第一部 第四章

第一部 第四章 月下の追跡 1

第四章 月下の追跡


       * 1 *


「本当に行くの?」

「うん。案内してくれてありがとう」

 カツ君に案内してもらってやってきたのは、街を横断する太い東西街道や、離れた港町まで伸びている南部街道のように人や物の行き来が多くない、山へと至る道がある比較的小さな北門の近くでした。

 街の北端に位置するお城の敷地は、街壁が高くて見えませんが、いまいる場所のすぐ裏にあります。

 夜になって昇ってきたふたつの月のうちの大月、女神そのものであるとされているラタトアの満月に近い光の下で、カツ君が不安そうな表情を浮かべているのが見えました。

 それに対して精一杯の笑顔を見せて、わたしは彼に言います。

「領主様はわたしのことを信じてくれてる人、だと思うの。だからできるだけのことはしたいと思う。うまくいったら教えてもらった小屋で隠れてるから、またそこで会えるよ」

「……うん、わかった」

 それでも晴れないカツ君の顔から視線を外して、わたしは目の前にある岩の影に目を向けます。

 畑などはすぐ側にはなく、比較的近くまで森が迫っている街の北側は、平坦ではありますが岩などが転がっている場所でした。

 街壁にぶつかるように転がってる岩の陰は、昼間でも影になって見通すことができないでしょう。ラタトアの光も届かない街壁と岩の間には、よく見ると人がひとり通り抜けられるくらいの穴がありました。

「絶対、絶対戻ってきてよ、ひな姉ちゃん」

「うん、約束する」

 泣きそうな顔をしているカツ君ににっこりと笑みを見せて、わたしは穴へと入っていきました。

 正直、無事に襲撃のことを伝えて戻ってこられるかどうかは、わかりません。

 でもこれ以上カツ君を巻き込まないためにも、これ以上心配をかけないためにも、わたしはひとりで、できる限りのことをやらなければなりません。

 斜面になっている穴の入り口はでも、意外に下りやすくなっています。伸ばした脚で探ると適度な高さに足がかりになる場所がありました。

 どんどん下りていって、たぶん街壁の土台の下辺りにたどり着いたところが行き止まりになっていて、そこには屈まないといけない程度の高さでしたが、お城の方に向かって真っ直ぐに伸びる横穴がありました。

 ほとんど何も見えない横穴を屈んで進んでしばらく。

 持ってきていた袋から手探りでオイルランプを取り出して、火を点けます。

 ランプで照らした穴の中は、自然にできた隙間のようにも見えますが、少し進むとやはり狭いのですが、わたしが立って歩けるくらいの天井の高さになり、さらに石を積み上げて崩れないようになっていました。

