第一部 第三章 魔法の真実と現実 2


       * 2 *


 ――市に来ているのね、ひなの。

 遠く微かな馴染んだ魔石の感触に、レレイナはひなのが街に来ていることを感じていた。

 魔法は音に近い性質があると、レレイナは考えていた。

 結果が同じになる魔法でも、使い手が異なれば発現の際の魔力の感触は異なるし、魔力の放出や発散の際の感触は、使い手や使う魔石によっても変化があり、まるで声のように識別に使えることもある。

 ずいぶん昔に大きめの歪みを結晶化して造ったひなのに持たせてある魔石は、手元になくてもある程度の距離に近づけば独特の感触により存在を感知できた。

「はぁ……」

 色とりどりの糸で鮮やかな刺繍がされたクッションを備えた長椅子に、だらしなく寝そべるレレイナは、黒光りする重厚なローテーブルから澄んだ色を見せるリンゴ酒の入った透明なガラスのカップを取り、口をつけた。

 ――さすがに飽きたわね。

 前々回の市の日の夜からだから、城に呼び出されて今日で十一日目。

 滞在するように言われている部屋は豪華な内装で、ベッドやテーブル、時間潰し用であろう本が詰まった本棚も置かれていて、与えられた林の中の家よりも居心地はよかったが、さすがに部屋からほとんど出ない生活は飽きてきていた。

「まったく、あの爺さんどもと来たら……」

 召喚状の名前こそ領主のものであったが、レレイナを城に喚んだのは若き領主ではないことはわかっていた。城に留まるようし向けていることも含めて、街の年老いた有力者たちの差し金だった。

 長く生きているレレイナに比べれば全員年若い者たちだったが、老人特有の変化への恐怖を兼ね備えた彼らは、歪魔の噂がひと段落するまでは城から出さないつもりなのだろう。

 いっそのこと歪魔が暴れてくれればとも考えるが、城に来てから一度も歪魔の存在を感じられないことから、噂はただのデマか、本当にいるとしたら存在を隠すことができるほどの力の強い魔人であると思われた。力の強い魔人がひと度暴れた日には、レレイナひとりで倒せるかどうかわからなかった。

「……まさか、ね。あれからもうけっこう時間が経っているんだし」

 ふと思い浮かんだ考えに、レレイナは目を細めてつぶやきを漏らす。

「勘違い、よね。あの子はもういないんだし……。はぁ」

 もう一度ため息を吐いて考えを振り払ったレレイナは、手にしたカップをテーブルに置いて長椅子に突っ伏した。

 ――そろそろあの子の料理が食べたいわね。

 城で出される食事はみな美味しく豪華で不満はなかったが、異界からの漂流者であるひなのの料理は、長く旅をしてきた間にも食べたことがない少し独特な味付けで、それに馴染んで来つつあることをレレイナは感じていた。

 彼女がどんな世界で、どんな生活をしてきたのかは詳しくは聞いていない。少しずつ聞いている彼女の住んでいた世界が、ファルアリースのどんな場所とも違っていることだけは、理解していた。

 多くのことを知りたいと思っていたが、ひなのにとって帰りたい場所である元の世界のことは、可愛らしい笑顔を見せるようになった彼女に影を落とす結果になりかねないのがわかっていたから、一度に多くのことを聞くことはできなかった。

 ――それにあの子は、もう……。

「失礼します」

 考えに没頭しつつあったとき、ノックの音と同時にそう声をかけて、領主の家令であるバルフェが入ってきた。

「飲み物をお持ちしました」

 銀色に光るお盆の上に新しいカップとともに乗せられた白い陶器の瓶の中身は、リンゴ酒だろうか、それとも今度は葡萄酒だろうか。

 あまり興味もなく、バルフェがテーブルの上に置くとき、レレイナは寝転がったままの体勢でいた。

「いつになったら私は帰れるのかしら?」

「私ではわかりかねます」

 城に連れて来られてから何度したのかわからない質問を口にしてみたが、レレイナの世話係となっているバルフェはこれまでと同じ返答をするだけだった。

「それで、噂の真相はどうなったの?」

「まだ何とも言えません」

「姿を見たという人は」

「見つかっていません」

「デマなんじゃないの?」

「噂の出所が判然としていません」

 矢継ぎ早の質問に答える直立不動のバルフェは、無表情のままこれまでと同じ返事をするだけだった。

 ――まだ沈静化はしていないのね。

 直接見聞きしていないが、バルフェの答えから推測するに、噂はまだまだ広がりつつあるのだろう。沈静化に向かっているなら、レレイナをいつまでも城に留めておく理由もないはずだから。

 ――でもおかしいわね。

 恐ろしさを刻みつけられている人々にとって、歪魔の噂は広がりやすく、沈静化に時間がかかるのはいつものことだった。

 しかし誤認であっても実体の見えない歪魔の噂がこれほど長い間沈静化しないどころか、バルフェや老人たちの様子からするに広がり続けているらしいことに、レレイナは違和感を覚えていた。

 ――誰かが仕込んででもいるのかしらね。

 城に軟禁に近い状態で留め置かれているレレイナに調べる手段はなかったが、正体の見えない噂の出所については気になっていた。

 長椅子に座り直し、立ち上がる。

 話があれば聞くように言いつけられていたのだろうバルフェは、それを合図にテーブルの上の空いた酒瓶とカップに手を伸ばした。

 ガラス張りの大きく取られた窓に近づく。

 三階にある部屋からは高台に建てられた建物とは言え、城壁に遮られて高い建物の屋根がいくつか見えるだけで、街の様子を見渡すことはできなかった。

 ひなのがいまいる場所はだいたいわかったが、彼女を見つけることはできない。

 ――あの子はいま、どうしてるかしら?

 おそらく寂しがり屋だろう、ひなの。

 この世界での生活に馴染んできているとは言っても、いつまでもひとりで過ごしていて大丈夫なのだろうかと心配になってくる。

 それでも先代領主に世話になり、いまの領主にも様々な便宜を図ってもらっている身では、勝手に帰るわけにもいかなかった。

「ん?」

 ため息が漏れそうになったとき、魔力の高まりを感じた。

「どうかされましたか?」

 ガラス窓に手を突き、城壁で遮られて見えない街の方角を睨んでいるレレイナに気づいたのだろう、バルフェが声をかけてきたが、返事はしなかった。

 ――ひなの?

 魔石に蓄積された魔力を取り出している感触。

 魔法が発現したわけではないからはっきりとはしなかったが、いま感じている魔力はひなのに持たせた魔石の方向と一致していた。

 そして取り出されている魔力は、これまで練習のために使っていた量を遥かに超えるものだった。

「やめなさい! ひなの!!」

 声が届かないのはわかっているのに、レレイナは叫ばずにはいられなかった。

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