エリストーナ・フォークロア

小峰史乃

第一部 序章

第一部 序章 本日開店!

序章 本日開店!



 蜜蝋のロウソクに火を灯すと、暖かな光とともに微かな甘い香りが漂い始めます。

 火を灯したロウソクを壁の三カ所にある燭台に置き、振り向くと、仄かな灯火に浮かび上がる店内の様子が見えました。

 初めて入ったときは広いと感じた店内は、いまでは物であふれ、あのときほど広いとは感じなくなっています。

 大きな物から小さな物まで、金属製や木製、石でできたものなど、様々な物が、整理しきれずに造りつけの棚と言わず床の上と言わず、雑多に置いてあります。

 値付けもまだ半分も終わってなくて、充分に準備ができたとは言い難い状況です。

 でも、わたしは今日、ここから始めます。

 軽く握った右手で、白く染め抜いた革のエプロンの上から胸を押さえると、いつもより少し早い鼓動が感じられました。

 緊張を、しています。

 怖いと思っています。

 それでも今日が、わたしの出発点。

 いまでも時折どうしてわたしが、と思うことがあります。

 地球で生まれて、東京で育って、普通の中学校に通って、十三年間生きてきたわたし。

 もうすぐだった十四回目の誕生日を平穏に迎えられることを当たり前に考えていたわたしの生活は、一瞬にして変わってしまいました。

 わたしがいまいるのは、エリストーナ。

 ファルアリースと呼ばれる土地の、リストメア王国の中にある、東京とは違う世界にある、異世界の街。

 エリストーナに来てしまってから、もう五ヶ月。

 あの頃微かに肩に触れるくらいの長さだった髪は、いまではすっかり肩を超えてしまっています。

 最初は着る手順もわからなかった白いシャツの上に着たビスチェスカート風の服も、もう着慣れてしまいました。

 五ヶ月の間に、たくさんの人と出会いました。

 多くのことを知りました。

 いろんなことが、ありました。

 そしてわたしは、ひとつの決断を、しました。

 落ち着いてきた鼓動に、わたしは長い息を吐きます。

 広くて、でも狭く感じるこの場所にある扉。

 板と板のわずかな隙間からまだ朝と言っていい時間の陽射しが差し込む扉に触れ、閂を下ろして鍵を外します。

 ノブに手を触れた瞬間、また激しく、強く脈打ち始めた心臓に息を飲みつつも、わたしは力を込めて扉を大きく引き開けました。

 一気に差し込んできた朝日。

 目を細めても視界は真っ白で、何も見ることができません。

 見えない視界の向こうからは、大市の日である今日らしい、石畳の道を踏むたくさんの足音が聞こえてきます。

 でも、それよりも多くの人の声が、わたしの耳に聞こえてきていました。

 慣れてきた目に見えてきたのは、店の前に立つ人々。

 何人ものよく知る顔、それよりも多くの初めて見る顔の全員が、わたしのことを見ています。

 人々の中に長い黒髪の女性の笑顔を見つけて、わたしはほっとするのと同時に、顔が緩んでいくのを感じていました。

「ひなの」

 その女性、レレイナさんに小さく名を呼ばれて頷いたわたしは、一歩店の中から足を踏み出します。

 たくさんの人のいろんな表情を端から端まで眺めてから、できるだけお腹に力を込めて宣言の言葉を発します。

「本日開店です!」

 今日、いまこの時から、エリストーナの住人であるわたしの生活が、始まりました。

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