第13話 説得
アルビスは馬車に揺られながら、なだらかな山道を進んでいた。今日も天気が良くて、雨などは降りそうになかった。
雨の山道は危険だし、この天気の良さにはアルビスも神が自分のやることを手助けしてくれているように感じられた。
アルビスはルノール国王はなぜ神や宗教を嫌いになってしまったのだろうと思う。
きっと神や宗教に幻滅してしまうようなことがあったに違いない。自分だって時々、神に見捨てられていると思えるような時があるから。
とはいえ、神官の持っている力は本物だし、その力を使えなくなるのは自分にとっても国にとっても惜しいことだとは思わなかったのだろうか。
まあ、詳しい話はイルダスに訊いてみるしかない。
「お、山小屋が見えてきたぞ。他に建物はないし、あそこにイリス教の神官様が住んでるようじゃのう」
老人は手綱を何度もしならせて、急な坂になって来た道を進む。
「家にいれば良いのですが」
もし誰もいなかったら、自分はともかく老人には無駄足を踏ませたことになってしまう。
「大丈夫だ。あの山小屋からは入れたての茶の匂いが漂ってくるし、誰かがいるのは間違いないと思うぜ」
ジャッハはそう太鼓判を押すように言った。
「ジャッハがそう言うなら、イルダスさんかどうかは分からないけどいるんだろう」
アルビスはまだ不安だ。
「もし、神官様がいなければ家の前で待たせてもらえば良い。ワシは急いでないので、待つ時間は気にしなくて良いぞ」
老人はほっほっと笑った。
「そう言ってもらえると助かります」
アルビスは頭が下がる思いで言った。それから、馬車がかなり大きな山小屋の前まで辿り着くと、アルビスは肩にジャッハを乗せたまま馬車を降りる。
そして、緊張で掌が汗ばむのを感じながら、山小屋の入り口の戸を叩いた。だが、応答はない。繰り返し叩いてみてもやはり応答はなかった。
「失礼します」
アルビスは鍵が掛かっていないのを見て取り、不躾だとは思いつつもドアを開けて山小屋の中に入った。
「何だ、お前は?」
ドアを開けると老人より一歩手前と言った感じの男から声をかけられる。
その手には湯気の立ち上るポットが握られていたし、手が塞がっていたからすぐにドアを開けなかったのかなとアルビスは思う。
もし、ただの居留守だったら、この人物の人格を疑ってしまうな。
「あなたがイリス教の神官のイルダスさんですか?」
アルビスは相手は神官だった男だし、礼を失することのないように尋ねる。
「だとしたらどうだと言うんだ?」
イルダスの声からは敵意すら感じられた。
「単刀直入に言いますが、ルノール国王にかけられた呪いを何とかしてください」
アルビスは呪いを和らげるだけでなく、解くこともできるかもしれないと期待しながら頭を下げた。
「私があの国王にしてやることは何もない。国王、いや、あの国とはきっぱりと縁を切ったのだ」
イルダスは頑迷に言った。
「そう言わないでください。今の国王にはあなたの力がどうしても必要なんです」
アルビスも一歩も退かない。
「お前、何者だ?」
イルダスはギロッとした目でアルビスを睨んだ。
「僕は国王、いえ、パルメラーダ王国が抱える問題を全て解決しようとしている者です」
アルビスは少し恥ずかしそうに言った。
「お前のような子供が、病魔に取りつかれているようなこの国をどうにかできる気でいるのか?」
イルダスはあしらうように鼻を鳴らす。だが、アルビスは腹を立てなかった。今は真摯な対応が求められている。
「はい」
そう返事をすると、アルビスはイルダスから視線を逸らすことなく、まっすぐ前を見る。それを受け、イルダスも顎の髭を撫でた。
「ただの子供というわけではなさそうだな。お前の肩にいる竜からは恐ろしい力を感じるし」
イルダスの視線はジャッハへと移る。すると、ジャッハが胸を張った。
「俺は魔王ジャハガナンだ」
ジャッハの言葉にイルダスは激震が走ったような顔をする。
「お前があのアルダナント王国を滅亡寸前にまで追い込んだ魔王ジャハガナンだと!」
イルダスはそんな馬鹿な、とでも言いたそうな顔をした。