 ずいぶん古いものなのでしょう。石積の壁はところどころ脆くなっているようです。

 さらに進むと、ついには崩れて、大きな石でふさがっている場所に出ました。

 カツ君が「子供しか通れない」と言っていましたが、崩れていても石の隙間から向こう側を見ることができます。

 ランプを近づけて、わたしの肩がどうにか通るくらいの穴を見てみると、布が敷いてあって、土で汚れずに通れるようにしてありました。

 ――たぶん、ファル君はここを使ってお城から抜け出してるんだ。

 胸に手を当てて一度深呼吸をしてから、わたしは足がかりになる石を頼りに、脚からその穴に身体を滑り込ませていきます。

 あの三人がファル君を襲うのがいつになるのかはわかりません。

 もうすっかり夜は更け、いつもならば街は眠りに入る時間です。

 鐘楼の倒壊によってお城の警備が手薄になっているだろう今日は、まだまだ起きて街に出ている人が多いことでしょう。

 早くファル君に三人のことを伝えるために、わたしは穴を抜けてその先に足を進めていきます。


          *


 手ににじんできた汗を手ぬぐいで拭き、彼は舌打ちをしていた。

 白い壁にぽっかりと空いた、鎧戸が開け放たれた窓の外はすっかり暗くなっており、時折近くや遠くに光が行き交っているだけだった。

 暗くなりきる前にはあった街の人々の怒号や叫び声も、いまではほとんどしなくなっていた。

 大きなテーブルに添えられた長椅子の前にひとり座る彼は、白い金属の胸当てと、実用性よりも装飾性の高い兜を身につけ、戦いの装いをしている。

 力みすぎた手を、テーブルの上に置いてある黒い鞘に収められた剣に伸ばす。

 わずかに鞘から抜いた片刃の刀身には一点の曇りもなく、壁の燭台のロウソクから放たれる光を反射していた。

 その剣は溶かした鉄を型に流し込んで刃を研ぎ出したものではなく、鉄の塊を熱して叩き鍛えたものだった。

 鉄の鎧を身につけた人同士の戦いに適した剣ではなかったが、薄く、しかし重い刃は切れ味に優れ、鎧を身につけていることが少ない歪魔を斬るのに適している。

 もちろん、鎧さえ着ていなければ、人もまた容易に斬ることができる。

 刃を鞘へと収め、彼は鞘を片手で握りしめるようにつかみ、深くため息を吐いた。

 ちょうどそのとき、せわしない足音とともに兵舎の詰め所であるその部屋に姿を見せたのは、兵士隊に所属する兵士のひとりだった。

「ユーナス副隊長。報告し――」

「見つかったのか?!」

「いえ、それが、まだ……」

 革鎧を身につけた、気をつけの姿勢で立っている兵士の報告は、定時報告に過ぎなかった。

 居づらそうに目を合わせてこない彼は、現在と捜索範囲と捜索箇所について報告を行う。彼に対し、ユーナスは新たにいくつかの指示を出した。

「もう夜も遅い。交代で食事を摂って、できるなら少し眠るよう各隊に伝えろ」

「はい……。しかしまだ街の住人が多く捜索に出ておりまして、我らとしても……」

 煮え切らない言葉を口にする、ユーナスとそう歳の変わらない兵士は、今度は真っ直ぐに視線をぶつけてきていた。

 ここしばらく、歪魔の噂は街に濃い影を落としていたことを、ユーナスは理解していた。

 街の中だけでなく、街道を行き来する商人にも伝わったその噂により、交易にも支障が出ていて、噂の払拭、もしくは歪魔の退治は街の人々にとっても、兵士隊に所属する者たちにとっても、重要な事柄だった。

 そんなときに現れた、黒髪の少女の姿をしているという歪魔。

 誰にとってもそれは排除すべき対象となっていた。

「捜索は明日も続くかもしれない。街の人々にも適度に休むよう伝えておいてくれ」

「わかりました!」

 元気よく応え、若い兵士は足早に部屋を出ていった。

「しかし、見つからないな……」

 足音が聞こえなくなった頃、ユーナスはひとり呟いていた。

 歪魔は街の南に走り去ったという。

 倒壊した鐘楼は兵舎と同じ中央広場にあったが、小市の日であることもあって、多くの兵士は巡回に出ていたために、現場に居合わせた者は少ない。

 広場は混乱していて、状況が確認でき次第捜索を開始したが、夜になっても発見することができず、ユーナスは苛立ちを覚え始めていた。

 抵抗するなら斬り捨てても構わないと、兵士には伝えてある。

 できるならば朝までには歪魔を発見したいと、ユーナスは考えていた。

 しかし思惑通りにはいかず、暗くなったいま、できるだけの兵士をやって四ヶ所の門を固めてはいるが、歪魔の話を聞いて夜にも拘わらず街から出ていこうとする商人などで、この時間になっても人通りは止んでいない。

 街の外に逃げられている可能性も考えなくてはならなかった。

「しかし、歪魔が出た、か」

 喉の奥からククッと笑い声を漏らしたユーナスは、つかんでいた剣を持って立ち上がった。剣を腰に吊して部屋を出、兵舎の入り口で休憩をしていたらしい兵士に声をかける。

「私も捜索に出る」

「しかし……」

「歪魔はできるだけ早く見つけなければならない。隊長が来たら、私が巡回に出たと伝えてくれ」

 兵舎を空にするわけにはいかないため数名を残し、ユーナスは歪魔と目されている黒髪の少女を探すために兵舎を出発した。

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