第一部 第三章

第一部 第二章 魔法の真実と現実 1


第三章 魔法の真実と現実


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 あれからさらに五日が経ち、レレイナさんはまだ戻ってきていませんでした。

 お城から呼ばれて出かけることはちょくちょくありましたが、これまでは一日か二日、長くて三日程度。十日も帰ってこないのは初めてです。

 いつもはふたりしかいない東門を守る兵士の方は四人に増え、緊張した面持ちで出入りする人々のことを見ている様子でした。

 四人のうちひとりの、もう何度も挨拶をしている方に軽く会釈をして、ちょっと安堵したような笑顔に見送られて街へと入ります。

 今日は小市の日。

 大市の日に比べれば人の出は少ないのですが、それでも普段の日よりも多いはずの街は、どこか閑散としている雰囲気がありました。

 買い物を終えてそそくさと走り去る人。

 寄り集まって険しい顔で話をする人々。

 中央広場を抜けて露店が集中する西側街道まで来ても、露店もいつもよりまばらで、常設のお店の中には市の日だというのに開いていないところもありました。

 ――噂が広まっているんですね。

 歪魔の噂は前回街に来たときよりもさらに広まっているようです。

 噂話をしている人の声に聞き耳を立ててみると、歪魔という言葉に加えて、魔人という言葉も聞こえてきました。

 そして時折、わたしの方に厳しい視線を向けてくる人もいます。

 人と変わらない姿をしているという魔人。

 街に入り込んだのが魔人であるという話が広まって、見慣れない人に警戒の目を向ける人もいるのでしょう。

 多いとは言えないですが、わたしのことを知っている人がいるので、そうした人と挨拶でも交わせばそうした視線は一時なくなりますが、居心地が悪く感じてしまうのは否めません。

 レレイナさんから借りている本で、魔人について少し調べてみました。

 魔人は歪魔でありながら人と見分けがつかないことが多いだけでなく、魔族の中でもひと際大きな力を持つ者が多く、魔人であった先代魔王ミルーチェは、たったひとりで大軍を退けるほどの魔法を使ったと記録されていました。

 ――でも、どうしてだろう。

 あまり多くない人通りと露店の中で、わたしは思わず立ち止まってしまっていました。

 レレイナさんから借りている本の一冊、エリストーナを中心とするファルアリースの歴史について記録された、エリストーナ・フォークロアとでも言うべき本には、歪魔や魔王軍との戦いについてたくさん書かれています。

 名前の出てくる魔人のほとんどと、多くの魔族、一部の妖魔は、史書であるためか詳しいことは書かれていませんが、魔法を使うという記述が多く見られます。対してそんな歪魔と戦う人間側は、ほんの少ししか魔法使い、魔女はいません。

 そんな人間にとって希少なはずの魔法の素質を、なぜわたしが持っているのだろうと思ってしまいました。

 元の世界でわたしは、使い方を知らなかったのもあるかも知れませんが、魔法なんて使えませんでした。

 もしかしたら魔法はこの世界独特のものなのかも知れませんが、同じく独特の存在である歪魔の多くもまた魔法を使い、魔力の根源は、歪魔の発生原因である歪みに由来します。

 ――異世界の人間のわたしと、歪魔には何か関係があるのでしょうか?

 あまり気分の良い想像ではありませんが、思いついてしまったことに、わたしは頬に指を添えて考えてしまいます。

 ――今度、レレイナさんに訊いてみよう。

 考えてみてもよくわからなくて、いつもより少ないと言っても人通りの多い道にいつまでも立ち止まっていられないわたしは、今日の最初の目的地へと歩き出します。

 一番太い西側街道に並走する道に入って、一軒の常設のお店までやってきました。

「こんにちは」

 扉の入り口からかけたわたしの声に反応して顔を上げた口ひげを生やした小父さんは、軽く手を上げただけで手元の作業に戻ってしまいました。

 ノミのような工具で木を削る作業をしている小父さんはガロットさん。カツ君のお父さんです。

 無口で愛想でも笑うのが苦手らしいガロットさんは、お店の店主としてはどうなのかと思うこともありますが、腕はとても良いらしく、お店はけっこう繁盛していると聞いています。