「そうだよ。だが、こんな俺でさえこの国のために一肌脱いでやろうとしてるんだ。なら、光の神の神官様が何もしないって言うのは、体裁が悪いんじゃないのか?」
ジャッハは正論のような挑発をした。
「何も知らないくせに言ってくれる」
イルダスは苦虫を噛み潰したような顔をする。何か訳を抱えているのはアルビスにも容易に分かった。
「付かぬことを聞くようですけど、何であなたは王宮を追放されたんですか?」
アルビスが話を戻した。
「ルノール国王の母君を救うことができなかったからだ。母君であるリネール様は重い病に侵されていてな。まだ子供だった国王は泣いて私にリネール様を助けてくれとせがんできた」
イルダスはどこか寂しそうな目をした。
「で、どうなったんですか?」
想像は付くけど。
「リネール様の病は私の持つ光の魔法の力でも癒しきれないほどの状態になっていた。結果、私は最善を尽くしたがリネール様は亡くなられた」
イルダスは唇を噛む。
「それで、国王はあんたを恨むようになったってことか。そいつは逆恨みも良いところなんじゃないのか」
ジャッハが混ぜ返すように言った。
「かもしれん。だが、子供だった国王が神と宗教に幻滅するには十分だった。しかも、その頃はちょうどヌーグ教の信者たちが王都で様々な悪事を働いていた時期と重なっていてな」
イルダスの声にはヌーグ教に対する嫌悪感があった。
「それで国王は神と宗教そのものに嫌気が差してしまったわけですか」
アルビスは意外と器の小さい国王だなと思った。
「そういうことだ。私もルノール国王の心中が分からないわけではない。だが、長年、王宮に仕えてきた私をいきなり追放するなどと言われれば、私とて腹も立つ」
腹は立っても、国王を憎んではいないようだった。ガードランからは国王や王宮にいる者を憎んでいると聞かされていたのに。
やっぱり、直に話してみないことには人間の心中など分からないものだとアルビスも思う。
「和解することはできないんですか?」
アルビスには歩み寄れないほどイルダスの心が国王から遠く離れているようには思えなかった。
「できんな。イリス教の神官は一度口にしたことは必ず守らなければならない。私は国王に二度と王宮には戻らないと言った。なら、その言葉は守らなければ」
「まるで子供の喧嘩だぜ」
ジャッハは皮肉を口にする。
「そう思われても仕方がないな。とにかく、私ができることは何もない。だから、お前たちも帰ってくれないか」
イルダスは影を落としたような顔で言った。
すると、小屋の入り口の戸が開く。現れたのは栗色の髪を三つ編みにした十八歳くらいの少女だった。
「お父さんが駄目なら、私が行きます。私も光の魔法は使えますし、その力はお父さん以上ですから」
少女は凛とした声で言った。
「何を言ってるんだ、イリエル!」
イルダスの声が怒りに弾けた。
「ルノール様の呪いを何とかできればイリス教の権威も復活するかもしれませんし、そうなれば、まだ王都にいるたくさんのイリス教徒が救われます。この期を逃すわけにはいきません」
イリエルの声には僅かな迷いも揺らぎもなかった。
「今の王都には暗殺者たちが跳梁跋扈しているんだぞ。お前などが行けば、すぐに殺されてしまう」
イルダスの言葉は紛れもない事実だった。
「それでも、ここでじっとしているわけにはいきません。このような話が持ち込まれたのもイリス様のお導きかもしれませんし」
そこで初めてイリエルの目が儚そうに瞬いた。
「イリエル…」
イルダスは沈痛な表情で項垂れた。
「なら、話は決まりだな。ああ言ってることだし、お前の娘はさらってでも連れてくぜ。こっちもなりふり構っていられない状況なんだ」
ジャッハは威勢の良い声で言った。
「娘さんの安全は僕が王宮に掛け合って必ず守らせます。だから、ここは僕たちを信じてください」
アルビスが押し切るように言うと、イルダスは絞り出すような声で「娘を頼む…」と言った。
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