第2話 真珠の都へ
横手に海と砂浜が見える道を一台の馬車が進んでいた。馬車には馬を操る御者と荷台に座っている少年がいる。
少年は十五歳くらいで、育ちの良さそうな端正な顔をしていた。その上、髪は貴族に多い金色で、肌も透けるように白い。体付きもほっそりとしていて、誰が見ても美少年と形容して良い少年だった。
そんな少年の肩には紫色の体をした竜がいた。竜は手乗りの大きさで、遠くから見ただけでは小鳥のようにしか見えない。だが、指には鋭い爪を生やし、口からは獰猛そうな牙を覗かせていた。
竜はこの世界では珍重されている生き物だ。だが、人間に懐く竜は少ない。しかも、人間並みの知能もあるので、竜は極めて扱いの難しい生き物だった。
少年はそんな竜と話をしながら、透明感のあるスカイブルーの海を眺めていた。海は太陽の光を浴びてキラキラと宝石のように輝いている。
ここら一帯の海はその美しさから真珠の海などと呼ばれていて、世界的にも有名だった。
「ようやく、王都パルスが見えてきたな。なかなか良い眺めを見せている都市じゃないか」
少年からジャッハと呼ばれている竜は、視線の先にある都市を見て言った。
「そうだね。さすが真珠の都と言われるだけのことはあるなぁ。都市を囲む外壁も綺麗だよ」
少年、アルビスは感嘆したような顔をする。
馬車が向かおうとしているのは、パルメラーダ王国の王都パルスだった。
アルビスが言った通り、パルスを囲む外壁は芸術的な空気を感じさせる形をしていて、その色は海の色との調和を感じさせる緑だった。都市を守ると言うよりは、都市の見栄えを良くするために作られたような外壁だった。
そんな外壁が途切れているところからは港が見えて、ここからでも出入りしている船の様子が確認できる。
もっとも、港を見たアルビスは意外と小さい船しか停まってないんだなと少しがっかりしていたが。
「都市の美しさなんて、俺にとってはどうでも良いことだ。俺が興味があるのは、やっぱり旨いと評判のパルスの魚料理だぜ」
ジャッハは舌なめずりをする。食べることが何よりも好きなジャッハだが、お酒もかなり飲む。でも、酔い潰れるようなことは一度もなかった。人間とは胃のでき方が違うんだと言うのがジャッハの口癖だが。
もちろん、アルビスは子供なので酒は飲めない。
「僕は断然、肉料理の方が好きだけどね。でも、たまには魚料理に挑戦してみるのも良いかもしれない」
アルビスも海の見える町を訪れたのは初めてではない。だが、そこで食べるのも常に肉料理だった。
ジャッハもいつも肉ばかり食べている。
ただ、ジャッハの言う通り、パルスの魚料理は絶品らしい。それなら、一度は口にしてみないと後悔するとアルビスも思っていたのだった。
「挑戦するのは良いが、調子に乗って魚の骨を喉に突っかからせるなよ。パルスの魚料理は食べるのにちょっとしたコツがいるって聞いてるし」
ジャッハはニヤリと笑った。
「そうなんだ。でも、小さい子供じゃあるまいし、そんな間抜けはしないよ。まあ、一応、骨には気を付けるけど」
そう言うと、アルビスは悠然と大空を飛ぶ海鳥の群れに目をやった。
「なら良い。ま、俺の頑丈な歯にかかればどんな魚の骨でも粉みじんにできるけどな」
ジャッハは人間ではないのに実に感情豊かな表情を浮かべて見せた。
「ドラゴンの歯は鋼すら食い千切れるって言いたいんだろ?」
アルビスはジャッハの言葉を先読みするようにして言った。
「その通りだ。さすが相棒、俺のことが良く分かっているな」
ジャッハはしたり顔をする。
「でも、鋼すら食い千切れるって言葉はもう耳タコだよ」
「そう言うなって。自分のことを自慢したくなるのは生態系の頂点に立つドラゴンの性ってもんなんだから」
もっとも、小鳥のような大きさしかない今のジャッハが鋼に噛みついたりすれば、自分の歯が折れるだけだが。
「そうだったね。ま、鋼とまでは言わなくても、魚の骨くらいは噛み砕けるようになりたいもんだよ、人間も」
そう言って、アルビスは気持ちの良い潮風を大きく吸い込んだ。
「あんたら、暢気そうで良いな。今のパルスは物騒だって言われているのに」
そうしわがれた声を発したのは、二人の話を聞いていた御者の老人だった。
「どういう意味だ?」
ジャッハは半眼になった。
「ワシも詳しくは知らんが、数か月前にパルメラーダ王国を治めていた国王のパールハルト八世が暗殺者の凶刃に倒れたって話だ。幸いにも命はとりとめたそうじゃが」
老人の声は重々しかった。
「へー」
ジャッハの顔に緊張感はない。アルビスも国王の身に何かあったなど、良くある話だと思っていた。
「だが、国王は傷の治りが悪くて、国の政ができん。そのせいで王都パルスの治安はかなり悪くなっているそうじゃぞ。お前さんたちもパルスに着いたら気を付けんとな」
老人は懸念を滲ませながら言った。
「なら、ちゃんと気を付けますし、教えてくれてありがとうございます」
答えたのはアルビスだ。誰に対しても真摯な受け答えができるのがアルビスの良いところだった。
生真面目なお礼を言われた老人の方も微笑している。
「でも、俺たちにとっては物騒なくらいがちょうど良いんだよな。そういうところには儲け話がたくさんあるし」
ジャッハは剛毅に笑った。
「お前さんたち、盗賊にでもなるつもりか?」
老人の目が鋭くなった。
「僕たちはしがない冒険者ですけど、人様から物を盗むほど落ちぶれてはいませんよ。もちろん、他の悪いことも絶対にしませんし、信じてください」
アルビスは誠実そうな声で言った。
もっとも、今のアルビスはお金があるとは言えない生活をしている。なので、旨い儲け話があれば、自身の正義感が揺るがない程度には何でもするつもりだった。
「そうか…。それなら、お前さんたちをここまで連れてきたワシも安心できるな」
老人はほっと口元を緩めた。
「はい」
アルビスは芯の通った声で返事をした。
「ま、大きな都市には様々な闇がある。幾らお天道様が輝いても照らし出せない部分はあるものじゃよ」
老人は達観したように言った。
「そのご忠告は肝に銘じておきます。でも、そういうことなら、お爺さんも気を付けてくださいよ」
アルビスも何のお金も取らずに馬車に乗せてくれたこの老人には感謝しているのだ。なら、その親切を無碍にするようなことはできない。
「ワシの方は大丈夫じゃよ。伊達に歳を取っとるわけではないからな。とにかく、そこのはしっこいドラゴンは良いとしても、お前さんはまだ子供じゃ。なら、厄介ごとには首を突っ込まん方が身のためというものじゃぞ」
そう言い聞かせると、老人は馬車の手綱を握り直して、馬車を今までより少し早いスピードで進ませる。
アルビスも老人の話を心の中で噛み砕きながら、それができたらどんなに楽かと思う。それから、腰に下げている剣をチラッと見て小さく息を吐いた。
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