 そして何より、家族想いです。

 お医者さんでも匙を投げたカツ君の熱をどうにかするために、街の人からは畏れられていたりするレレイナさんのところに駆けつけてきてしまうほどに。

「こんにちは、ひなのさん。今日はどんなものを探しに来られたのでしょうか」

 そんな少し舌っ足らずながら丁寧な言葉で声をかけてきてくれたのは、カツ君の妹さんのエルナちゃん。

 まだ八歳だそうですが、ちょっとやんちゃ過ぎるところがあるカツ君と違って、落ち着いた感じの女の子です。

 ガロットさんの奥さんはエルナちゃんを生んだ後、病気で亡くなられてしまったそうで、彼女はお店の看板娘としてまだ幼いにも拘わらず頑張っています。

 カツ君と同じクセの強い髪を綺麗になでつけて結い、薄水色のワンピースを着たエルナちゃんは、作業を続けているガロットさんの代わりに住居となっている奥から表に出てきてくれました。

「今日はスープ用のお皿をお願いできますか?」

 エリストーナの食器は木製のものがほとんどです。

 街の北、山の近くでは陶器の食器などを焼いているところもあるそうですが、純白に近い白色の陶器だそうで、高級品のためお城で使われるか交易品として街の外に行ってしまい、普通の人が触れる機会はあまりないようです。

 木製の食器は素材を選んで綺麗に削り、場合によっては撥水性のある加工が為されているため、耐久性はかなりのものです。

 しかしそれでも木目に沿って割れてしまったりもするので、時折買い換えねばなりません。

 ガロットさんの造る食器は、ただ丁寧に造られているだけでなく、精緻な模様を縁に彫ってあったりして、工芸品のように美しく、使うのがもったいなくなってしまうものもあるほどです。

「この辺かな」

 そう言ってエルナちゃんが向かう先に、わたしも着いていきます。

 お店の中にはたくさんの台や棚があって、お皿といった食器など生活道具を中心に、たくさんの木製の商品が置かれています。生活道具の他にも飾りやアクセサリなどもあり、床に置かれた大きな箱には灰と同じく様々な用途のある木屑なども売ってありました。

 いろんな木の香りがするお店の中で、棚の上に割と無造作に積み上げられた深さのあるお皿をエルナちゃんは何枚か渡してくれます。

 とくに図版があるわけではないのか、お皿に彫られた草や花をあしらった模様はどれも少しずつ違っていて、どれにしようか迷ってしまいます。

「ひ、ひな姉ちゃん! こ、これとかどうかな?」

 後ろからそんな声をかけてきたのは、いつの間にやってきたのか、カツ君でした。

 差し出されたお皿を手に取ってみると、他のとあまり変わりませんでしたが、縁の模様が少し拙いように見えました。

「ん」

 ガロットさんも奥から出てきて、わたしにひとつ頷いた後、カツ君の頭に節くれ立った大きな手を置いていました。

 たぶん、これはカツ君が模様を彫ったお皿なのでしょう。

「これをください」

 ちょっと嬉しい気持ちになって、わたしはカツ君に渡されたお皿と、レレイナさん用にもう一枚のお皿を手にしました。

 ほっとした顔をしているカツ君にお金を支払ってお皿を買い物袋に仕舞って顔を上げたとき、ふと目に入ってきたものに首を傾げてしまいました。

「これはなんですか?」

 不思議に思ったのは、木屑が入った箱の中の丸太でした。

 お皿にするためだったのか薄く切ったものや、ひと抱えもある丸太が、木屑と一緒に箱の中に入っています。

「それは虫が食っててダメな奴だよ」

 カツ君の答えにそうなのかと思いつつ、少し気になって手に取ってみます。

「たまにそういう虫食いの木が入って来ちゃうんで、ダメなものは処分するしかないんです」

 エルナちゃんが言う通り、丸太には中心に近いところまでいくつも小さな穴が開いていて、食器にするのは難しそうです。縁の方はとくに虫食いが激しくて、触っているだけで剥がれて取れてしまうほどでした。

 ――これって……。

 剥がれた欠片の表面を見て、わたしは少し前にこれと同じものを見たことがあるのを思い出します。

「この虫は、どこにでもいるものなんですか?」

「どういうこと? ひな姉ちゃん」

「お父さんの方が詳しいと思うよ」

 首を傾げているカツ君とエルナちゃんに言われ、ガロットさんの顔を見てみます。

「これはもっと南に住んでいる虫だ。南から来る木に紛れて街に入ってくることもあるが、この辺りの寒さでは冬を越せないのであまりいない。だがこれから先、夏になると家一軒をダメにしてしまうほど増えてしまうこともある。この木に巣くっていた奴は塩水に浸けて殺したが……。どこかで見たのか?」

「はい」

 険しくなったガロットさんの顔。

 一度奥に戻って肩掛けの袋を持ってきて、言いました。

「すぐに案内してくれ」

「わかりました」

 嫌な予感を覚えながら、わたしはガロットさんを案内するために駆け出しました。

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