第10話 海竜

 パルスの港にいるアルビスの目の前には船があった。船は港の桟橋の横に錨を下ろして付けられている。

 アルビスは海軍の船と聞いていたので、もう少し大きい船を想像していたのだが実際には違った。

 だが、それでもマストは十分、太くて立派なものだったし、広げられた白い帆も強風が吹きつけてもびくともしないような厚さがある。

 また、甲板の端には投石機やビッグボウガンが幾つも備え付けられていて、軍の船としては申し分のない装備をしている。

 

 アルビスはもし海竜に沈められていなければもっと大きな船に乗れたのかなと思いながら、船に掛けられた梯子を昇っていく。

 そして、木製のデッキの上に立った。

 

「これが海軍の船か。まあ、相手が海賊くらいなら十分、戦えそうな装備をしているが、さすがに海竜には勝てないだろうな」


 ジャッハはデッキを見回しながら冷静に言った。


 デッキには騎士だけでなく独特のデザインの服を着た船乗りたちもいる。船乗りたちはみな忙しそうに走り回っていた。

 

「だろうね。ま、僕たちは海竜と戦うために海に出るわけじゃないから、船の装備は充実してなくても良いんだよ」


 あんまり充実しすぎても海竜を刺激するだけだし、アルビスとしても海竜と戦うつもりは毛頭なかった。


「だが、海竜を説得できる保証はないぞ。もし、戦いになったら、間違いなくこの船は海の藻屑と化す」


 ジャッハの言葉は脅しでもなければなんでもなかった。


「船が沈んだ時は僕だけでも良いから、助けてよ」


 アルビスは甘えるように言った。


「言われてなくても、そのつもりだ。とはいえ、俺は一か月に五分間しか巨竜の姿を保てないし、そんなことでその時間を使いたくはないんだが」


 その五分間が、今のジャッハに残されている力の全てなのだ。


「切り札は惜しまず使うのが、成功への秘訣さ」


 アルビスは気取ったように言った。


「それもそうだな。ま、この魔王ジャハガナン様の言葉なら、海竜だって言うことを聞いてくれると信じたいもんだ」


 魔王ジャハガナンの権威が海竜に通じるとはアルビスも思ってはいない。だが、ジャッハが話すことができる竜の言葉には信頼を置いている。

 竜の知能の高さはアルビスも良く知っているし、ちゃんと話せば分かり合えるはずだ。

 

「僕もそう願ってるよ。にしても、今日は良い風が吹いているな。これなら船も早いスピードで進んでくれそうだし、船酔いする暇はなさそうだ」


 アルビスは首筋を撫でる爽やかな風を感じながら言った。

 今日は雲一つない快晴だし、海は太陽の光を浴びて爛々と輝いている。この天気なら嵐になることはないだろう。

 もっとも、強い日差しで白い肌が焼けるのは、アルビスにとってはたまらなく嫌なことだったが。

 

「ああ。どうせ船の上にいるなら、釣った魚でも食べたいところだぜ」


 ジャッハが陽気に言うと、船首の方から船が出るぞーと叫ぶ船乗りの声が聞こえてくる。そして、船はゆっくりと港を離れ始めた。

 船首で舵を切る船乗りを見て、アルビスはこんな穏やかな海に海竜なんて現れるんだろうかと心の中で呟いてしまった。

 が、何が起こるか分からないのが海という場所なので気は引き締める。


 そして、船はどんどんパルスの港を離れて海の沖合へと進んで行く。海には白い海鳥が飛ぶ姿だけがある。

 アルビスがぼんやりと海を眺めていると、いきなり船が揺れた。まるで地震でも起きたかのように。

 騎士や船乗りたちが慌てる中、船の進行方向の先に巨大な頭が姿を現した。その頭は竜の形をしていて、頭を持ち上げる体は大蛇のようだった。また魚のヒレのようなものもたくさん付いている。

 そんな竜の体の色は海と同じ青色だった。体長は船の三倍以上はあるだろう。

 

