゃならん」


 宿の主人は苦い顔をした。


「ギルドですか。正直、あまり好きになれない組合ですね。僕の父親もギルドには酷い目に遭ってますし」


 アルビスの父親は貴族だった。が、悪徳商人のギルドに騙されて、領地を取り上げられてしまったのだ。

 そんな因縁があるので、アルビスもギルドという言葉には常に嫌悪感を感じていた。

 

「そうか。だが、どんな些細なことでもギルドのルールを無視するようなことがあれば、この町では暮らしていけないのが実情だ。下手にギルドに立てつくと、最悪、命すらなくなるぜ」


 宿の主人言葉には凄味があった。


「なるほど。それは気を付けなければなりませんね。でも、そういうことなら、他の人にも無理に訊かないようにします」


 ギルドの影響力が厄介なのは、アルビスも自分の国にいた時に身に染みている。


「それが賢明だな。もっとも、ギルドに加盟している腕利きの情報屋の居場所なら教えてやっても良い。情報屋の紹介はルール違反にはならんからな。その代わりもう少し高い酒を頼んでもらうが」


 宿の主人はそこで初めて愛想良く笑った。


「なら、上等な果実酒も持ってきてくれ。あとツマミに鶏のから揚げと塩ゆでの枝豆も頼む」


 ジャッハが壁に貼り付けられたメニュー表を見て言うと、宿の主人は気を良くしたような顔でまたバーカウンターの奥に消えて行った。


「この町でもさっそくギルドや組合っていう壁にぶつかるとはな。どこの国でも人間のやることは一緒か」


 ジャッハはジョッキに顔を突っ込むと、あっという間にビールを飲み干す。だが、不思議なことにジャッハの小さいお腹がビールによって膨らむことはなかった。まるで、体に入った液体がどこかに行ってしまったかのようだ。

 もっとも、それは毎度のことなのでアルビスも気にしない。

 

「しょうがないよ。港のある町は色々な国の人間がやって来るし、商売の幅も広くなる。ギルドとまでは言わなくても、どうしたって組合はできるし、その力だって強くもなるさ」


 アルビスは子供の頃からたくさんの本を読み漁っていたので、大人に負けないくらい博識だった。

 そして、その知識を使って物事を上手く運ぶ方法も心得ていた。

 

「まっとうなギルドだけならまだ良いんだよ。でも、盗賊ギルドとかと事を構えるのはご免だぜ」


 裏の社会に身を置いているギルドほど危険なものはないことはアルビスも知っている。盗賊ギルドなどは、もはや組合とは言えない連中の集まりだろう。


「僕だって、そう思ってるさ。ま、何事もじっくりと進めていった方が良いよ。焦りは失敗の元だからね」


 そう言うと、アルビスは生温いリンゴジュースを喉に流し込んだ。


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