 アルビスもあれが海竜かと震え上がる。が、グズグズしていると船が沈められてしまうので、ジャッハに素早く目配せをした。

 すると、ジャッハは船首の方を指さす。なので、アルビスは恐れを振り払い、駆け足で船の船首にまでやって来た。


「ここからは俺に任せろ」


 そう言うとジャッハは宙を飛んで、海竜の頭の方へと向かう。そして、大声を発すると、何やら竜の言葉で話し始めた。

 アルビスは竜の言葉は分からないので、ハラハラしながらジャッハを見守る。海竜も動きをピタリと止めると、竜の言葉を発する。

 ジャッハと海竜の二人は、熱心に話し込んでいた。その様子を船乗りや騎士たちも不安げな眼差しで見る。

 そして、四分ほど経つと、海竜は咆哮を上げて蛇のような体を船のデッキに叩きつける。マストが折れて、白い帆が引き千切られた。デッキにも大きな亀裂が走る。

 

 アルビスは交渉が決裂したと判断し、やはり自分の考えが甘かったかと後悔した。それから、船に用意されている浮き輪を抱え込む。

 すると、船は二つに割れて沈み始めた。

 アルビスは海に飛び込むと、浮き輪にしがみつきながら絶望的な表情で沈んでいく船を見詰めた。


「悪いアル。頑張ったんだが、海竜を説得することはできなかった」


 戻ってきたジャッハは申し訳なさそうな顔で言った。


「理由を聞こうか」


 アルビスは浮き輪に揺られながら、海の上を見回す。

 幸いにも、騎士も船乗りも船が沈められることを想定していたのか、みんな海の上で浮き輪に捕まっている。

 中には溺れている騎士もいたが泳ぎが達者な船乗りに助けられていた。

 

 一方、海竜の方は船を沈めると、海の中に潜って消えた。

 

「海竜は自分が産んだ卵を人間に奪われたと言っていた。しかも、その人間から海軍の船を沈めないと卵を壊すと脅されたらしい。だから、仕方なく海軍の船を沈めているって、苦々しく言ってたな」


 ジャッハから聞いた海竜の言葉にアルビスも嘘は感じなかった。


「なるほどね。それじゃあ、ジャッハの説得も実を結ぶわけがないか」


 卵を人質に取られたら、どうしようもない。


「ああ。海竜を何とかしたければ、海竜の卵を取り戻すしかないぞ。もっとも、どういった素性の人間に卵を奪われたのかは海竜にも分からないらしいが」


 ジャッハは頭を悩ませるような顔をした。


「まあ、誰が盗んだのかは大体、想像がつくよ」


 アルビスの言葉にジャッハも頷いた。


「そうだな。卵があった海竜の巣に近づける人間なんて、限られているし」


 海の知識に長けた者の犯行であることは間違いない。その上、竜の言葉を話せるとなれば更に限られた者になる。


「まあ、話は分かったけど、これからどうしようか。幾らジャッハでも全ての乗組員を陸には運べないし」


「確かに困った状況ではあるな」


 ジャッハが腕を組みながら言うと、アルビスの視界に一隻の赤い船が映るようになる。派手な赤い船は一直線にこちらへと向かってきた。


「船が近づいてくるよ。僕たちを助けに来たのかな」


 アルビスは救いの光でも見たような顔をする。だが、ジャッハは首を振った。


「いや、あの船はたぶん海賊船だな」


「やっぱり」


 アルビスはがっかりした。


「でも、船首で舵を切っているのは船長みたいな服を着ている女だ。しかも、長い金髪に綺麗な顔をしているし、こっちを見て笑ってるぞ」


 ジャッハの目は良いので、数キロ離れた場所にあるものも見通せる。


「僕たちから何か強奪するためにやって来たのかな」


 だとしたら、逆に船を奪ってやろうとアルビスは企んだ。


「それは聞いてみなきゃ分からんが、もし、そうなら俺が体を張って戦ってやるさ」


 ジャッハの言葉を受け、アルビスはどう対応するのがベストなのかを頭の中で考えた。


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